龍眠る宿 16
第16話 茶
「気に入って頂けるといいんですが」
なんと、長尾は一晩で動画を完成させて来たという。まだ昼前である。どんだけ仕事が速いのか。外部記憶メモリと二枚の紙を鞄から取り出すと、八大さんのデスクに置いた。
「サインは気に入ったらで良いのかね」
「勿論です」
八大さんはメモリをPCに差し込み、
「眠っとらんのじゃないのか」
と長尾に言った。
「いやまあその辺は、慣れてますので」
長尾は頭を掻いたが、目の下には明らかにクマが出来ている。
PCでは動画が始まった。最初にココアが火を噴いている映像、バックにはファンファーレが鳴っている。
「こういう音楽はどうしているのだね」
「ええ、フリー素材があります」
八大さんは別に著作権を気にして質問したわけではあるまい。そもそもニュース映像や新聞の写真は著作権フリーではないし、それを知った上で敢えて使っているのだから。その辺りをそう受け取らないというのは、長尾の人の好さなのだろうが。
動画の中ではニュースやワイドショーの中でココアが映ったほんの短い映像を繋ぎ合わせて、あたかもココアの事が連日報道されているかのように見せていた。上手いもんだ。映像の一番下には日本語、英語、中国語、ロシア語、アラビア語でテロップが流れている。『このドラゴンの里親を募集しています。問い合わせは以下のURLに』そして当宿のサイトのアドレスが流れる、この繰り返し。シンプルでわかり易い。映像は三分程で終わった。長過ぎる事も無く、短過ぎる事も無い、程良い長さだと思った。
「いかがでしょうか」
長尾はちょっと上目使いで八大さんの顔色を伺った。
「思ったより情報量が少ないな」
八大さんは少し不満げだった。
「ホームページやメールも併用されるのであれば、動画で長時間くどくど説明するより、動画はシンプルでインパクト重視、詳細はホームページやブログで、更に詳しい事はメールで問い合わせて、と使い分けた方が良いかと思いましたので」
「ふうむ……ま、それもそうか」
八大さんはニッと笑うと、二枚の契約書にサインした。
「ありがとうございます」
契約書を恭しく受け取ると、長尾はサインを確認し、
「こちらはお客様の控えになりますので」
と一枚を返し、もう一枚を鞄に収めた。
「料金は夕方までに口座に振り込んでおこう」
「ありがとうございます、助かります」
最敬礼する長尾の脇を軽く突き、
「すまん、ホントに助かった」
と言った僕に、
「いや、こっちこそ助かった。これで今月の売り上げが、何とか恥ずかしくない数字になる」
と笑顔を返した。旧友が仕事の中で見せるその顔は、何とも不思議に新鮮なものだった。
玄関まで長尾を見送り、事務所へ戻った時、八大さんはPCの操作中だった。
「何か気になる事でも」
「いや、ホームページのどこにメールのリンクを貼り付けようかと思ってね」
「今のままじゃ駄目なんですか」
「これから数日は世界中からアクセスされるんだよ。その間だけでも、もっと目立つ所に貼った方がいいだろう」
「ああ、そうですね。じゃ、それ僕がやっておきますよ」
すると八大さんは、また例の如くニッと笑ってこう言った。
「おやおやどうしたんだい、仕事のできる友達の姿を見て刺激でも受けたのかい」
「そんなんじゃないですけど」
「刺激を受けるのは良いがね、誤解してはいけないよ。彼の真似をしようなどとは決して思わん事だ」
「何故ですか」
「人には向き不向きというのがあるのだ。キミが彼の真似をしようとしても、どうせ体を壊して終了だ。下手をすれば人生そのものが終了する。おっと、やってみなければわからない等と言うなよ、やってみなくても客観的に見れば明々白々なのだからね」
これにはさすがの僕もムッとした。
「僕はそんなに駄目な奴ですか」
「駄目だね。自分で自分を駄目だと思っている時点で全く駄目だ。話にならない。キミはもう少し自信を持つべきだ。仕事であれ生き方であれね。キミは死者ではない。生きている。その過程や方法に納得をしていない部分もあるかもしれないが、それでもキミは生き残っている。その事実をもっと重要視するべきだ」
あれ、この人。もしかして。
「……八大さん」
「何だね」
「もしかして、僕を慰めようとか思ってません?」
「ん」
「確かに、僕はココアの事で失敗したとは思ってますけど、そこまで落ち込んでませんから」
「ん、んー、そうかね、いや、それならそれで良いのだが」
全くこの人は。何と遠回りで伝わりにくい優しさだろう。この人こそ、よくぞ今まで生きて来れたと思う。誤解され続けて来ただろうに。
「んじゃ取り敢えず当面の僕の仕事は、動画を投稿サイトにアップロードすることですね」
「そうだな、思いつく限り上げてくれたまえ」
また思いつく限りか。どうなっても知りませんよ、と。
最初のメールが届いたのは午後三時過ぎ。アラビア語のメールだった。
「来ました」
「来たか」
「アラビア語ですから、石油王か何かですかね」
「キミもせっかちだね。メールを寄越したからと言って、相手が真剣に里親になりたいのかどうかはまだわからんだろう。単なる冷やかしの可能性もある。いや、数的にはそっちの方が多くなるやも知れん」
「はあ、そんなもんですかねえ」
「そんなもんだよ。取り敢えず翻訳しておいてくれたまえ」
「了解です。あ、また来た」
「今度は何語かね」
「ロシア語みたいですよ。あ、また来た。今度は中国語です。これ、いつまで受け付けるんですか」
「いつまでと区切るのは応募の数にもよるが、まあ二十四時間は受付けんといかんだろう。ドラゴンを飼うともなれば、いろいろ準備も必要だろうし、衝動買いをして欲しくは無いからな」
「でも二十四時間で出来る準備なんて知れてますよね」
「そこを何とかするのが金の力さ。言い換えれば、二十四時間でドラゴンを引き取る準備ができない程度の財力しか無いのなら、ドラゴンなど飼うべきではないのだ」
「うわー、ハードル高いなあ」
「そのハードルが高い生き物を取り扱うのがうちの仕事だ。どうだい、なかなか大したものだろう」
「自画自賛も程々に」
正直この時点では、メールは百件超えるかなあ、くらいの気持ちだった。しかし二十四時間後、問い合わせのメールは千五百件を上回る事になる。
翌朝、二十四時間を待たずに、まずホームページからメールのリンクを外した。そしてアップロードした動画を全て削除。これで問い合わせも減るだろうと思ったが、現実はそう甘く無かった。情報は既に拡散されており、問い合わせのメールは世界中から舞い込み続けた。午後三時の時点で千五百件を超え、まだまだ増える勢いである。
「どうするんですか、これ」
「どうもこうもない。一つ一つ潰していくしかないだろう。返事の文面はもう考えてある」
八大さんはワープロ打ちの文書をヒラヒラさせた。
“お問い合わせありがとうございます
まずは当方の希望を書き上げますので、どうぞよろしくご考慮くださいませ
一、四十八時間以内の権利者もしくは代行者の当宿訪問
二、四十八時間以内のドラゴン引き取り
三、その為の移送手段詳細
四、ドラゴン受け入れ施設の概要
以上四点、全てを明らかにできる方のみご返信ください
それ以外のお問い合わせには返答できかねますのでよろしくお願いいたします
龍のお宿 みなかみ 責任者 水上八大”
「慇懃無礼と言うか、滅茶苦茶上から目線ですけど、大丈夫なんですかこれ」
「いいのだよ、金持ちは上からものを言われた経験が少ないからな。新鮮なアプローチに映るだろう」
「本当かなあ」
「そんな事言ってる間にまた増えるぞ、とにかくアラビア語と中国語は私がやろう、ロシア語と英語はキミに任せる」
「ドイツ語とかポルトガル語のメールも来てますけど」
「欧米はキミだ、アジア・アフリカは私だ」
「はーい」
僕は翻訳サイトを開くと、メールの文面を打ち込んだ。ここからはコピペコピペである。まずは英語から片付けよう。
そもそも英語から片付けよう、という考えが間違いだった。届いたメールの大半が英語だったからである。そりゃそうだ、英語はイギリス人だけが使ってるわけじゃない。中国人が必ず中国語でメールを送ってくるなんて誰が決めた。大体メールって言葉が英語じゃないか。
嗚呼! 終わらない! 全然終わらない! コピペすれどもすれども送信すれどもすれども一向に減らない未読メールの数に僕は愕然とした。一方八大さんを見ると、PCの画面を見ながら何やらニヤニヤと余裕の表情である。やられた。八大さんにまたハメられてしまった。公平に仕事を分担するような顔をして、結局殆どのメールを押し付けられたのである。悔しい。しかし今更できませんとは言いたくない。
えーい、もうどうとでもなれ。もう相手の文面なんて読まない。もうコピペメールを返信する自動機械になってやる。もしかしたらドイツ語やフランス語のメールに英語で返してしまうかもしれないが、仕方ない。数を捌く為には気にしない気にしない。
自分のミスは気にしない事にしたのだが、八大さんの様子は気になる。もうPC画面など見ていない。嬉々としてコピー用紙に何やら書いている。またお札でも作っているのか。あ、書いた紙をコピーし出した。そして紙とセロハンテープを持って椅子を引きずって、何処へ行く気だ。
部屋の一番奥の隅に行くと、椅子に乗り、天井の近くに紙をテープで張り付けた。やはり何か書いてある。何て書いてあるんだろう。と思っていると、別の隅に移動して、また天井近くに紙を貼りつけている。書いてる文字は同じだ。コピーしたんだから当たり前か。あ、また別の隅に移動した。また貼った。そしてまた移動し、結果部屋の四隅全ての天井近くにその紙を貼りつけた。そして八大さんは椅子を降り、こちらをくるりと振り返った。
「随分と余裕だね。他人の仕事を眺めている余裕はあるのかい」
「余裕は全然無いですよ。だけど気になるじゃないですか。何貼り付けてるんですか」
「キミが気にする事じゃないよ。ちょっとした嫌がらせだからね」
「余計気になるじゃないですか。何が書いてあるんですか」
「キミに対する嫌がらせじゃないんだから、キミが気にする事はないんだよ。それに書いてある文字くらい読めるだろう。読めなければ逆立ちでもしてみたまえ」
さすがに逆立ちをする気にはならなかったので、首をぐりんと下に捻ってみた。ああ、成程、これなら読める。逆様に張り付けてあるのか。
「でも、こんなの何の役に立つんです?」
紙には、『茶』と書かれてあった。
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