【自分と向き合う編】自分で選んだ服を着ていいのでしょうか?その2
今まで、そんな質問受けたことがない。
まん丸い占い師は、それこそ目をまん丸にして答えた。
今までの事情を説明し、とりあえず、これから、自分の思うようなファッションやメイクを取り入れることで、変な縁が生まれてしまわないか見てほしいとお願いした。
結果は全くそんな心配はない、ということだった。
それを聞いて、わたしはとても安心した。
こうして、34歳にして、服を選ぶこと、メイクをすることに対する意識作りがはじまったのだった。
さて、ここまで読んだだけで、違和感を覚える方もいらっしゃるのではないか。
そもそも、そんな占いを信じるのか。
そもそも、相談するような内容なのか。
そもそも、心療内科とか病院に行ったほうがいいのではないか。
そもそも、そんな簡単に安心できるなら、今まだってチャンスがあったのではないか。
ごもっともである。
ただ、わたしにとっては、ごもっとも、ではなかっただけで。
一応、わたしなりの理由があっての行動だったのでしたためておこうと思う。
占い、特に占い師さん達に対する認識についてを説明する必要があるだろう。
わたしにとって占い師さん達は「お金を払えば話をそれなりに客観的に聞いてくれ、他人の人生を沢山知っているおじちゃん、おばちゃん達」である。
占い師さん達も人間である。中にはこちらの話を理解しようともせず、自分の意見を押し付けてくる人、一見さんは1回しかタロットカード切らないぞと決めている、お仕事モードの人。様々であるが、まぁそれも人生経験としてお金をお賽箱に投げ入れたと思うことにしている。
仕事の都合上、結婚するまでは全国を飛び回っていたせいもあって、全国各地、たくさんの占い師さん達にお会いした。
彼らも大変だ。負の感情を押し付けられる仕事でもあるので、飲み込まれてしまっている方もいる。
そんな中でもたまにいらっしゃるのだ。
お会いしただけで、玉のような光輝くオーラがあり、ただ、人を幸せにしたいだけなんだな、と見ただけで分かる方が。ただ、そんな方に出会えるのはかなりラッキーである。
さて、話は戻すが、つまり、占いに行くということは、わたしの中では自分の実生活に無関係、かつ、人生経験豊富な、大人の人にお金を払って相談にのってもらうという工程なのである。
わたしは、最近はできるだけ実生活で関わりのある人達にも「相談」をするようにしているが、いままでは基本的に、全く「相談」をしてこなかった。
心配を掛けたくなかったのと、自分を否定され拒絶されたらどうしよう、というどうしようもない恐怖心からである。
そう、一番近いはずの肉親、友人、職場の人間。その全てが恐怖の対象だったのだ。(夫は仕事以外に関しては相談できたが、仕事だけは相談できなかった)
何故そんな風に思ったのか。これも母からの教えの一つである、
「感情論はいらない」
というのが原因なのだが、この話はまた後程にしようと思う。
さて、そんな中でも占い師だけはお金さえ払えば話を聞いてくれる存在。もっと早く話をしておけば、こんなことにはならなかったのではないか。
違うのだ。もっと早くも何も。外見を変えようだの、自分のセルフイメージがどうだの。自分に対して本当の意味で意識が向いたのが、ここ最近だったというだけの話なのである。
どういうことなのか。
伝えるのが難しいが、
要は、わたしは鏡に映った自分の顔や身体を3秒も見ていられないぐらい、わたしがわたしを認めていなかったのだ。
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