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福祉がメガネのようになった社会

福祉はメガネのようになればいいのに

福祉を福祉と意識しない社会になればいいのに

ぼく自身が発信するときによく使う言葉なのですが、あまりピンとこない人も多いかもしれません。

ぼくは福祉の世界で働き出してバイト、非常勤時代も含めると17年ほどになります。

最初は目の前の人たちを何とかしたいという気持ちで働いていましたが、ここ数年はどういう社会になっていけば、皆が幸せなのだろうかと考えるようになりました。


あなたはメガネをかけていますか?

日本においてメガネやコンタクトなど何かしらの視力補正をしている人は人口の約7割という調査結果もあるように、目が悪い人は多いのです。

もちろんその中でもメガネがなくても生活に支障がないという人もいるのでしょうが、ほとんどの方はメガネもしくはコンタクトがないと生活に支障をきたすのではないでしょうか?

生活に支障がある = 障害

だとぼくは思うので、いわゆる障害者と何が違うのだろうか?と思うわけです。


障害があるのは社会の方です

障害と聞くとその人に障害があると思われがちですが、ぼくは違うと思っています。

いわゆる障害者はその他大勢の普通の人たちとは少し違うかもしれません。

その少しの違いがあるからなかなか社会に適応できなかったりするわけですが、それは社会がその他大勢の普通の人たちを基準に作られているからなんです。

メガネのようにテクノロジーやITを駆使して、その問題をクリアできれば、今は障害者と言われている人たちもそうじゃなくなっていくと思いませんか?


福祉は人々の幸せのこと

福祉と聞くと、一歩引いてしまう方が多いように感じます。

介護や障害者に対する支援も福祉だけど、福祉ってそれだけじゃなくて


広辞苑で調べると

幸福。公的扶助やサービスによる生活の安定、充足。

と出てきます。


福祉は全ての人の幸福のことを指す言葉です。

高齢者や障害のある人たちが暮らしやすい社会はきっと普通の人たちにとっても暮らしやすい社会だと思います。



究極の福祉はメガネ

メガネは究極の福祉だと思っています。
前述したようにメガネが存在しなければ、生活に支障をきたし、障害者になってしまう人はたくさんいます。

しかし、メガネを福祉だと意識している人がどれほどいるでしょうか?
おそらくほぼ皆無です。

福祉が目指す先はまさにそこだと思うのです。


それ自体があたり前になり過ぎて、福祉を福祉だと意識しない社会。



福祉をもっとオシャレに!

メガネのすごいところはオシャレなメガネがたくさんあるところなんですよね。

オシャレなメガネが多いから目が悪いわけでもないのにメガネをかける人もいるくらいです。

これが車椅子だったら?

今はまだオシャレな車椅子ってほとんどないけど、足が悪くないのに乗りたくなるようなオシャレな車椅子があったとしたら?

移動手段は色々あります。

・車
・バイク
・自転車
・キックボード
・スケボー
・セグウェイ

その中で あえてオシャレな車椅子を選択する。

そんな時代がきてもおかしくないんじゃないかなーと思っています。


福祉をオシャレに楽しむ。

それはもう障害があるとかないとか関係ない。


そんな社会の実現のために少しでもぼく自身の活動が寄与できれば嬉しいなーと思います。

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