見出し画像

ジェイラボワークショップ第57回『能力主義について考える』【哲学部】[20230529-0611]#JLWS

「能力主義」を題材としてWSを行いました。このnote記事はそのログです。

今回の司会はコバ部長、イヤープラグさざなみさん、YY12、Tsuboさん、Daikiさんの5人です。
物語の部分に★印をつけておきましたので物語だけ読みたい方は参考にして下さい。

Day1

■コバ

皆さんおはようございます。
今日から2週間は哲学部WSです。文章は今晩から投稿していきます。
よろしくお願い致します!

■コバ

哲学部は今年の3月からマイケル・サンデル「実力も運のうち 能力主義は正義か?」を部内で輪読しています。その中で各自思考して得たものを各部員による語り(物語)形式で今回のWSを進行していきます。

WS座談会は6/2(金)22時から行います。ステージチャンネルという謎機能を初めて使うぶっつけ本番にはなりますが笑、聴講のみでもOKですし、コメントできる感じであればコメントも大歓迎、途中入場、途中退室全然OKです。

それでは前置きはこれくらいにして、物語を始めていきたいと思います。

★コバ

Bは同じ大学の同級生だ。大学に入ってから知り合った仲だが、Bとは話が合うので大学の授業が終わったあとに喫茶店でよく話をしている。話が合うと言っても趣味が一緒とかそういうことではなく、Bと会うといつも自然と議論になる。議論の内容は様々だが、そもそもこうして議論に付き合ってくれる人が今までいなかったので、そういう意味でBとは「話が合う」ということに自分の中でしている。ちょうど今からいつもの喫茶店でBと落ち合う予定だ。

A「お疲れ。待たせて悪かったね」
 僕がいつもの喫茶店につくとBは既に座っていた。
B「おう、A。ぜんぜん。今読んでる小説がちょうど佳境に入っていたから、今くらいに来てくれて丁度良かったよ」
 Bはそう言いながらコーヒーを啜った。Bはとくに人に気を遣うタイプではないので、ほんとに小説がいい所まで読めたんだろう。お互い時間にはルーズな方なので上手く時間を潰しながらいつもの喫茶店でこうして放課後落ち合っている。
B「本と言えば、君も最近新しく本を読みだしたそうじゃないか。本の題名は確か•••」
A「『能力主義は正義か?』って本だよ。マイケル・サンデルの」
B「そうそう、それそれ。君は相変わらず大学の学部の勉強と関係の無い本を読むのが好きだね」
A「それはお互い様だろう」
B「まぁね。ところで、その本は面白いのかい」
A「面白いかどうかねぇ。エンタメとしてなら君が今読んでいる小説の方が面白いとは思うけどね。最近、能力主義について考えているんだ」
B「テストも近くなってきたのに、テストの点数を上げる前に『能力主義について考える』と来たか。やっぱり君はぶっ飛んでて面白いよ」
 そういってBは僕を茶化した。しかしBが「能力主義」というワードを僕から聞いた瞬間、ニヤッとしたのに僕は気づいていた。このBの「ニヤッ」は茶化し笑いの「ニヤッ」ではない。「面白い議題が舞い込んで来たぞ」という意味の「ニヤッ」だ。

■コバ


Q 能力主義「個々人の能力(顕在するスコア)の査定結果を人物評価の基準とし、またそれを待遇として反映する主義」それ自体について今まで深く考えたことが
ある6
ない9

可能であればその詳細もお教えください。
その他WSに関連して、気付いたこと、考えたこと、語りたいこと、WSの司会者に問いかけたいことや感想等あればこの2週間はご自由に記述ください。

Day2

★コバ

A「僕はテストそのものの意味や社会的な位置付けも考えずに漫然とテストのスコアを上げることに没頭してる方が不健全だと思うがねぇ。この本は非常に面白いよ。日本中の大学生に読んで聞かせてあげたいくらいの内容だ」
B「それじゃあまずはその第一号として僕に読んで聞かせてほしいね。どんな内容の本なんだい」
A「サンデルがハーバード大学の教授ってことは知ってるだろう。ハーバード白熱教室で有名な教授だよ。本の内容は、ざっくり言うと現状のアメリカの能力主義、英語ではメリトクラシーだが、それについて豊富な事例やデータを用いて多角的に論じている本だよ」
B「なるほどね。ところで君はなんでその本を読もうと思ったんだい?」
A「なんでと聞かれると、ズバッとした切り返しは用意してなくて悪いんだが、一言で言うと問題意識ってやつさ」
B「君のおはこの『問題意識』だね。サンデル教授の多角的な論評の詳細も気になるところだが、君のその問題意識ってやつを今日はお聞かせ願えるかい」
A「能力主義なんだが、これは日本社会にもあまりにも当たり前に浸透しすぎていると思わないかい?受験然り、テスト然り、就職活動然り、僕ら学生の身の回りでも数え上げればキリがないほどの場面で能力主義に基づいたイベントだらけだ。しかもそれらは押しなべて僕らにとって大イベントばかりだ。つまり僕らは『能力主義』という価値観にベッタリ染まらされながら日々生活しているわけだが、僕はそもそもそこが疑問だ」

以上がコバ担当分の物語でした。
明日以降の語り手はさざなみ君にバトンタッチ。
引き続きアンケートの回答等、ご自由に記述ください。


Day3

★イヤープラグさざなみ

(物語の続きから)

A「と言っても、能力主義について考えることは、実に大変だ。思考には出発点があるだろう。そしてそれは本人にとっての疑問や気づきであったりするわけだ。しかし、こと能力主義について考えようとするとどうだろう。それがあまりに『自然に』世の中に浸透しているせいで、それを思考の対象として捉えることすら難しい。当たり前すぎて、見えなくなっているんだ。」
B「なるほどね。確かに、『スコアで人物を評価して、その評価を待遇として反映させる』考えを能力主義と呼ぶなら、それは生活のあらゆる場面で登場するよね。僕たちは学生だから、特に。このことについて考えようとしたこともなかったな。でもさ、能力主義って結局、『頑張れば頑張った分だけ報われる』ってことでしょ?問題点なんて無さそうに見えるけど...。」
A「そう。『努力したらその分だけ報われる』社会には多くの人が賛成するだろう。しかし実際の能力主義社会ではそうなっているだろうか?」
B「うーん。そう言われてみると、能力主義が前提としているのは、あまりにも単純化されたモデルな気がする。全員が同一のスタートラインに立っていて、『やろうと思えば』みんなが努力できて...。」
A「だけど実際の世の中はもっと複雑だ。人それぞれ置かれた状況が全く違う。同一のスタートラインなどそもそも存在しない。そんなことはみんな分かっている。それなのに多くの人は単純モデルを前提とする能力主義に問題を見出そうとしない。そうしている方が楽だからだ。」
B「確かに思考を放棄することは楽だね。だけど、本当にそれでいいのかな。」
A「問題から目を逸らしていると、そこに問題があったことすら忘れてしまう。能力主義について言えば、そもそもそれに一度でも疑問を挟むことすら難しいかもしれない。だからね、こうして一度でも能力主義を考える機会が与えられたことは、僕にとっても貴重なんだ。」
B「確かにそうだね。それで、君の言う能力主義の問題点は、複雑な社会に単純すぎるモデルを適用していること、そしてそのことについて多くの人が思考を放棄していることだったね。」
A「そう。そしてこれらのことが人々の『態度』に影響を与えるんだよ。能力主義の下では『勝者』は自分の受ける待遇を、自分のそれまでの努力に見合うものとして当然のように受け入れ、『敗者』は、『勝者』になれなかったのは自分の頑張りが足りなかったからだと嘆くだろう。双方とも『頑張れば』上にいけるし、『勝て』なかったのは頑張っていないからだという考えに合意している。このことが勝者の驕りと敗者の屈辱を生む。そして大衆がこのことについて考えないでいることは、『勝者』にとって都合がいいんだ。」
B「勝者の驕りと敗者の屈辱か。ひどく個人主義的な考えだね。」
A「そう、『勝者』が『勝者』足りえたのは、もちろんその人が頑張ったからというのもあるけど、それだけではないだろう。」
B「純粋な『能力』だけを取り出すことは不可能だよね。環境の要因も大きいと思うし。」
A「それに、その人が『勝者』になり得たのは、評価基準がたまたま『それ』だったからだ。勝てたのは、偶然なんだよ。だけど勝者はそれを忘れてしまう。気付いたとしても認めようとしないだろう。」

(続きは明日投稿します。)
アンケートの回答やコメントはいつでも受け付けています。

Day4

★イヤープラグさざなみ

(続き)
B「ここまで話を聞いてね、君が何を考えているのかはなんとなく分かったよ。だけどね、いまいち能力主義が掴みきれてないというか...。問題があるのは分かったとして、じゃあどうす ればいいんだろうって。」
A「それは僕も同じだ。この問題を考えることは難しい。あまりに僕たちに浸透し切ってしまっているからね。でも、考え続けなければいけない気がするんだ...。」
テーマを共有しても、即興の話し合いで考えを深めていくことは難しい。まずは各々で考える時間が必要だ。僕らはその後、話題を変えて1時間ほど話した。そして、その日は解散した。

能力主義を採用することには問題が
ある5
ない2
その他3

明日は22時より大講堂にて座談会があります。初めての試みです。内容は哲学部のミーティング(公開ver.)です。ぜひご参加ください。

Day5

なし

Day6

■あんまん

何故働くのかまたちょっと考えました。
社会存続に必要のない生産物の消費もGDPに加算されて、帳簿上では生活水準の向上の項目になるのが現代の資本主義社会の不思議なところ。資本主義の目線から見ればブルシットジョブは存在しない。
[00:23]
そして「無駄」な仕事によって生まれた消費が社会保障の資金になっている。だから、社会は実はブルシットジョブのような仕事にも寄生しているのではないか。

★YY12

A「B、お待たせ」
B「おう、喉乾いただろうしAもなんか飲みなよ」
ドリンクを選ぼうとメニューを広げた時、店員さんが恰幅の良い中年男性にコーヒーを運んでいた。
A「俺もコーヒーでいいかな、」
注文を終えた時、Bが話しかけてきた。
B「あのおっさん、一言もなければ店員さんの方も見ずによ~。嫌な感じだよな」
確かに歳もそう離れていない店員さんにあの態度は嫌な感じだ。だが、あんなものは街中でいくらでも見かける。
A「そうだけどさ、そういう人多いし。別にしょうがないよ…」
そう言いつつも頭の中ではサンデルの文章がチラついた。
〈つまり、成功は幸運や恩寵の問題ではなく、自分自身の努力と頑張りによって獲得される何かである。これが能力主義的倫理の核心だ。・・だが、これには負の側面もある。自分自身を自立的・自足的な存在だと考えれば考えるほど、われわれは自分より恵まれない人びとの運命を気にかけなくなりがちだ。私の成功が私の手柄だとすれば、彼らの失敗は彼らの落ち度に違いない。こうした論理によって、能力主義は共感性をむしばむ。〉
別にあのおじさんの気質的な問題というだけで、こんな構造的な問題が影響してないかもしれない。だが本を読んだ直後だと意識せずにはいられなかった。僕は話を続けた。
A「しょうがないけど、能力という評価軸によって社会全体としては「驕りと屈辱」という二つの層が出来ているのかもな」
B「なんだよ、大袈裟だなぁ笑」
A「そりゃそうなんだけどさ、この前読んだ本の話だよ。基本的に僕達は自分の成功を自分の努力と結びつけ、信じて疑わない。たまに考えるんだけど、社会にこんだけ人がいるのは様々な状況に対して様々な人の特質を対応させて種として生存しようとするからだと思うんだ。それなら、ある一つの「能力」(ほとんどの場合、曖昧なままで投げられるが)で図ろうとしないで、適材適所の精神で見てあげる方が健全なんじゃないかなって」
B「また考えこんじゃう癖がでてるよ、、何が言いたいんだよ」
A「比較優位の目で見れば人それぞれに良いところはあるし、とにかく謙虚に生きようよってことさ。」
B「まぁそれは大事かもな、」
Bが気のない返しをした直ぐ後に店員さんがコーヒーを運んできてくれた。
A「ありがとうございます」
それだけ返していつものコーヒーを味わったら、授業に向かうため店を出た。

Day7

■コバ

コメントありがとう!
ちょいと仕事が立て込んでるので水曜日には返信します!

Day8

■YY12

上記のような能力主義の負の面はあると
思う8
思わない1
その他2

Day9

なし

Day10

★Tsubo

A(一口コーヒーを飲みつつ): ねえ、この間見つけた記事なんだけどさ。アメリカの政治家たちは自分たちの「学歴」を武器にして優位性を示す傾向があるんだってさ。民主党でも共和党でも同じ。トランプ氏までが自身の学歴を偽り、自分の「優秀さ」や「知的能力」を主張していたという事実に触れていたんだ。

B(驚いた顔で): ホントに? アメリカは学歴主義が深く浸透しているんだね。それでその「学歴の高さ」が信頼を得るレトリックになっていると。でもそれは、人の能力やこれまでの功績が過度に重視されすぎる原因になっているんじゃない?

A(にっこりと笑いつつ): その通り。記事ではその点についても触れていて、1980年代以降のアメリカでなぜ「能力主義」が偏重されるようになったのか、社会の流動性に焦点を当て説明していたよ。

B(コーヒーをそっと置きながら): それは興味深いね。でも教育が不平等を解消する手段とされる一方で、問題点もあるって話を聞いたことがあるんだけど。

A(頷きつつ): ああ、それについてもこの記事に書いてあったな。近年では,教育が機会平等を実現する一方で、グローバル競争が進む中で競争の場を公平にする必要性を唱える風潮が主流だった。でもね、その公平な競争のための対策として、教育だけが唯一の解だとする考え方は問題があるんだよ.

B(興味津々で): どんな問題があるの?

A(慎重に): まず、この考え方では人種差別やジェンダー問題などが無視されていること。
現状のポリティカル・コレクトネスを重視する姿勢はその揺り戻しかもしれないね.
それに加えて、生活が厳しい人々に対して、その原因は適切な教育を受けるための努力が足りなかったからだと責任をなすりつけることを「道徳的」だとするような主張が大きかった.

B(納得した顔で): それは僕の身近なところでも聞いたことあるな.有名なYoutuberが「ホームレスより猫の方が価値がある」と発言していたのが炎上していたり,例えば「お金を持っていたらその人の発言はなんでも正しい」という人がいたり.中高の社会で習うような公共の福祉や倫理といった内容を無視した議論が行われたりや,そもそも詭弁に近い,枠組み自体が歪められた形で議論が行われていたり.能力主義による一番大きな影響は「冷静な議論を失わせる」ことにあるかもしれないね.

A(コーヒーを飲みつつうなずく): そう、それがこの記事の主旨だったんだ。

A(ブラックコーヒーをすすりながら):次は学歴差別、すなわち「学歴偏重主義」について話そうよ。それは、現代の社会において、人種や性差別が嫌悪される一方で、まだ広く容認されている一種の偏見だと指摘されているね.人種や性差別を否定する「リベラル」を自認する人でも「学歴偏重主義」を容認している人がいてしまうのはなんとも皮肉な話だ.

A(コーヒーを置きつつ): 「学歴偏重主義」とは学歴が低いとされる人々は、差別の撤廃という大切な目的を理解できないと見下すような考え方のことを指すんだ.実際、教育水準が高い人々から見れば、教育水準の低い人々に対する偏見が、他の差別よりも強いんだとさ。

B(眉をひそめて): それって、高学歴のエリートが、自分たちがより道徳的に啓発され、より寛容であると考えているからなの?

A(うなずきつつ): そう、でもこの記事に載っている研究は、そうした見解に反論しているんだ。つまり、実際には学歴の高い人は「自己責任」を強調する考えに共感を持つ人が多く,まかり間違っても「道徳的」とは言えないこと.ついさっきも有名Youtuberの例を扱ったよね.また学歴の低い人々に対する評価は、エリートだけでなく、学歴の低い人々自身も共有しているという現象があるんだ.

B(驚いて): それは想像もしていなかった。でも,今は学歴を持つエリートが多数派を統治する社会といっても過言ではないよね?

A(深刻な顔つきで): それが問題なんだ。かつて、米国の政府には大卒者がほとんどいなかった時代があったんだ。でも今は、労働者の大部分が選挙権を持っていない時代,高額納税者しか選挙権を持っていない時代に逆戻りしている感じさ。普通選挙がどれだけの人の努力と血と汗で勝ち取ってきたものか,それを思うと悲しくなってくるね.

B(カプチーノを置きつつ): でも,学位を持つ人々が統治する社会は、良いことではないの?

A(腕を組んで): それは見方によると思うんだ。しかし、現在の政府が実践的な知識や市民的美徳を重視し、それを効率的に推進する能力を持っているとは言えないと思うんだ。学歴が高いからといって、必ずしも優れた統治能力を持つわけじゃないからね。もしそうなら,少なくともこの国から貧困や差別や偏見は取り払われているはずだよね.

B(考え込みつつ): なるほど、つまり、学歴が高い人々が社会を支配することで、学歴の低い人々が疎外され、社会的汚名を背負うことになるということか。

A(うなずきつつ): それが僕が伝えたかったことだよ。能力主義社会が、大学へ行けない人々の自信を奪い、社会の分断を深めているんだ.
B(カプチーノを一口飲みつつ): 直近における,その分断の例って何かな?

A(考え込みつつ): 例えば、アメリカの民主党やイギリスの労働党が推進する学歴偏重主義は、労働者階級の有権者をポピュリストや国家主義者へと走らせてしまったという説があるんだ。 例えば、2016年のアメリカ大統領選挙やイギリスのBrexit国民投票なんかを見ると、学歴の高い人々と低い人々との間に大きな意見の隔たりがあるのがわかるよ。大学の学位を持つ者と持たざる者との間に,深い溝を作ってしまった一番有名な例と言えるね.つまり,一部の人々にとって大学が学歴偏重主義者のプライドの象徴になってしまい、学歴の低い人々の反感を買ってしまったんだ。

B(頷きつつ): それって、政治的な意思決定にも影響を及ぼすんだよね。

A(優しく笑みつつ): そう、公的な議論がテクノクラート的な思考に基づくようになってきているんだ。つまり、道徳やイデオロギーについての議論が、「賢いかどうか」という議論に変わってきてしまったということなんだ.

B(考え込みつつ): それってどういう意味?

A(一息ついてから): たとえば、オバマは市民が十分な情報を持っていないから道徳的・イデオロギー的な衝突が起きると信じていたんだ。でも、そのテクノクラート的な考え方やそれに基づく政治手法は普通の市民の力を奪い、政治的説得の必要性が薄れることを引き起こすんだ。

B(カプチーノを手に取りつつ): それって、どういうこと?「科学的に裏打ちされた,正しい情報にアクセスできるだけの能力を持たない」多くの一般の人たちの意見が聞かれなくなるということ?

A(頷きつつ): そういうことだね。さらに言うと、テクノクラート的な議論は「事実に基づいて議論すべき」という思考を生み出すけれど、それは市民における議論や,道徳心の発露を活気づけることはないんだ.例えば、気候変動に対する対策への反対が科学の拒否によるものだという議論は、科学知識が増えれば増えるほど地球温暖化への姿勢が両極化しているという事実によって否定されるのに,「科学や事実に基づいて議論するべきだ」って上から目線で言われても全然納得しないし,議論する気もなくなるよね.

B(驚きつつ): それって大問題だよね。

A(深刻な表情で): そうだよ。気候変動は専門家だけが考えるべき問題じゃなくて、全ての市民が考えるべき問題なんだ。そしてそれは、能力主義とテクノクラシーの失敗に向き合うことで、プラトンが提起し今まで人類が追求している「共通善」を実現する政治を構築するための重要なステップなんだよ。

B(頷きつつ): なるほど,今日は普段の専門の勉強とは違ってすごく有意義な議論ができた気がする.「自分の立っている視点,立場,状況」を捉え直すことほど難しいものはないね.その一番の例が今日議論した「能力主義について」だよね.

質問は今日の夕方投稿します

■コバ

私も人生の迷子になっている時に「なぜ働くのか」ということは死ぬほど考えました。
そして突き詰めていった結果「人生そのものが無駄」という結論に行き着きました。
なので私の考えとしてはブルシット・ジョブ(どうでもいい仕事)もエッセンシャルと言われている仕事も、突き詰めれば全部無駄です。
なので「なぜ働くのか」という問いに対する答えは各自が探すしかなく、私の場合は「社会の中で人と共に生きていくための一つの形」でした。

このことについてはまた違った形でアウトプットしようとは構想していますので、その時はあんまん君も良かったら読んでみてください。

Day11

■Tsubo

本文では能力主義の,主に政治的側面でのデメリットについて扱っていましたが,能力主義はメリット,デメリットどっちの方が大きいと考えますか?
メリット 5
デメリット 1
その他(自由記述) 2


★Daiki

授業が終わった後、またいつもの喫茶店に集まった
B「この前の能力主義の話なんだけどさ」

A「興味持ってくれてたのか」

B「興味持ってるように見えてなかったのかよ笑」

Aも笑い、Bは続けた
B「今の自分があるのって過去の自分が努力してくれたおかげだと思うんだよ。“運”でまとめられちゃうと何だかやりきれないないと思って」

A「能力主義社会に生きてきてそう思うのは自然だと思う。努力が悪いことだなんて言わないけど、そう思ってしまうのは能力主義的考え方を持っているからだろうね。」

B「それって努力とか選択とか一見すると平等そうに思えるものも実はそうではないってこと?」

A「そう、ここでいきなり「選択」を出せる君はさすがだと思うけど笑。努力をするための意欲だって、それ自体、環境が大事だったりするだろ?それに努力する能力、選択する能力、結局は能力が重要視されているんだよ。そういう意味では俺たちはやっぱり運が良かった方だと思う」

B「うーん、、、」

Bは言葉を飲み込んだ。大学に進学してからBの周りには裕福な人が増えた。Aもそのうちの1人なのだが、窮屈な暮らしをしてきたBにとって「俺たち」で括られるのは気持ち悪かった。生活の安定からであろう彼らの余裕がBを不快にさせることもしばしばある。Aが言ったことに、なるほどと納得はしつつ、彼らとは明らかに違う家庭環境で育ったBにとっては、まだ大学入学を自分の力で掴み取ったのだと思いたい気持ちがあった。

Aは、Bがどこか腑に落ちていなさそうだということには気づいていたが、Bが言いかけた内容を気にしていないかのように平然と続けた
A「この前話したトランプの件が良い例だけど、今って学力や学歴が本当に重視されているだろう。この時代に生まれて、勉強ができる、勉強の努力ができる、努力したら勉強ができる、ってかなり運が良いと思うんだよね。実際俺が医学部に決めたのもたまたま勉強ができたからだし」

Bは普段の会話の中でなら気にしなかったのだろうが、Aの最後の発言の意味がよくわからなかったのでどういうことなのか聞いた
A「要は一番楽な道だったてこと。勉強はずっとできたし、医者になればお金には困らないだろ?何より親が医者だから将来のイメージがしやすかったてっいうのが大きいかもしれない。こうやって考え事をし続けるにはある程度の余裕がいると思うから。」

B「まあ、確かに」
さらっと言ってるけど、Aのスペックがないとできないだろ、と心の中でツッコミつつ自分でもそれはわかっているのだろうと、Bは相槌だけした。

A「Bはなんで医学部入ろうと思ったの?」

そう改めて聞かれると、Bは自分でもわからなかった。家族に喜んでもらうため?お金?モテるため?そうなようでそうでない理由しか思いつかなかったので、テキトーに答えた
B「入りたかったからかな」

テキトーだったはずの回答がなんとなくだがしっくりきた。と同時にBはAの表情が変わったことにも気づいた。入学してから長く一緒にいるので、その理由がわかった気がした。

B「ゼロベースか、」
BはAが以前言っていた言葉を思い出しながら、コーヒーを飲んだ。


Day12 

■Hiroto

なんせ「メリトクラシー」なんで、「メリット」的な軸で考えたらメリットばかりだろう、と思いました。
「メリット」軸だけ考える社会でいいのかという“問題意識”が提起されているのだと解釈しています。

Day13

■けろたん

「能力」という言葉が2つのものを指していて、この区別が必要に思われます。
A)一つは、「〇〇しうること」であり、この意味での能力主義とは、潜在的にあることができることの代理的な指標として特定のラベルを用いることです。学歴にホワイトカラーとしての業務遂行能力を期待するのはこれにあたると思います。
B)もう一つは、「〇〇できたこと」の意味であり、実例としては営利企業における成果主義による査定です。

どちらにも共通の問題として、以下の二つが思いつきました。
スコア化することでスコアの違いに必要以上の意味付けを行ってしまうこと。
スコアの精度や、スコアリングのプロセスを理解していない部外者によるものが大半だと思いますが、まれに闇落ちした専門家がスコアや資格を掲げて教祖業をはじめる現象を観測します。

スコア化できるものと本当に知りたいことの間にギャップがあること。
スコアとは現実に起きたことを、特定の仕方で要約した値ですが、この過程で情報が欠落します。よいスコア化とは、目的達成と関係が高く介入可能な指標を選ぶことで、指標の改善を通じて目的を達成するための活動が促進されるようなものであり、そうでないものが悪いスコア化だと思います。

A)に関して:
独占業務の国家資格なども見ようによってはこれにあたると思います。「医師国家試験は能力による選別なので能力主義批判の観点から廃止すべき」という意見は見たことがないので、ある種の専門性や能力を試験等の結果によって測定すること自体は社会的に認められているとしてもよいでしょう。
一方で、政治や行政の分野では職能の専門性がいまいち認知されていないと思います。政治家は選挙に受かれば素人でもなれるということもこれに拍車をかけています。「能力主義」が引き起こすとされている道徳的な問題は、「勝者」と「敗者」にコミュニケーションのチャンネルができてしまったというメディア環境の変化も要因として大きいのではないかと思います。

資格や学歴による評価は、
厳密な評価が労力に見合わない
能力を評価することができない
のいずれかの理由で、ラベルづけ (合格/不合格のように、数値よりも粗い評価をラベルづけと呼ぶことにします)の権威を持つ機関に評価を外注することです。
ラベルづけ機関に評価を任せることで社会全体の評価リソースを削減することができるので「評価の基準を外注して自分の頭で考えないこと」は問題だと思いません。
採用における「学歴フィルター」的なものがこれに当たると思いますが、外注可能なことを自前でおこなわないという判断には一定の合理性があるとと思います。そもそも、選抜やスコアリングはそれを実施する主体に目的があるはずで、個人のスキルを見積もることはその目的を達成するための手段にすぎないからです。ただし、評価の外注によって過小評価・過大評価が起きていれば、不当な評価を受けている人を真面目に評価することよる利益も大きくなるので、評価主体が払えるコストに対してリターンが上回る限りにおいて必要十分な精度で評価が行われている、と捉えるのが、評価を受ける側の立場としては精神衛生上よいと思います。この点では、学校でのペーパーテストによる評価は「公平性」のために評価コストを度外視している評価システムとしてむしろ特殊なのかなと思います。

B)に関して:
直接的に成果に介入できる業務はよいですが、それをサポートするような業務の貢献をどのように評価するかがむずかしいのかなと思います。異る家庭で、専業主婦/夫がやっていることは似通っているが、世帯年収に大きな差がある場合に不公平だと感じるかどうか、という問題と類似していると思います。具体的な勘案要素としては、従業員の心情、組織の大きさ、事業の規模・安定性などさまざまなものによって実際の評価が下されているのだと思いますが、よくわかりません。

■コバ

物語部分は以上です。今日明日は今までのアンケートやクエスチョンへの回答の時間に使っていただけましたらと思います。
もちろん感想やその他気付き、内容についてのコメントも引き続きお待ちしております。

Day14

■Takuma Kogawa

結婚相談所で婚活をしていたときに会った方々は素晴らしい学校歴を持ち、素晴らしい会社に入って十分な収入を得ているのが大半でした。それを私の努力の賜物だと能力主義を肯定している方も多く、それは特に問題とは思いません。しかし、その果実の収入などを勉強や習い事として自分の子に注ぎ込む、個人主義に繋がっていくことに不安を感じています。能力主義や個人主義は、うまくいっている個人のレベルでは最適な考え方かもしれませんが、自治体や国家といった大きな集団の維持には不向きではないかと思います。能力主義がいいか悪いかより、ある能力を有する人が、その能力を自分のために使うことの正当化のために能力主義が使いやすいものになっていることに問題を感じております。

■コバ

コメントありがとうございます。
けろたん君の仰られるA)ラベル(資格)やB)成果主義による査定に関してですが、それらそのものの存在が悪いとは私は思っていません。

私が問題だと感じているのは、能力主義の「流動性の高さ(スムーズさ)」という性質です。これによって私達の社会全体が能力主義に塗りつぶされてしまうことが大きな問題だと思います。
これは大きな問題だと感じています。
なぜ能力主義の流動性が高いかということは「原理と倫理の関係」で紐解けると考えています。
これについては追って何らかの形でまとめます。


Takumaさんコメントありがとうございます。
仰る通り能力主義という社会思想は、能力主義の利益を享受している側がそこから不利益を被っている側に対して能力主義という社会思想そのものを剣に優位性を確保しながら、それを同時に盾にもしているという構造になっていると思います。

■コバ

それでは今回の哲学部WSは一旦ここまでとしましょう。
今回の哲学部WSは哲学部内で行なったマイケル・サンデル「実力も運のうち 能力主義は正義か?」の輪読をもとに開催しましたが、哲学部内でもまだまだ能力主義について深い部分までは思考できていないというのが正直なところです。
これは偏に私の部長としての力不足によるものですが、しかしこれからも能力主義について思考し続ける想いは失わないように哲学部は活動を続けていきます。
そしてその想いこそが私は一番大事だと考えています。

このWSが皆さんが能力主義について考えるきっかけになってくれればこれほど嬉しいことはありません。
2週間お付き合いただきありがとうございました。


以上、哲学部WS『能力主義について考える』でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?