【第2報】スポーツの楽しみ方に対する考え方の変化
記事数の数え方を研究者らしく第○報としてみました。
実際の論文もこれくらいポンポン出せたら、すごく楽しいのだけれども。
さて、本題。
題名にあるようにスポーツの楽しみ方が年とともに変わってきたなぁと思った瞬間があったので、書き残そうと思いました。
陸上にのめり込んだ学生時代
私は学生時代、陸上競技をやっていました。いわゆる中距離で、インターバルのような短距離の練習もペース走のような長距離の練習もやった。
毎日日が暮れるまでひたすらに走り回ってました。
一つのことに熱中するほうが性に合っているので、「走る」ことに集中できる陸上にのめり込みました。
でも、それは学生時代までで、大学院を経て社会人になると、そこまで「走る」ことはできなくなった。たまに思いついたようにランニングするくらい。
それでも競技を経験してたことから観戦することも好きだった。最近陸上の日本選手権があったので、すごく久しぶりに観戦しに行きました。
そのときに思ったこと。
当然ですけど、テレビやネットで見るのとはぜんぜん違いました。もちろん日本選手権なので、一定の標準記録を突破したトップ選手たちの戦いはすごく見ものでした。でもそれだけじゃなくて、感じられる雰囲気が心地よかったです。
同じ部の選手が出ていると客席からまとまって応援する様子が見えたり。近くにいる陸上ファンの人たちがすごーくマニアックな話をしていたり。
たとえばレース前の選手たちはどうしている?じーっとしているのか、しきりに体を動かしているのか?
近くでやっているフィールド種目ならコーチと話合っている様子も聞こえてきたり。そのときは笑顔も見えるのか、ずっと集中した険しい顔をしているのか?
そんなふうに、記録以外の部分で雰囲気を感じられる。
実際に目で競技を見ることで変わること
テレビとかだと、基本的に結果の数字(何m?何秒?)の部分にしか注目しない。
でも、雰囲気から人柄とかそういう部分を感じていると、単に強い人だけでなく、実力的に分が悪い人や調子が悪そうな人でもみんな応援したくなります。
たまに走り幅跳びとかで客席に手拍子を求める様子を見たことがあるかもしれませんが、あれも実際やってると「頑張れ!」「跳べ!」と思います。
テレビだとやっぱり強い人、注目されている人ばかりが映ってしまっていたんだな、無意識にメディアの見せ方にハマっていたなと気づきました。
思えば現役でやっていたころも
ここで自分が競技をやっていたころを振り返る。
記録会(順位というより自分の記録を測るための大会)など地方のなんでもない大会でも、たまーに客席には近所のおっちゃんがちょこちょこ来ていた。
そのときは「暇だなー」とか「この試合を見ていて面白いのかなー」とか全く意味がわかりませんでした。
競技から離れて年月が経ち
でも、そこから10年以上経った今になって、自分が客席にいて選手の応援をしている。
今回は日本選手権だったけれども、競技が終わって帰ろうとしたときに同じ競技場でたまに学生の大会が開かれていることを知り、「見に行きたい」と思ってしまった。
あの頃、不思議に思っていたおっちゃんたちと同じことを考えてしまっていることに気づいて苦笑いしてしまった。
ただ、もしかしたらあの時見てたおっちゃんたちも若い頃は陸上をやっていて走る(跳ぶ・投げる)ことに夢中だったのかもしれない。
実際競技を見ていると、自分が現役だったころのレース前の緊張感をよく思い出して高揚してくる。
その高揚感を試合を観ることで重ね合わせているのかなーと思った。
とはいえ自分もおっちゃんになったのだなーと思わずにはいられない。時の流れを感じた一日だった。
いっぱい教科書・参考書を買って勉強します!!