「小さい頃、何に熱中していましたか?」〜私たちの才能のタネ

今は、もう大人になり、様々な経験をし、多少の挫折しながら、多少の希望と悲観を行ったり来たり。そんな、いわゆる「大人」になる経験の中で、「無垢さ」というものが失われていくこともあるかもしれません。何かしらのコンプレックスだったり、何かしらの打算だったり、プライドだったりと、迷い、栄光。多種多様な相容れないアクセサリーが、年々増えていっているのが、「大人」の特徴かもしれませんし、私も例外なく、そういう特徴を持っていると思います。

そんな中、今一度、問いたいなぁと思うことがあります。

「小さい頃、何に熱中していましたか?」

この問いは別に夢を持っていたかとか、身構えるような質問ではないです。小さい頃、小学校低学年でしょうか、何に興味を持ってたかを問うだけの質問ですから、あまり深く考える必要はありません。

なぜ、この問いをしたいかというと、個人的に小さい頃に熱中していたものって、「大人」になっても向いていることではないか、モチベーションを持てることなんではないかと感じているからなんですよね。(少なくとも分野として近い)実際、自分、私の友人や兄弟を見ているとそう感じることが多々あるんですよね。

子供は結構なナチュラルにトリッキーなことをすることがありますし、「えぇ、それになぜ興味?」など、不思議なことがよくあります。子供ながらに、「ツボ」があるんでしょうね。知らず知らずの間に、察知して。

これは、ある意味、将来に限界がある可能性の無自覚、頭の柔らかさから為される子供たちの与えられる特権であると思います。どうしても、「大人」は色々と考え込んでしまいます、様々な絡み合った事情や置かれている立場によって。何と、羨ましいことか。

でも、絶対に大人になった皆さんにも、「ツボ」があったと思うんですよ。そして、「ツボ」に近い仕事をしている人も中にはいるのではないでしょうか。

実は、この「ツボ」はその人が持つ才能のタネなんじゃないかと考えています。(才能といっても、Giftedのようなものではなく、適性に近いといったほうがいいかもしれません)

純粋無垢な少年・少女が、何の打算もなく、利害もないアクセサリーを身につけず、ツボを発見し、行動したことは、本物ではないか。そう、思います。

今一度、アクセサリーを外して、「小さい頃に熱中していたことは何か?」を自分に問いかけることは、大人になったからこそ、求められるのではないでしょうか。原点回帰です。私は、原点回帰という言葉がとっても大好きです。

そして、もしご自身に子供がいるなら、熱中しているものは何かを見つけてあげることをしてあげてみてはいかがでしょうか。その中に才能のタネがあるのではないかと感じています。

私の熱中していたものは何だっけなぁ。少々、アクセサリーを外してみたいと思います。


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