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認識が感情? (『意識と自己』その3)

ダマシオ教授の説で一番面白いのは「認識は感情である」と喝破しているところだと思う。

そもそも情動・感情とは何か。

ダーウィンやフロイトは19世紀に情動を進化の文脈でとらえ、基本的な情動がいろんな生物のあいだに共通して見られることを指摘したが、それ以降、哲学でも科学でも情動はまともな研究対象として見られてこなかった、とダマシオ教授は指摘する。

哲学の世界でも神経学や認知科学の世界でも、情動というのは理性とは対極の関係にあって「完全に独立している」もので、考える価値すらないと考えられてきたが、これは「ロマン派的人間観にもとづく屁理屈」だ、とダマシオ教授はいうのだ(Kindleの位置648)。また、意識や認知についての議論では長いあいだ、進化的視点、そしてホメオスタシスの視点が無視され続けてきた、と指摘する。

そして、情動は生命の維持(ホメオスタシス)にも推論と意思決定のプロセスにもなくてはならないシステムだという。情動とは、進化の古い段階で意識が生まれる以前から生命体に備わっていたものであり、個体にとっても、意識が生まれるために不可欠なシステムなのだ。

ダマシオ教授は、情動(emotion)と感情(feeling)を三つの層に分けて考える。

まずは情動。これは意識以前に生命体に存在し、外側から観察可能な現象で、複雑な化学的/神経的反応により生じる。具体的には内臓や筋骨格の変化として外から観察可能。そして、情動が起きている本人には気づかないレベルで、つまり意識よりも前に起こる。

次に、もっと複雑な生物の脳内では、情動が「イメージ」になる。このプロセスも、本人が意識する前に自動的に起きている。

そしてこのイメージに脳が「気づいて」内的にとらえてはじめて、いわゆる普通にいう「感情」になる。

情動は、生物に備わっている代謝調節や反射作用などの「サバイバルキット」的な機能よりも上の層にあり、認識や理性といったもっと複雑な機能よりも下にあるプロセスで、生体調節装置の一部であり、生化学的に決定され、脳の諸装置に依存する、自動的に起こるニューラルパターンだという。
「意識的であろうがなかろうが、行動には情動とそれを支える生物学的機構が必ず伴う」(位置1003)とダマシオ教授はいう。

生命体のありとあらゆる行動、経験、思考のベースには情動があり、究極的に「生存指向」の行動をもたらしている。

つまり、生きるという目的のために身体にとって良い状態を保つ装置が情動で、その処理のほとんどは脳が「気づく」前に終わっている。

不快感や緊張といった身体全体の状態も情動の一種で、これをダマシオ教授は「背景的感情(background emotion)」と呼ぶ。こうした状態は「現在進行している生理的プロセスや環境との相互作用によって生みだされる内部状態の条件」により引き起こされる。(位置908)

人間の脳のなかで起こるすべてが生化学的&神経パターンの結果であり、そのもっともオリジナルなかたちが情動なのだから、認識、つまりは意識のはじまりも情動であるというのは理解できる。

(つづく)

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