龍眠る宿 13
第13話 悪龍
事務所へと走り込んだ僕を、八大さんは不機嫌そうに迎えた。
「騒がしいな。走っても遅刻は遅刻だよ」
「すみません、あの、寝過ごしました。いや、それより」
「それよりって何だそれよりって。遅刻した者が言うセリフじゃないだろう」
「ああ、すみません、いやでも」
「それよりも、これを見たまえ」
八大さんは新聞の社会面を開いて見せた。大きな文字が躍っている。『新聞社社長自殺』。
「これって……」
「今日の未明に究明新聞社の山田社長が病院の屋上から飛び降り自殺したらしい」
「山田社長って、あのオロチの人ですよね」
「そうだ、キミがトドメを刺さなかったあのオロチだ」
「何で、せっかく助かったのに」
「命を助けたからって感謝でもされると思ったかい。生憎だが蛇にはそういうメンタリティは無いよ。言っただろ、手負いの蛇は祟るんだ。面倒くさい事にならなきゃいいがね」
面倒くさい事。それは昨日のあの話と関わってくるのだろうか。僕はおそるおそる聞いてみた。
「あの、八大さん……アヒって知ってます?」
八大さんは眉を寄せ、半眼でじとっと僕を睨んだ。
「あ、あの」
「全くキミと言う奴は、一体どこでそんな言葉を覚えてきたんだね」
「いや、昨日ちょっと」
「ちょっと何だ」
「その、誰かがアヒに目を付けられる様な事したんじゃないか、アヒに注意しろ、って言われまして」
「誰に」
「帝釈天らしいんですが」
八大さんは額に手を当てると、目を閉じ溜息をついた。
「あの馬鹿が勝手な事を」
「えーっと、帝釈天も神様なんです……よね?」
「ああ神様だよ。それもそんじょそこいらの神様じゃない。インドの神々の中でも最高位に居た英雄神インドラが仏教に取り込まれた姿が帝釈天だ。仏教でも梵天と並んで天部のトップに立つ偉い神様だよ。馬鹿だけどね」
「そんな偉い神様を、馬鹿馬鹿言っちゃって大丈夫なんですか」
「いいんだよ、実際そうなんだから。で、その馬鹿は他に何か言ってなかったかい。アヒに関する詳しい事とか」
「いえ、とにかくアナンタ龍王に伝えておいてくれと。アナンタ龍王って……八大さんの事で良いんですよね」
「昔の名前さ」
八大さんは鼻先でフンと笑った。
「しかしアヒに注意しろと言われてもな、それだけでは何に注意してよいやらわからんではないか。こういう所が馬鹿だと言われる所以なのだ」
「そのアヒっていうのも神様なんですか」
「アヒはインドの古い言葉で普通名詞だよ。『蛇』っていう意味のね。ただ帝釈天がアヒと言ったのなら、それは単なる蛇の事じゃない。ヴリトラの事だ」
ヴリトラ……どこかで聞いた気がする。ゲームだったか。
「インドの蛇あるいは龍と言えばナーガだが、アヒ即ちヴリトラはナーガよりも古い存在でね。大蛇とも龍とも言われているが、とにかく天の水を封じ込め、旱魃をもたらす悪しき怪物だ。聖仙がインドラを倒すために苦行の末に生み出したとも言われるだけに強大な相手で、実際インドラも何度も敗走している。しかも神々との間に和平協定を結んだ際には『木、岩、乾いた物、湿った物、兵器によってもヴァジュラによっても、インドラと神々は昼も夜も私を殺すことができない』と、インドラを始めとする神々に約束させている」
「あの、ヴァジュラって何ですか」
「インドラの持つ武器だよ。金剛杵とも言われるね。独鈷は知ってるかな。知らないか。独鈷とか三鈷とか五鈷で検索してご覧。そういう類の物だ。詳しい事は今度帝釈天にでも聞いてみるといい」
「はあ、なるほど」僕はようやっと自分の席に着いた。「それにしても神々との約束は無茶苦茶ですね。無条件降伏と変わらないというか」
「約束させたのはキミだけどな」
「え」
「ヴリトラと神々とを、那羅延天の前身であるヴィシュヌが仲裁して、こういう約束を結ばせたんだよ。もちろん、何の策も無しに結ばせたわけじゃないが、結果としてヴリトラが無敵の存在になったのは間違いない」
「それで、どうなったんですか」
八大さんは僕の顔を見てニヤニヤ笑った。
「何だい熱心じゃないか。どうした、責任でも感じてるのかい」
「いや、そんなんじゃないですけど、その、気になるじゃないですか」
「結論から言うと、インドラは黄昏時に泡でヴリトラを殺した事になってるね」
「泡で?」
「そう、泡で。昼でも夜でもない黄昏時に、木でも岩でも乾いた物でも湿った物でも兵器でもヴァジュラでもない泡で殺したのさ」
「泡でどうやって」
「これがよくわかっていないんだな。泡の中にヴィシュヌが居たという話もあるし、泡と一緒にヴァジュラを投げたって話もある。どっちにしても約束を破ってる気はするが」
「そもそも泡って湿ってませんか」
「さあ、古代のインド人はそう考えなかったんだろう。こればかりは昔の話過ぎて何とも言いかねるね。まあとにかく、ヴリトラはそのように討ち取られ、インドラの勝利が確定したんだよ。神々的にはあまり意味は無かったがね」
「意味が無かったって、勝ったんですよね」
「勝つには勝ったよ。それによってヴリトラに封じられていた天の水が流れ出して地上の河川は潤い、人間達は大いに助かった。ただね、ヴリトラは不死身だったんだ。殺しても時間が経つと生き返ってしまうんだよ。そしてヴリトラが生き返る度に天の水は封じられ、その度にインドラ即ち帝釈天はヴリトラを殺しに行かなければならない。もう様式美と言うかね。年中行事と言っても良いかな。とにかくヴリトラと帝釈天はそういう関係なのさ。だからヴリトラが何か悪巧みを企てているらしい、と帝釈天が気付いた事それ自体はさして不思議でもない。問題は何故それを我々に伝えて来たか、って事だ」
「僕らが目を付けられてる、って帝釈天は言ってましたけど」
「そんな覚えはあるかい」
「いえ全く」
「私もだよ。何だろうねこの気持ちの悪さは。ヴリトラの居場所がわかるなら直接会って話したいくらいだ」
「一体何が起きるんでしょうか」
「わからん。まあ取り敢えず、キミはしばらくここに泊まり込みたまえ。この建物の外へは一歩も出ない事だ。建物の内側というのはそれだけで結界だからね」
「こんな時、僕の中の神様は何もしてくれないんでしょうか」
八大さんは、脚を投げ出すようにデスクに乗せた。
「さあね、那羅延天が何を考えているのかまでは私にもさっぱりだ。キミの方がわかるんじゃないかな。なんたってキミ自身なのだからね」
「そりゃ理屈はそうでしょうけど」
プルルルル、電話が鳴った。このタイミングで。僕は身構えた。いつもなら一コールで出る八大さんも、三コールまで待って受話器を取った。
「はい、『龍のお宿 みなかみ』です。……ああ、萩原さん、どうも。はい、はい、え、また?いやまあ預かるのは何とかなりますが、はい、はい、は、放棄?何ですかそれは。はあ、はあ、うーん……わかりました、やってみましょう。取り敢えず今日ですね。はい、ではお待ちしておりますので。はい、よろしく」
随分と困惑した顔で八大さんは受話器を置いた。
「萩原さん、仕事の依頼だったんですか」
「まあ依頼には違いないが。さて、どうしたものか。そうだな」
八大さんは二つ三つ小さく頷くと、
「順番に潰していくしかないか」
と呟いた。
夕方、十トントラックに乗ってワームのココアが再びやって来た。宿泊が急に決まった原因は、もちろん山田社長が亡くなった為である。今日お通夜、明日が告別式で、社葬はまた別の日に行うらしい。となれば急な宿泊予約もとりあえず今日明日の二日間のみ、となるのが普通だと思うが、なんとホワイトボードに書かれたココアの宿泊期間は、無期限となっている。
無期限とはどういう事か。今回の依頼は山田社長の奥さんからのものだが、萩原さんの話によると、奥さんは元々ドラゴンを飼う事に賛成していなかったとのこと。それを山田社長が押し切り、半ば無理やり飼っていたそうな。しかしその社長が亡くなり、もはやこれ以上ドラコンに金を注ぎ込むような真似はしたくない、なので所有権を放棄するからうちで里親探しをしてほしい、というのが依頼の内容であった。なんと身勝手な。
「それでもね」PCに向かいながら八大さんは言う。「里親が見つかるまでの期間の宿泊代金は払うと言ってるのだから、良心的な方だよ」
キーボードが、ターン!と鳴る。
「よし、こんなものだろう」
僕は脱いだ防火服をハンガーに掛けながら尋ねた。
「何書いてたんですか」
「招待状だよ。マスコミ向けのね」
“関係者各位
明後日、十三時より「龍のお宿 みなかみ」の館内案内会を開催いたします。ご興味がございましたら、是非ご参加下さいますよう、お願い申し上げます。
「龍のお宿 みなかみ」 代表者 水上八大”
「どうだい」
八大さんは胸を張った。まるで自慢の大作でも読ませたかのような顔である。
「メールで送るにしたって、いくらなんでも短すぎませんか」
「どうでも良いのだよ、そんな細かい事は。要はこちらが見せてやるという意思表示をした、その事実が大事なのだ」
八大さんは少しむくれてしまった。
「それにしても明後日はちょっと急でしょ。もう少し時間的に余裕があった方が」
「だから良いと言ったらこれで良いのだ。後は思いつく限りのマスコミ関係にメールで送っておいてくれたまえ」
「え、僕が送るんですか。八大さんは」
「弁天堂に行って来る。あの先生にも参加してもらわなければならんからな。君は大人しくメールを送り続けるんだ。いいか、間違っても建物の外に出るんじゃないぞ」
「あ、お札どうします。例の足利さんの」
「ああわかった、剥がしておこう。だから絶対出るなよ」
そう念を押して、事務所から出て行ってしまった。
結局その日は一日、何事も無く終わった。翌日も朝から屋根を開けて、餌場の掃除をして、餌を入れ替えて、糞の掃除をして、といつも通りの作業をいつも通り行い、いつも通りの時間にいつも通り朝食を摂っていると、いつの間にか戻っていた八大さんから「キミには緊張感が足りない」と何故か文句を言われた。そんな事言われましても。
ココアは餌も食べているし、糞も出ているし、特に異常は感じられない。だが何処となく物憂げで元気が無い気がする。飼い主の死を理解しているのだろうか。それとも自分が捨てられた事に気付いたのだろうか。亡くなった山田社長はどんな飼い主だったのだろう。龍に敵意を持つ巨大なオロチ、それを本性に持った人物である。可愛がられていたのだろうか。ココアの姿を見る限り、特にこれといって虐待されていた様子は見受けられない。龍に敵意を持ちながら、それでもドラゴンに愛情を持って接していてくれたのだろうか。できればそうあって欲しいと願う。
またも一日は何事も無く終わり、僕は屋根を閉じた。あとはタイマーで照明が段階的に落ちて、最後には水銀灯が一つ残るだけだ。ココアは今日も丘の頂で一人眠るのだろう。
さて、問題は明日だ。明日一日をどう切り抜けるかが重要だ。と、八大さんに言ったら、
「キミはやはり自覚に欠けているな」
と呆れられた。
「欠けてますかね」
「欠けてるよ、欠けまくりだ」
「でも何を自覚すれば良いのやら」
「昼の日中にオープンカフェで、カプチーノでも飲みながら悪巧みをするやつが居ると思うかい。まあ実際には居るのかもしれないが、悪巧みとはそういうイメージではあるまい。悪事を行うには日が落ちてからが本番なのだ。それをキミと言う奴は、夜になったからといってもう明日の事を考えている。そういうのは前向きとは言わない。馬鹿と言うのだ」
何とも酷い言われ様である。
「でも具体的に何をどう注意すればいいんですか」
「何もかもだよ。靴を履くときには中に画鋲が落ちていないか確認する、廊下を歩くときには天井がひび割れていないか確認する、トイレに入るときには便器の中に毒蛇が居ないか確認する。万事そうやって安全確認をしながら行動したまえ」
「うわあ……疑心暗鬼になりそうですね」
「そりゃあ何と言っても天下の大悪龍ブリトラ様が出張っているのだ。疑心暗鬼なんぞは敢えて飲み込むくらいの気持ちの強さが無くてはなるまい」
「そうは言いますけど、実際の所どうしていいやら。て言うか、僕ら本当に目を付けられてるんですかね、何かの間違いじゃ」
「そうだな、キミが帝釈天に会ったというのが何かの間違いなら、そういう事もあるかもしれんな」
「……ああ、ですよねー。はあ。何で僕はこんな目にばかり遭うんでしょう。僕って神様じゃありませんでしたっけ」
「神様というのが天上界の花園で怠惰な日々を過ごす存在だと考えているなら、それは間違っているぞ。衆生に代わって苦難を引き受けるのも神の仕事だ」
「じゃあ僕がこの苦難を引き受けたら、誰かが助かるんですか」
「それは無い」
八大さんは鼻で笑った。
「ほらあ、もうー」
「腹を括りたまえ、それもこれもオロチの祟りだと思えば諦めもつくだろう」
「祟りってこういうものなんですか」
「祟りに形もルールも無いよ。キミが祟られてると思えばそれが祟りだ。例え何も起きなくてもね。ま、死んだ蛇を哀れだと思うなら、素直に祟られてやればいい」
「いやあ、それでも祟りは嫌だなあ」
こうして夜は更けてゆく。結局この日も何事も起きなかった。そして、翌日の朝日が昇った。
案内会は十三時からである。メールにはちゃんとそう書いてあった。にも関わらず、既に二台のテレビカメラと十人程のスタッフが玄関前で何やら始めている。
「おいおいまだ八時前だぞ」
「八時前ですね」
事務所でコーヒーを飲みながら、僕と八大さんは防犯カメラのモニタ映像を見ていた。
「こんな時間から何をしているのだ」
「ワイドショーで放送する映像でも撮ってるんじゃないですかね」
「ワイドショー? 何故そんな連中が来ている。地方の零細企業の広報イベントだぞ」
確かにその通り。いかにナリはでかくても、従業員二人の会社など零細もいい所だ。しかしそれを八大さんが意識していたとは、今まで知らなかった。
「ニュースバリューはあるんじゃないですか。週刊ビッグの記事だけならともかく、そのあと究明新聞社に謎の落雷があったり、その社長が謎の自殺してたりするんですから」
「遠回しに私が悪いと言ってるように聞こえるのだが」
「そんなに遠回しでもないです」
「キミは目上の者に対する態度というのを知らんな」
「知らなくても困りません」
そうこうしている内に八時台のワイドショーが始まった。さすがに冒頭のトップニュースにはならなかったようで、僕は大いにホッとしたのだが、八大さんはそれが気に入らなかったようだ。面倒くさい人だなあもう。
しばらく観ていたが、中々うちが映りそうにないので飽きてきた。テレビからモニタに目を移す。ココアの様子は特に変わりない。相変わらず丘の頂にぐるりと巻き付いている。外の様子も変化なしだ。今のうちにトイレでも行っておくかな。テレビの中ではスポーツ新聞の記事を紹介するコーナーが始まった。その最初の記事が大写しになる。
『社長自殺と謎の施設』
お、と思っているとカメラが中継に切り替わる。見慣れた景色が映った。うちの玄関前の映像である。スタジオと中継の記者が記事についてやりとりをしている。週刊ビッグの件と今回の自殺の件に繋がりがあるのかどうかという内容で、落雷については触れられていなかった。現場の記者が中継の最後に真剣な顔で言う。
「亡くなった山田社長がですね、最後まで追いかけていたと言われる疑惑、その疑惑について今回何らかの説明があるのではないか、と予想されます」
「そんな説明は無い!」
八大さんはニッと笑った。
そして十二時を過ぎた。えらい事になっている。防犯カメラのモニタの中は人、人、人だ。黒山の人集りとはこういう事を言うのだろう、いつもなら閑散としている玄関前には、マスコミの取材陣に野次馬も合わせて百人を下らないであろう人数が詰めかけていた。さすがの八大さんも呆れ気味だ。
「一体キミは何通のメールを出したのだ」
「思いつく限り送れって言ったじゃないですか」
「だからと言って、こんなに来られたのでは迷惑だろう。近所にも迷惑だし、私も迷惑だ。こんなのは地方紙の二、三軒も来てくれれば御の字だったのだが」
「朝のワイドショーで放送されたのが拙かったですねえ。あれで一気に増えた気がします」
「まいったな、これでは予定通りには行かんぞ。後は全部キミに任せるつもりだったのに」
「え、そんなつもりだったんですか」
「この状態でキミに任せたのでは、宿にとって致命的なダメージを与えかねんな」
今更どんなダメージを想定しているのか問い詰めたくなったが、疲れるだけなので止めた。と、突然モニタの中の人の海がざわめき始めた。もちろん音は聞こえないのだが、ざんざざんざと海鳴りが聞こえんばかりに人々が蠢いている。その真ん中を、あたかも雪の八甲田山を進むが如く、人混みを掻き分け掻き分け進む巨体があった。
「おや、珍しい組み合わせだな」
八大さんがそう言うのも無理はない。人の海の真ん中を突っ切って来たのは弁天堂の青木さん、その後ろの小さな影は先生だろう、そして三人目に歩いているのは、このモニタでは見慣れた顔、足利百子だ。
「それじゃ迎えに出ますね」
僕が立ち上がると、八大さんはモニタから目を離さず片手を上げた。
「ああ、行っといで」
玄関に着くと、さすがに表のざわめきが聞こえてくる。自動ドアのガラス戸の前に立てば、外の人々の視線が一瞬にして集まった。顔が引きつる。しかし先生は空気を読まずに笑顔で手を振ってきた。玄関の自動ドアのロックをはずし、ドアを手でスライドさせ、隙間を作る。
「お待ちしてました、どうぞ」
先生と足利百子を迎え入れると、そこにドドッと人波が押し寄せて来た。しかしそれを、青木さんがグイッと力で押し返す。ぐしゃりと嫌な音がした気がするが大丈夫だろうか。怪我人が出ていなければ良いのだが。最後に青木さんを迎え入れて、ドアを閉め、再びロックする。
「いやあ、大盛況だねえ」
先生は楽しそうだ。
「まさかこんなに人が集まるとは思ってもみませんでした」
「状況判断が甘いんです。近所迷惑にも程があるでしょう」
足利百子は不機嫌そうに、八大さんみたいな事を言った。
「はあ、面目無いです」
「まあまあ足利ちゃん、抑えて抑えて」
先生にそう言われて、足利百子は黙り込んだ。二人が知り合いだというのは知っていたが、その関係までは知らなかった。案外、足利百子は先生が苦手なのかも知れない。そう思うと、ちょっと楽しくなった。
「今日はずっと三人一緒に来たんですか」
「違うよ、ここの前まで来たら足利ちゃんが車の中で困った顔してたから、連れてきたんだよ」
今知った。足利百子も困った顔をするのだと。
「そう言えば、足利さんは今日は一人なんですね」
この間の夜中も一人ではあったが、それには触れないでおこう。
「これ以上人を増やしても混乱するだけでしょ」
足利百子はぶっきらぼうにそう言ったが、
「子分の人達は車の中で待ってるよ」
先生はあっけらかんと付け加えた。
「子分じゃありません、部下です」
ああ、やはりあの人達は部下なのか。そうだろうなとは思っていたが、改めて考えると凄い事である。あれだけの人数の部下を与えられるというのは、足利百子の県庁における立場というのは一体どういうものなのだろうか。
「細かいなあ、足利ちゃんは。そこが可愛いんだけどね」
先生の言葉に、足利百子は再び黙り込んでしまった。その時廊下の角、そこを曲がればすぐ客室という所から八大さんが声をかけてきた。
「やあみなさん、いらっしゃい」
「おう、来てやったぞ。有難く思え」
先生が応える。八大さんはニッと笑うと、皆を客室へと誘った。客室のドアは開け放たれている。と、突然先生が駆けだした。
「うわーい!」
そのまま一気に丘を駆け上がると、ココアの尻尾の付け根にしがみつく。
「ワームだワームだ! 本物のワームだ!」
まるで子供が、どこかの夢の国の着ぐるみにでも抱きついているかの様だった。だが抱きついている相手は全長十メートルの火を噴くドラゴンである。さすがに注意した方が良いんじゃないかと思うのだが、八大さんも青木さんも微笑ましく見守っているだけだった。
「あの、あれ、いいんですか、あれ」
「何がだね」
八大さんはキョトンとしている。
「いやいや、あれはどう考えたって危ないでしょ」
「よく見たまえ」
八大さんが指さす先は丘の頂、ワームのココアがしっぽの先でクルクルと先生を巻き取り、持ち上げ、それを自分の頭の上に運び、うなじの所に下ろし跨がせた。その間、先生は笑いっ放しである。
「どう思うね」
「いやまあ、危険そうな雰囲気じゃありませんけど、でも」
「わかりたまえ、あれはああいう存在なのだ。心配などするだけ無駄なのだよ」
「はあ」
言わんとする事はわからないでもない。そういう特殊な『存在』には、ここ最近出会いまくりなのだから。しかし先生もそういう『存在』なのだろうか。八大さんの言葉をどう解釈するべきか。そのまま真に受けてもいいのだろうか。だとしたら。なんだか不安になって来た。そんな『存在』は一体僕らの身の回りにどれだけ居るのだろう。その時八大さんは僕の肩をポンポンと叩くと、ニッと笑った。
「気にし過ぎるな。ここは八百万の神の国だからね、そこらに居るのが当たり前なのさ」
ああ、やっぱりそうなのか。
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