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結果とプロセスと

 こんにちは。柚子瀬です。

 ここ数日でルルーシュをあらためてみました。正確にいうと『コードギアス 反逆のルルーシュ』という作品です。昨年にひととおりみたのですが、もう一度みたくなり、み返しました。

 R2までひととおりみて感じたこと、考えたことがいくつかあります。まず訴えかけてきたのは「『銀英伝』と似てるな」ということです。言葉にしていうと野暮なことかもしれませんが、とにかく扱われているテーマが酷似しています。ほぼ同じといってもいいかもしれません。似ている部分がきわめて似ているというだけであって、もちろん異なる部分に目を向ければ似ていないところはいくつもみつけられますが、それでも昨年末以来より『銀英伝』にのめり込んでいた私としては似ている部分に強く印象を受けました。

 それで、タイトルのとおり、ルルーシュをみていて考えたことのひとつに「結果とプロセスの関係」があります。どうしてそうなのかというキャラクターの来歴を捨象して単純化してしまうと、主人公のルルーシュは手段・やり方はなんでもかまわないからとにかく結果が手に入ればいいというスタイルをもつ一方で、ルルーシュと対比してもみることができる枢木スザクという人物は間違った手段・やり方で手に入れた結果には価値がないというスタイルをもっています。もちろんどうしてそういうスタイルをもつに至ったのかについてはそれぞれにそれぞれの事情があり、作品のなかでそれぞれのスタイルにも変遷があります。この記事では作品の内容に踏み込むことはしないので、ぜひアニメをご覧ください。私自身作品をみるまではルルーシュの悪役じみた不敵な雰囲気が苦手で遠ざけていましたが、実際にみてみるとそのような先入観で遠ざけていたのがもったいなくなるほどおもしろい作品でした。

 私自身、これまでよく結果とプロセスの関係については考えてきました。私のスタイルはどちらかといえばルルーシュに近かったかもしれません。正確には、プロセスがよいほうが価値があると思っていながらなかなかそうはできず振り返ってみると結果は手に入るけれどやり方が間違っていたことが少なくなかったように思います。結果はプロセスを正当化するのだろうか? イエスともいえそうです。たとえば、受験で考えてみると、合格という結果がそれまでの学習のやり方の正しさを示すことができそうです。プロセス、すなわち学習のやり方はまずくなかったけれど結果は出なかったということも試験の結果が相対的に決まることにかんがみればありうることですが、結果が出てない以上心からプロセスは間違ってなかったと信じることはむずかしいのではないでしょうか。もちろん、受験のように合否というわかりやすい結果が出るようなことは現実では滅多にありません。正しいことと間違っていることはつねにぐるぐると変わっていく相対的なものです。

 理想的なのは、プロセスも間違っていなくて結果も手に入ることです。ただ実際にはそう上手くはいかないものです。できるなら私は、結果が手に入らなかったとしてもプロセスが自分の納得のいくものであればかまわない、というスタイルを採りたいです。綺麗事だと思います。けれでも、結果さえ手に入ればいいというスタイルで間違ったプロセスのもと実際に結果だけを手に入れていってもけっきょくはなにも得るところはないようにみえるのです。プロセスを間違えてしまうのは問題です。私の答えは結果はプロセスを正当化しない、です。つねにそうとはいえないけれど、だいたいにおいて。結果が手に入ったとしてもプロセスを反省し吟味することが肝要ですし、結果が手に入らなかったとしてもプロセスが自分の納得いくかたちのものであれば間違ったやり方で結果が手に入るよりも価値あることではないか。どちらも間違えることなく過ごすのは稀有であることを考えると、このふたつの問いにさらされたときになにを大切にしたいのかにあらかじめ思いを致すのはけっして無駄なことではないと思います。


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