つぶやき 2023年6月11日

日々ニュースを見る。
僕は今の政府というものを全く信頼していない。
こう書くと何だか不穏な感じがするが、正直とても困っている。

僕は日本に生まれ日本で暮らしている。自分が暮らす街や社会は少しでも良いものであってほしいと願っている。そうした願いを代表者に託すべく投票するのだが、自分の願いを託した人々は政治家の中では少数派のようだ。
結局現状は、個人的には「この人たちの考え方は合わないなあ」という人が多数派で政権を担うので、その人たちの思うような社会の制度や仕組みが実行されていく。公正に選挙で選ばれているのだから、その結果を受けて僕もこの社会の中で粛々と生きている。

粛々と生きていられるうちはいいのだが、最近は嫌な予感しかしない。
「この人たちの操縦で大丈夫なのだろうか?」と、そんな心配ばかりしている。
しかも彼らは、自分達の考えと違う人たちは無視していいと思っているようだ。
自分達と考えの違う人間は同じ国の人間ではない、と思っているのだろうか。
となると、僕はいつかこの社会から弾かれてしまうのだろうか。

国が配った2万円付きのカードが騒動になったり、国が貧しくなっていますとか、物価も税金があがるという身近な話から、難民も拒否し、”不当な差別”なんて意味のわからない言葉まで使ってLGBTQを論じたりするような世界標準に反するような話まで様々。
不信感ばかりが募る。この人たち、大丈夫なのか?
しかもそれらのことがほとんど報道されていないということを別のメディアで僕らは知る。報道しない報道機関。笑えるが笑えない冗談だ。

彼らの操縦は日々加速しているように見える。それを支える人たちも加速する。
僕はとても困っているので、とにかく異を唱えることは続ける。

忌野清志郎は『COVERS』というアルバムの「明日なき世界」の中で、
”そりゃデモするだけで平和が来るなんて甘い夢など見ちゃいないさ” と歌った。それから何十年も経ち、デモの意味はもっと切迫したものになってきている。
甘い夢かもしれないが、それくらいしかできることがない、と。
甘い夢だね、と言えていた頃の方が平和だった。
彼は何十年も前から危機を見通していたが、長い時間を経て現実はもっとシビアになった。

しかし僕らは生きている。
毎日生きている。自分の生を全うすべく呼吸し動き続けている。
悲観しても生きる。悲観も絶望も生きることを止める理由にはならない。
なぜ生きているのかという理由が人間ごときにわかるわけはない。
だから僕は毎日起きることをじっと見つめる。
そして毎日考える。書く。描く。創る。演奏する。
生きていないとできないことをやる。
それが僕に与えられた生を全うすることなのだと思う。

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