見出し画像

閑話 フィクションは記憶の再現

フィクションはリアルと地続きだって思う。実際に空襲で家が焼けてすべてを失ったという人が、はるさんの着物がいつも綺麗で毎回違う、とモヤモヤするのは自分のリアルを思い出して辛くなるから、だと思う。モヤモヤするって、そういうことだし、人それぞれ。いろんな鑑賞があるのだから。

女学校時代の寅子が、花江との共演で『青い鳥』を演じてみせたという、直言の記憶の中での劇中劇や、女子部での新入生歓迎の『毒まんじゅう殺人事件裁判』だって、いわばフィクション・イン・フィクションである。どこまでリアルに迫れるかという以上に、どこまで観客の記憶に何かを刻むかが勝負なのかもしれない。

妊娠中の寅子が講演会の直前に倒れた場面で、医務室で目覚めた時のまばたきで「まつげが綺麗」って見ほれたけどさ。マスカラどこのだろうって。第59回で、はるさんが天に召されることになる夜、花江ちゃんに持ってきてもらった家族の写真を布団で抱きしめたとき、指先のクリアネイルが気になったさ。見ているこっちは手フェチだからしょうがないんよ。着物は「元々へそくりで反物から仕立てて着回す着道楽のご婦人が空襲で持ち物を焼かれずにすんだのならそれぐらい」と気にならなかった私だけど、ネイルはね。でも中の人にしてみれば、演じるって、そういうのもコミだし。

#テレビドラマ感想文

この記事が参加している募集

あなたのサポートは書いていくモチベーションになります。