見出し画像

戦術のありか

レース戦術本来の終着点は、勝つことにあります。

勝つことが見えない作戦ほど、選手たちを苦しめるものはありません。

私は昨夏、本気でジャパンカップを勝つことについて考え始めていました。

このレースを制せずして世界を目指すなど、高慢にも程があります。

針の穴を通すがごとく繊細かつ地味な作業さえこなせれば、それが現実となる猛者が遂に揃いました。

山籠り

レースへの準備は、2ヶ月前から開始しました。

他のレーススケジュールをある程度割り切って、コンディションの許す限り、古賀志林道を登り続けます。

これはトレーニングではありません。

ひたすらに、タイムとパワーデータを取りつづけたのです。

誰かの記録した古賀志林道のタイムやパワーデータなどは、探せば山ほどあります。

しかし私は、他人の声やデータなどでは決して得られない大切なものを見つけました。

それは、勝てるという確信です。

牙城を崩す一手

近年のジャパンカップにおいて、ワールドチームが崩されたレースの傾向はスプリントにて決しています。

3分前後の古賀志林道では本来、決定的な差を生みづらいのです。

しかし、プロトンがあれほどまで崩壊するのには訳があります。

それは、14周もあの登りを含むテクニカルなコースをこなさねばならない疲労によります。

ですから普通の思考では増田、雨澤がエースなのです。

2017年大会で雨澤選手が3位となった結果は、偶然ではありません。

いかなるレースにも様々なリスクが含まれています。

展開をつくるということは、そのリスクにできるだけ身を委ねないということです。

では雨乞いをするのか、とはまた別の話になりますが。

集団スプリント一本勝負

世界トップレベルとの差は歴然としています。

まともに2回登っただけで、勝負は決してしまうでしょう。

それらを痛いくらい認めた上で、我々は我々の力を結集し、最大限生かすことを考えるのです。

レースはフィニッシュラインを越えるまで終わりません。

私は鈴木龍のゴールスプリント勝負一択を提案しました。

自分たちのペースを貫く

本当の戦いを挑みたいという想いを抑えることは、非常に高い理性が求められます。

それらは我々の本能だからに他なりません。

理性の保つ限り、他のペースアップをすべて無視することです。

オールアウト直前までの状態で後半の数回、古賀志林道を越える必要があります。

登りで全精力を尽くしては意味がありません。

それでも我々の能力なら、決定的に遅れはしないことを事細かに説明しました。

位置どりを小野寺、登りのペーシングは増田、下りで雨澤にスイッチし限界を攻め、平坦をチームで回すことにより遅れを挽回できるでしょう。

いずれ力尽きる選手たちを横目に、我々はスプリントの体制を整えるだけの余力を残しています。

最終スプリントのリードを私と岡で担い、エースを前方へと押し上げていくのです。

そこに、勝機はあります。

2度のミーティング

清水監督は頑なに集団コントロールを提示してきます。

作戦としては十分理解できます。挑戦する価値はあるでしょう。

しかし、それでは勝てないと感じていることも確かです。

この2ヶ月を返せ、とすら思いました。

ですから私は、最後まで反対を貫いていたのです。

本当の闘い

レース当日の早朝はとても気持ちの良い、レース日和の朝でした。

数時間の後に戦いの渦中へ赴くとは思えない、穏やかな日です。

最後まで匙を投げることを拒否した私は、勝つための軽量なホイールを履かせたバイクで会場までやってきました。

いまだ沸々と煮えたぎるものが胸中にはあります。

それでも私は静かに、先頭を牽くためのエアロホイールへ交換する旨をメカニックへ告げました。

クイックレバーを締め直しながら、自らに言い聞かせるのです。

勝つことが全てではないのだ、と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?