うつになったわたしが沈んだ先2

みなさんこんにちは

今回は「うつになったわたしが沈んだ先」の続きを書いていきたいと思います


遺書


自殺の計画をしていた時ふと頭に浮かんだのは遺書でした

何か書かなければ

自殺の経緯、親や友人への感謝、別れの言葉

思い立って直ぐに机に向かい紙とペンを用意しました

遺書というのは書き方や内容が難しいものだと思っていましたが案外スラスラと内容が頭に浮かぶもので少し驚きました

いざ書こうとペンを持った瞬間、思ったんです



これ書いたら本当に死ぬしかなくなる



死ぬ事が全てだったわたしの中のほんの少しの理性が抵抗してきました

そのまま、また何もかもが分からなくなり号泣し過呼吸になり自傷行為に走りました

その時はもう書けない、本当は死ぬのが怖いんだ

そんなふうに感じました

死ぬことが全てだと思っていたわたしは少しでも正常な判断をできたことで焦りました

自分は死なないといけない存在だと思っていたからです

それでも死ぬのがこわくなったわたしは自殺願望が酷い時には全てを曝け出してもいいと思える友人に連絡をして家に来てもらったり

家の中で一人になる時は外に出て公園で一人時間を潰したり

色々と工夫をしてなんとか死ぬための行動を起こさないように努力しました


助けを求める

わたしが一番困ったことは本当につらい時誰に頼ったらいいのか分からなくなることでした

親、友人、過去の恋人、現在の恋人、恩師、沢山の人が頭を過ります

でも誰一人しっくりこないんです

理由は不確か

何処と無く胸に何かが引っかかる感覚

あの人じゃないこの人じゃない

もう誰に話せばいいのか分からない!!!!!!

頭を抱え泣くことしか出来ない

家でじっとしていることも出来ず毎晩外を徘徊していました

そんな中何かを察してかわたしに連絡をくれる友人

携帯を見る元気がある時にメッセージを開き確認

相手に返信をする

どれだけ心が救われたことか

本当に沈んでいる時は正直友人なんてクソ

何も知らないくせに、分からないくせに

話しかけてこないで

これだけでした

でも少し余裕が出てくると不思議と前向きになるんですよね

思考も気持ちも

冷たく接するわたしに、既読無視をするわたしに

連絡をしてきてくれた友人がいたおかげできっと今わたしはここに存在しています

諦めずに話しかけてくれた友人のおかげで


この人なら話してもいいかもしれない
上手く話せなくても少しでも話してみよう


そんな気になれたのかもしれません


友人って本当に素敵な存在だと学びました



see you again

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