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旅をした赤いスーツケース



yuzuです


10年以上共に旅をしてきた
相棒とバイバイすることになったので
言葉として残しておきたいと思います✎


それは
赤い旅行用バッグ


(?)
バッグ(?)



スーツケースが正しいのか
キャリーケースが正しいのか
調べたところ

スーツケース→スーツなどの衣類を運搬する為の
旅行バッグで四角い形状をしており
合成樹脂やジュラルミンなどの合金などを用いて
作られたものが多く頑丈

キャーリーバッグとはそこに車輪のついた鞄を指す和製用語
伸縮する取っ手がついているものが一般的
キャリーケース・トロリーバック
トロリーケース・ゴロゴロ・コロコロ
とも呼ばれている


らしい
(ゴロゴロとコロコロって…)


そんなコロコロを初めて
自分用に買ってもらったのは
19歳の時

フランスに留学すると
決めていた私に
両親が買ってくれた

色々調べて探して頑丈さとか
私らしさとかで選んでくれた

それがFILAの赤いコロコロ


〝なんで赤にしたの?〟
と聞いたら

父から

〝なんかなぁ
色々みたけど赤のコイツをみたら
yuzuがこれを持ってるところが
想像できたんだよなぁ〟

と言われた

なんだか父からの言葉は沁みる
母はフランスに行くまでずっと
私の身の心配をしてくれていた
愛されていたんだなぁ


初めての大きな新品のバッグは
なんだかガソリンスタンドのような匂いと
新しい靴のような匂いがして
中を開けると仕切りがたくさんあって
ここにはこれ入れよう
とか
これ1つでは足りないな
とか
色々妄想して楽しかった


フランスに行くとき
わざわざ島根から車で
関西空港まで送ってくれて
私が友人たちとゲートに入るまで
父母が見送ってくれたのを
とっても鮮明に覚えている

自分が行くと決めて
色々と準備してきたけれど
送ってくれた車内で
音楽を聴きながら外を見て
こっそり泣いてしまったこと
分かりやすく母が泣いていたこと
何も言わず運転してくれた父

19歳にもまだなっていなかった
私にとっては忘れたくても
忘れられない空間で大切な思い出です◌



フランスに着いてからは
私の荷物だけ出てくるのが遅くて
(たぶん私の周りの人が出てくるのが早かっただけ)
ヒヤヒヤしたけれど新品だったコロコロは
思いの外ボロボロになっていて
日本にいる父母や兄弟
友人を思いだしてなんだか
泣きそうな気持ちになった
フランスに着いてすぐ
空港の前で写真を撮ったがなんだか私だけ
悲しそうな顔で写ってて後々は笑った

だって1番フランスに
行きたかったのは私だったのにね


皆と仲良くなってからは、あっとゆう間で
フランスに滞在していた時間もあっとゆう間で



帰国する時も
赤いコロコロは大活躍してくれた
無事お土産も割れずに済んだ


その後
そんな大好きな家族と
色々ありまして・・・
どうしても離れたくて遠くに行きたくて
おじいちゃんにお金を貰い
赤いコロコロに
必要最低限のものを詰め込み
新幹線で大阪に行った時もお世話になった
(きっとコロコロも不本意な使われ方だったと思う)



その後は本当に色々あったなぁ・・・



そのあと付き合ってた彼氏が
相当に危ない人で
(本当に怖かった)
またコロコロに
必要最低限のものを詰め込んで
友人に助けてもらった

その後も
友人と旅行した時
その時の彼の実家に行った時等々
一緒に旅をしてきた


そして数年連絡を取らなかった
母からいきなり連絡があり
「しんどかったら帰っておいで」
と言われて、号泣しながら
必要最低限の荷物を
また赤いコロコロに詰めてたら
MacBook Airさんがないことに
気付き同居人(当時の彼氏)を
兎に角、問い詰めたけれど
シラを切られ、警察に行くっていったら


「同居してる時点で
もし何か無くしても同居人の
せいにはできないよ
だって同居するって決めて
一緒に住んでるわけだし」



と言われ憤怒した・・・
(怖かったので心の中で)
何故か高学歴男子とばかり
お付き合いしていた私の奢りが
こんなところでくるとは、と

今だからこそどこどこの大学はすごい
頭いい人ってすごいって
夫に教えてもらったりでわかるけれど
パティシエ一筋、高校も情報処理会計科
専門学校に通っていた私からすると
大学の凄さなぞ分からず
たまたま付き合っていた人が
すごい大学出てる、とか
良い仕事に就いてる、とかでしたら
無知って怖いですね
周りに何言われていたかも分からない


PCが盗られた話も母にし
母も憤怒した
(そりゃそうよねごめんね)


そして
同居人がいないうちにコロコロを持って
弟が家のそばで車を止めて待っててくれたので
荷物を積み実家に戻った


それからは
遠距離していた彼のところに行くにも
このコロコロだったし
母と2人で旅行した時もこのコロコロだった

そして今の夫と
生活する際にも先に赤いコロコロで
できるだけのものを詰めて
大阪に持ってきて
後から残りの荷物は母に
郵送で送ってもらった


それからも
夫の実家に帰る時
自分の実家に帰る時

いつも活躍してくれたのは
赤いコロコロだった


10年以上

長い時間だけれど
あっとゆう間だったし
本当に濃い10年間だった

私に振り回され続け
外国では雑に扱われ
それでも尚
どこも壊れず
軽くてたくさん入る
大好きな大好きな
大切なコロコロだった

独りにしないでくれてありがとう
どこへでも一緒に来てくれてありがとう
一緒に旅をしてくれてありがとう



幸せになるね


画像1
行ったところとかのシール貼っとけば良かったな


お父さんお母さん
ありがとう


               2021.5/4

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