見出し画像

自己紹介とこれから書きたいこと

はじめに

柚子といいます、noteデビューです。
初投稿になるので自分について書いてみようと思います。
自分の整理も兼ねたら長くなりました、全部読まなくてよいです()
すきなもの 仕事のこと 趣味 嗜好レポ 過去のこと これからのこと …
なんでもありで更新していければと思ってます、!

プロフィール

年齢:24歳
職業:社畜
学歴:美大卒
身長:161cm
趣味:旅行 人に会うこと 嵐ヲタ 和太鼓 twitter
嗜好:梅酒 たこわさ 辛口ジンジャエール お茶
苦手:果物 こわい話 閉塞感 精神論おじさん

幼少期

両親が共働きだったので、保育園時代は夜居残り組の常連。
夕方迎え組が帰った後に給食のおばちゃんが作ってくれる
大きな塩おにぎりがだいすきだった。

性格は控えめで穏やか。泣かない子だとよく言われた。
(産まれた時も泣かなかったらしい、どういうこっちゃ)
基本受け身で、一番体のでかいヤンチャ野郎に投げ飛ばされ
大きなたんこぶを作って帰ったこともあった。

絵を描いたり、折り紙をしたり地味な遊びがすきで、
おばあちゃんちにあるチラシは全部わたしの落書き帳になった。
ピンクや黄色の色付きチラシは特に魅惑的だったし、
輪ゴムもダンボールも悉くわたしの餌食になった。

小学校時代

低学年は近所のヤンチャ2人が毎日のように家に遊びにきて、
よいこのチャイムまで騒いで遊ぶ日々。で、その幼馴染に初恋してみたり。
土日は毎週のように動物園水族館に連れてってもらい、動物好きが加速した。

中学年はワークショップに参加することが多く、学外の友人もできた。
この経験のおかげで視野がめちゃくちゃ広がった気がする。
学校では運動会の応援団に他薦されたが、
ポンポン持って踊るのがいやすぎて学校で初めて泣いたのも確かこの頃。

高学年、学校ではイジメを受けた。卒アルの寄せ書きにわたしのコメントはない。
そんなことより日能研の記憶が脳内を占める。
算数の先生についた「宿題やったけど家に忘れた」という嘘、
本気で叱られ一生嘘つかないと誓った11歳。先生、24歳まだ守ってます。
YouTubeが流行り出したのもこの頃で、カオスが恋しくなる。

中学時代

日能研で3バカだったわたし。奇跡的に繰り上がりで受かった中学。
ほぼ女子校といった感じで、しかも育ちのいい子が多かった。
社長令嬢なんて言葉は知らなかったし、女子校に入って同性愛の存在を知った。

部活はバトン部に入った。文化祭ではチアもやった。
小学校時代、運動会の応援団なんてぜったいやだと思っていたが、
嵐の完コピしたり踊ること自体はすきだったし、衣装も先輩もかわいかった。

中3の頃家族でハワイへ、修学旅行でオーストラリアにホームステイへ行った。
初めての海外だったし、物理的に自分がマイノリティーになる空間が新鮮だった。

あとよく覚えているのが校長が毎週のように言っていた、
「上を見ても下を見てもキリがないですからね」という言葉。
当時は何クソと思っていたけれど、大人になって少し理解できた気がする。

高校時代

わたしの暗黒時代、高校。
せっかくエスカレーター式の中高に入ったのに、高校受験もした謎経歴。
今考えると本当に理解できないし、結局受験失敗したし、
「失ってからその大切さを身に沁みて知る」経験をはじめてした。

高1の頃はまだよかった、一緒にいて楽しい友人もできたし、
クラスに自分のあだ名が飛び交ってるのが純粋に嬉しかった。
ただそんな時間も束の間で、理系はクラス変えろと言われた。文理クラスなのに。

2年から特進クラスへ移動した。当たり前だけどみんな頭がよかった。
勉強しかしなかった。部活も禁止で授業後も強制でゼミがあった。
毎日の小テストは常に100点を求められ、
いつも1問違いなわたしは学校が閉まるまで居残り、朝も一番乗りだった。

それでも100点はなかなか取れなかった。担任に、主任に、毎日詰められた。
高校3年夏、登校拒否になった。学校がいやになった。すべてが嫌いだった。
勉強はすきだったから家で勉強した。カテキョのおじさんが救いだった。

大学時代

美大に入った。
デザイン寄りの理系大学受験にデッサンが必要で、小学生の頃通ってた美術教室に
高校でまたお世話になった時、数学で美大受けられるよと先生が願書をくれた。
高3秋、ほんとに急展開だった。結局理系大学は全部落ちて、美大だけ受かった。
受験で初めて行った学校へ入ることに抵抗は全くなかった。

初めての授業は絵画だった。のに立体を作り始める人がいた。
衝撃だった。まだよく覚えている。やばいところに来てしまったなと思った。
常識を覆すこと、破ること、壊すこと、疑うこと、新しくすること。
普通なんかないんだと思った。作品も人も時間も全部刺激的な4年間だった。

要約するには濃すぎる。まとまらない。何を勉強したかと言えば、
デザイン、インタラクション、ブランディング、プログラミング、映像、学芸員。
テロが流行ってる頃に怯えながら行ったヨーロッパ周遊も思い出深い…
やれること全部やった、ほんとにたのしかった。キラキラして見えた。
中学時代エスカレーターでそのまま上がってたらきっと今頃薬学部出てた。

社会人

今年の春、社会人3年目になった。幸いやりたかった仕事に携われている。
業界も職種も伏せるけれど、正直割と社畜な方だと思う。

自分の体力的に大丈夫かなとか、メンタル持つかなとか、
30まで今の仕事できる?とか、ほんとにやりたかった仕事はこれ?とか。
1年目でがむしゃらに仕事をし、常に疲労状態の頭じゃ考えられなかったことが
いま自分に降ってきていて、25を目前にこれからの生活とかも考えたりする。

ほんとにしたいことをとるべきか、稼ぐために働くと割り切るか、
コロナが落ち着くまで一旦様子見るか、いっそ失業保険生活しちゃう?とか、
先なんかわからないんだから、いまの心に従うだけっしょ!とギャルになるか…
迷える24歳児、まだまだ奔走中!

さいごに

ザッとこんな感じで生きてきましたが、
自分が経験してきたことをこれから深く書ければいいなと思っています。

「共働きひとりっ子の本音」「イジメ」「中学・高校・大学受験」「登校拒否」
「就活」「一人暮らし」「社畜」とか、真面目な話題もお話できればと思いつつ、

「はじめてのヨーロッパ周遊」「ジャニヲタの現実」「今思えば草な恋愛談」
「ドツボジンジャエール探し」「固いプリン作り記」「洋服作り記」
「おばあちゃんっ子だった話」「結局家族がすきすぎる話」(めちゃ適当)とか、
しょーもない記事も思うがままに書けたらなと思っています。

最初に言いますが毎日更新とかはがんばれないので、
気が向いたら書く戦法でいきます!よろしくおねがいします、!

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?