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哲学的ゾンビを浄化する

こんにちは

最近、ネット上で数学的ゾンビだのプログラミングゾンビだのの話を目にします。

これ、根本には哲学的ゾンビっていうのがあって、一つの物事に対して同じ結果を返すんだけれども一方には結果を出すまでに思考とかの過程があるけれど、他方はただ機械的に結果を返すのみ。はたから見ればどちらも同じ。あなた自身はあなたが過程を観測しているけれど周囲の人はどうだろう、ただ機械的に人と同じ行動を取るゾンビと判別することはできないよね、て感じの話だった気がします。

そこから転じて、数学とかプログラミングの分野で過程をすっ飛ばして答えを出すような人を指す話です。

僕も以前はそうだったなあ、とはこの話を読んで思い出しました。

自分を低く見積もるからゾンビになる

ちょうど仕事を始めたあたりが僕が人生で一番ゾンビだった頃になります。
やっぱり新人ですから、いかに効率よく失敗せずに仕事をするかっていうのを大事にしてたんです。

それがいつの間にかすべての案件に対して「先人が何かしら上手くやってるだろうから検索検索」「俺が思いつくようなことはだれかがやってる」といった考えを持ってしまって。
たちの悪いことに大した仕事もしてないもんだから、本当にだいたいのことは世の中の人がやっててノウハウがネットに書かれてるんですよね。それを見て仕事をして、思考する必要がない仕事はうまくいくんですけど印刷物を作ったりする仕事を任されると途端に失敗ばかりというか低クオリティになってしまって。

代わりの人もいなくておおらかだったので、ずっと印刷物を担当させてもらって段々と気づくんです。世の先人がどうかは全く関係なくて「僕と印刷物」「僕と会社」「僕とブランド」「僕と職場の人達」「僕と消費者」こういった関係性の中で僕自身がどうあるべきかを考え抜かなきゃいけないってことに。

大抵のことはググって出てきますよ。僕より頭のいい人は世の中にいっぱいいますから。でもそれを鵜呑みにしてたら、いつのまにか僕自身を矮小なものにしてしまっていて、関係性の内側にあるものと向き合う姿勢をとることができなくなっていたんです。

がんじがらめされてるゾンビ

そんな過程を経て僕はなんとかゾンビを卒業できました。繰り返しなっちゃいますが職場がおおらかなので、ゾンビ卒業してから一端の口を利くようになりましたがきちんと受け止めてもらっています。

それでも、この人はゾンビだろうなって人は結構いて。やり取りがすごくワンパターンだし、どこかよその話を持ってくることしかしない人。僕もそうだったからなあ、とは見ていて思ってしまって。

あなたの価値は外付けの答えじゃ測れない。
矮小な自分を良しとして、自分なりに考えて行動しないと、いつまでもゾンビのままだと思うんです。
自分をさらけ出すって怖いことですよね。だから哲学的ゾンビの浄化って難しい。

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