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日本詩の芸術性と音楽性(2)-若い詩人の皆さんへ「自由韻文詩のすすめ」-

定型詩でも散文詩でもない「自由な音楽性を持つ詩」を「自由韻文詩」と呼んでその構造(つまり創作法)を一つのシンプルな基本式として提案します。(全10回)   

       日本詩の芸術性と音楽性(2)

【日本詩歌の音楽性の仕組み】

俳句の五七五拍や短歌の五七五七七拍ほかの日本詩歌の定型音律(拍子)は、万葉時代以降に定まった「詩歌の枠組み、約束事」に過ぎません。(では何故その約束事がそう決まったのかについては様々な研究があるのでそちらに譲る事として、)時代時代の日本語の中にある詩歌のリズムはその定型・約束事だけに依存するものでは無く、もしそれらの五と七の拍数の組合せにしか日本詩のリズムが存在せず、五と七の頭韻・脚韻・接韻にしかメロディーが生まれないとすれば、歌の表現手法や内容のみで主に差異化を図るしかない事になり、当然のことながら韻文として単調な事はこの上ありません。

ではなぜ俳句が数百年にわたり、特に短歌が千数百年にわたって韻文詩歌(古来、詩歌=韻文であったので、この言葉は本来重複用語ではありますが、)として愛唱され創作されて来たのでしょうか。
実際に古代以来の億万に及ぶ和歌の中には、個性的であり音楽性豊かなものが数多く存在しています。

それではその五七調の枠だけに縛られない和歌(ここでは以下、短歌について言及して行きます)の音楽性とは一体どのようなものなのでしょうか。
五七調の約束事を取り払った後に残るものは、わずか日本語「三十一文字」のみですが、この三十一文字の一体どこに短歌の音楽性の秘密が隠されているのでしょうか。
これからその秘密を探って行く事にしましょう。

先ずは短歌のリズム(音律)に付いて言うと、定型・約束事である五七調(または七五調)がリズムの基本ではありますが、それらが決してリズムの全てではありません。
取り敢えず「五」と「七」の二種類の拍の中身については、「1拍」「2拍」「3拍」「4拍」「5拍」「6拍」「7拍」の七種類の拍が内在しているとも見る事が出来ます。
つまり「五」では「1拍」「2拍」「3拍」「4拍」「5拍」の五種類の拍数、「七」では「1拍」「2拍」「3拍」「4拍」「5拍」「6拍」「7拍」の七種類の拍数にそれぞれ分解可能という事になります。

そうすると、俳句の「五」「七」「五」、短歌の「五」「七」「五」「七」「七」では、各々の「五」と「七」を分解して出来る拍の組み合わせ数は、各拍数の階乗(それら全てを掛け合わせた積)となるので、先程の短歌の基本拍の種類を「5拍」「7拍」の二つではなく「1拍」「2拍」「3拍」「4拍」「5拍」「6拍」「7拍」の七種類と規定するだけで、日本詩の定型的な「五」と「七」の拍の組み合わせの中に、当然のことながら膨大な数の拍数の組合せ(無数のリズム)が存在している事になります。

ところで、日本語の名詞・動詞では2音節から4音節、助詞は1音節から4音節、副詞で2音節から4音節のものがほとんどです。形容詞では「甲斐甲斐しい」「痛々しい」「羨ましい」など6音節のものが結構ありますが、さすがに7音節以上のものは例外的にしかありません。従って五七調・七五調の枠組みがあれば、日本語のほとんどの表現に対応出来る事になるので、音律の最大の拍数を「七」とし、対となる拍数を「五」とする事は日本語にとっては自然であり宿命的な事なのかも知れませんね。

さて、詩歌を構成する五七調或いは七五調の「1拍」「2拍」「3拍」「4拍」「5拍」「6拍」「7拍」の七種類の拍数の中でも、「1拍」と「7拍」は例外的な用途となるので、それらを除いた残りの「2拍」「3拍」「4拍」「5拍」「6拍」という五種類の基本的な拍数がリズムの中心を構成していると考えられます。
但し「6拍」についても一語で五拍には収まらず、七拍でもほとんどの文字を使い表現の幅を狭める事になるので、使用に当たっては敬遠される事になります。
従って定型詩歌のリズムの基本拍は結局「2拍」「3拍」「4拍」「5拍」の四種類という事になります。
ここではこれらを「四種の基本拍」と呼ぶ事にし、それが「日本詩歌の基本リズムの主要素」であると仮定して、このあとそれについて検証して行く事にしましょう。

但し、「短歌の五七調の中に四種の基本拍の組合せが無数に埋め込まれている」だけでは、当然ですが短歌の「無数のリズム」の説明の必要条件の一部でしかありません。
必要条件のもう一つの要素は、五七調に内在する膨大な数の基本拍の組合せ(無数のリズム)の「組合せ方」(四種の基本拍の並べ方)が有力な候補でしょう。
つまり「四種の拍の組合せ方そのもの=その詩独自のリズムの基礎」となりそうです。

そうすると、詩歌としての心地良いリズムの仕組みとは? 表現したい情緒とリズムの整合性にどのような秘密があるのか? 等の解明がどうしても必要という事になりますが、この点については後程の有名短歌の実例分析の中で触れる事にします。

そしてその「四種の基本拍の組合せ方によるリズム」を音楽性の必要条件として、メロディー(十分条件としての、頭韻・脚韻・接韻・母韻・子韻等の音楽技法の効果)が有機的・音楽的に繋がり合って始めて、音色鮮やかな本来の短歌の音楽性が成立する事になります。

つまり短歌の音楽性の仕組み(基本式)は、簡単に言うと次のように仮定する事が出来そうです。

「短歌の音楽性の基本式」=
「四種の基本拍の組合せ方によるリズム」×「各種押韻によるメロディー」

言い換えれば、「四種の拍の組合せは縦糸」であり「各種押韻は横糸」として「短歌という織物を紡ぐ」事になります。
しかし「短歌の織物としての価値」は、当然のことながら「織り方」(表面的技巧的な音楽性)で評価されるものではなく、言わば完成した織物の柄であり色彩であり仕上がり状態こそが評価の対象ですから、短歌の本質的な詩情・格調がその音楽性と整合調和する事で読み手聞き手の心を打って初めて、優れた短歌として認められる事になります。

さてここまでは実証の無い理屈ばかりの記述のようになりましたので、次からは伝統短歌と近代自由詩の中からもいくつか具体例を挙げて、先程の「音楽性の基本式」の仮定について検証して行く事にしましょう。

               日本詩の芸術性と音楽性(3)に続く

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