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意識の三層。 (「意識と自己」その2)

ダマシオ教授は、人間の意識は大きく分けて

原自己(proto-self)
中核意識(core consciousness)
【ここに中核自己(core-self)と
自伝的自己(autobiographical self) がある】
拡張意識(extended consciousness)

にわかれている、という説を提唱している。

「私は、意識も注意もさまざまなレベルで起きていて、一枚岩ではなく、いわば上方へ向かうらせんの中で相互に影響しあっていると考えている 」(Kindle版『意識と自己』位置 1575)

意識のある人間のなかには、生物が進化するなかで比較的古い時代にできあがった脳の部分(脊髄、脳幹など)のはたらきと、わりあいに新しい部分(大脳皮質など)とそのはたらきが、互いに信号をやりとりしながら、ものすごく複雑で繊細なネットワークをつくっている。

そのネットワークの信号のやりとりのなかで、「イメージ」がニューラルパターンとして形成される。「イメージ」というのは視覚だけじゃなくて、あらゆる感覚器官から入ってくるすべての信号と、脳のなかで信号がつくるすべてのパターンをさす。

目にうつるもの、音、振動、香り、温度、動きの感覚、痛み、身体の内側で生じるさらに微妙な感覚。もっと上のレベルでは、記憶や感情なども「イメージ」の単位になる。

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意識の問題は二つにわけられる、とダマシオ教授は言う。

ひとつは、そういうイメージがどうやってできてくるのか、という問題。

こういうイメージは、意識のある間じゅう流れ続けている「脳内の映画」のもとになる。感覚器官や身体の中の器官から受け取る信号からニューラルパターンから、いったいどうやってこのようなイメージができてくるのか、という問題だ。

視覚を例にとると、網膜からはいった光が像を結び、さまざまなニューロンを次々に刺激するあいだにどうやって「イメージ」ができるのか。ひとつひとつのイメージ形成に莫大な数の小さな部位と信号とプロセスがかかわっている。神経学の分野でかなり解明が進んでいるが、まだ肝心な部分はあきらかではない。

そしてもうひとつが、「脳がどのように『認識のさなかの自己の感覚』(sense of self in the act of knowing)を生み出すのかという問題」だという。つまり、脳内の映画を見ている自分を認識する自分がどのように生まれるか、という問題なのだという。 (Kindleの位置162)

この、認識のさなかの自己、というのが、ダマシオ理論のなかでいちばんピンと来にくい、微妙なところだと思う。でもすごく刺激的なところでもあるのだ。

(つづく)



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