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正義の物語

昔々朝鮮半島の百済という国が滅んだ。
百済の王子『余豊璋』は敵から逃れる為にかつてより交流のあった倭国へと逃げた。

吉備という所まで逃げ、吉備の者達にここで匿ってくれないかと懇願した。
当然言語は通じないが百済の者達の思いは通じ、吉備の者達は百済の者達を受け入れ、『鬼城山』という山城で身を隠す事を提案された。
百済の者と余豊璋は吉備の者達に深く感謝した。
百済の者達は造船技術や製鉄技術に長けている者が多く、恩返しに吉備の者達の為に働いた。

それにより吉備の国は豊かになって行った。
これに吉備の者達は感激した。
百済の者達が鬼山城を『ウル』と呼んでた事から余豊璋を『温羅』と呼ぶ様になった。
吉備の国の経済成長はたちまち倭国中に知れ渡った。

そんなある日、彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)筆頭に犬養健命(いぬかいたけるのみこと)、楽々森彦命(ささきもりひこのみこと)、留玉臣命(とめたまおみのみこと)が大和朝廷からの使者としてやって来た。
朝廷からの使者とという事で温羅含む吉備の者達は歓迎した。

しかし、使者の者達は殺伐とした雰囲気を出していた。
すると先頭にいた彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)が「この地に大和朝廷に謀反を企てる温羅という者がいる。温羅を差し出せ。さもなければこの地を征圧する。」
と言った。

大和朝廷は吉備の国が勢力拡大する事を恐れ、温羅を討伐しに来たのだ。
彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)は待機していた兵達を使い武力行使に出た。
吉備の者達は温羅が逃げる時間を稼ごうと「我が温羅じゃ」「私が温羅じゃ」と各々温羅を名乗り兵士を混乱させた。

しかしとうとう温羅本人が捕えられた。
吉備の者達が啜り泣く中、温羅は首を刎ねられた。
討ち取った温羅の首を掲げ彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)は高々と宣言した。
「今日からこの地は私が統治する。これから私は吉備津彦命(きびつひこのみこと)と名乗る。」


時が経ち。
その地域ではこんな話が語り継がれている。
その昔鬼ノ城には温羅という悪い鬼が住み、村人達を苦しめていた。
そこに吉備津彦命が3人のお供を連れて成敗しにやって来た。
というお話。


さらに時が経ち。
その地域ではこんな話が語り継がれる様になった。
お婆さんが川で洗濯をしていると、川上からドンブラコ、ドンブラコと大きな桃が流れて来ました。(以下省略)


この物語は『温羅伝説』を参考に創作したフィクションです。
歴史とは誰かの都合により塗り替えられて来たものです。
私達の知る歴史は誰が正義で誰が悪なのか、何が真実で何がフィクションなのか。
決めるのは私達自身なのかも知れません。

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