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夏の夜に冬の朝を想うということ

 夏の暑い日に冬の寒さに思いを致すことは滅多にないように思う。暑い日は暑さに必死だし、寒い日は体を温めることに注力するから。季節の移り変わりを肌で感じて、それに伴って服装を変えて、また、心の持ちようも変わってきたりもする。夏は夏の楽しみ方、苦しみ方があって、もしかしたら、夏に冬に思いを致すことは愚かなことなのかもしれない。それでも私は、こんな夏の夜に冬を想って文章を綴ろうと思う。

 私は、大学生のときにコーヒーチェーン店で働いていた。そこで私は早朝のシフトに入っていた。具体的には、06:30から始業だったので、遅くともその15分前にはお店に着くようにしていた。ギリギリになってバタバタするよりも、少しでも落ち着いていたい性質なのだ。住んでいたところは比較的勤めていたお店に近かったから、05:00過ぎくらいに起きていた。3年の途中からマネージャーになり、それから平日は04:30くらいに起きるようにしていた。いまでは、よくやっていたなあ、と他人事のように感じられるのだから時の流れとは不思議なものだ。

 それくらいの時間に起きると、春夏はもう外は明るくなっていた。秋も暮れになるまではその時間帯でもまっくらやみということはなかった。

 冬になると、その時間帯は文字通りまっくらやみで、私には冬の朝に特有の澄んだ空気と静謐な佇まいが震えるくらい美しく映った。ほとんどの人が起きていない時間に起きる特別感もその美しさに拍車をかけたように思う。私はこんなに朝早く起きていったいなにをやっているのだろう、と思わないわけではなかったけど、私は冬の朝に起きるのが嫌いではなかった。

 きっと私たちは、冬になればまた少しずつ冬の寒さに順応してゆくのだろう。夏の暑さに辟易しながらも慣れていったように。夏に想う冬は、どこかその全貌を見渡せないような衣に包まれているように感じるけれど、それは錯覚で、私たちは例年と同じように、ではなくとも、寒さにうんざりしながらも冬とうまく付き合っていくことだろう。そうして想像しながら、一つひとつ目の前の夜を誠実に乗り越えて──。

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