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note始めてみます。

島田譲です。

アルビレックス新潟でサッカー選手をしてます。

今新型コロナウイルスの蔓延によって、世界中が未曾有の危機に瀕しています。世界中の多くの人々が日常を奪われ、いつ収束するのか分からない世界的危機に苦しめられています。


そんな中最前線で闘う医療従事者や、人々の生活を守る為にリスクを背負って働く様々な業種の方々にも心からの敬意と感謝を伝えたいです。


本当にありがとうございます。


そんな思いをされてる方々と比べれば、今は本当にかすり傷くらいの影響ですが、僕たちサッカー選手も全く例外ではありません。

新型コロナウイルスの影響でこれまでの当たり前の日常を一瞬にして奪われました。

僕自身、4歳で始めてから、これまで25年続けてきたサッカー。怪我や進学などを含めても、これだけサッカーを長期間取り上げられたのは初めての事です。

なので、当然と言えば当然の事なのですが、この期間に今までの人生で感じた事のない感情や疑問が僕の中にたくさん浮かんできました。


サッカー歴25年、プロになって8年。

「サッカー」は僕にとって1番身近で、人生の中心で、心身ともに僕を作ってくれた存在です。サッカーがない人生を想像もできないし、どんな形でもこれから一生サッカーに関わっていくんだ、と何となくですが思っています。

それが、、、です。

時間がある今、様々なジャンルの本を読んだり、色々な人の話を聞いて思考を深めていくと、ある事実に気付きました。

これは正直もう少し前から感じ始めていたのですが、、認められるようになったのは最近です。


その事実は、僕が自分自身にとって1番身近で、なくてはならないと思っていた「サッカー」やプレーする「自分自身」の事についての理解がとても曖昧で、本質的な深い部分まで本当の意味で理解してないし、それを言葉に出来ず、人に語る事が出来ないことです。

これだけ世界中を熱狂させてきたサッカーが、こんな世界の非常事態に"不要不急の極み"とか言われてる(悪意がないのは承知です)のに何も言い返す言葉が出てこないのは本当に悔しい思いがします。


だから小手先の戦術論や、ありきたりなサッカーの良さじゃなく、もっと本質的な所で「サッカー」の魅力や価値について深く理解したい。

自分はサッカーの何が好きで、プレーする目的はどこにあるのか。プレー以外で選手としての価値はあるのか。「自分自身」をもっと追求、理解して、人に堂々と語れるようになりたい。

と思うようになりました。


プレー出来ない今だからこそ、大好きな"はず"の「サッカー」や、サッカーをプレーする「自分自身」について、言葉で明確に語れる人になれるように思考を巡らせようと思います。

僕は完全にインプット優位の人間で、本を読んだり人の話を聞いても自分の頭に知識を入れて満足するタイプです。良くないのは分かってます。

でもここでは「サッカー」や「自分自身」について理解して"言葉にする事"が目標なので、ここに自分の思考の足跡を記していきたいと思います。

答えがあるか分からないし、答えは1つじゃないかもしれないけど、自分なりにこれだって自信を持って言える答えを探してみます。








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