【自分と向き合う編】自分で選んだ服を着ていいのでしょうか?その1
わたしは姿見を見て悩んでいた。
もう、かれこれ11年以上同じ会社で働いている。
仕事は好きだったので、ずっと打ち込んできた。自分としてはスキルも経験もあると自負している。
転職した方が今の給料の倍以上の市場価値がある、らしい。
ただ、わたしが転職に踏み切れない理由が一つあった。
わたしのわたしに対するイメージと、会社の上司や同僚が持つわたしに対するイメージの乖離が酷すぎたのだ。
数字に強く、どんな仕事もテキパキこなすデキル人で、そして、怖い人。
これがわたしに対する評価だ。
わたしからしたら、誰やねんそれ、である。
わたしは、みんなが気持ちよく働けてたらいいなぁ、とお茶でも飲みながら番台の上からにこにこと周りを見ている、銭湯のおばあちゃんの気持ちで働いているのに。
11年も働いた会社で、自分のイメージを思うように形成すらできないのに、他社に行って、意味があるんだろうか。
このご時世にお金をもらえることや、転職先がある、働ける場所があるだけでも感謝しろというお言葉を頂戴する覚悟はある。
だが、これはわたしの人生だ。自分なりに、一日たりとも手を抜いたことのない仕事の話だ。
わたしの納得がいくように働きたいのである。
そして冒頭の鏡のシーンに戻る。
外見を変えるべきなのだろうか、と。
洋服、メイク道具、バッグ、に至るまで。
セルフイメージを形成する物の8割方は母が揃えたものだった。
ちなみに、わたしは結婚して8年目である。
母と仲がいいのかというと、そうでもなく。年に2~3回会う程度。
ただ、何年も前に買い揃えられたものを、使えるからという理由と、自分で選べないからという理由で使用しているだけだ。
なぜ、わたしは、自分で服を選べないのだろうか。
鏡を見て、ふと思い出した。
「あんたは水商売の女だから」
幼少期からわたしはそう言われていた。
わたしが誕生したときに、母は占い師に鑑定を依頼したらしい。
良いことも悪いことも言われた中の、悪いことに「水商売が向いている子」というのがあったらしい。
当時、水商売につく女の子への評価は今とは全く異なるものだった。
だからこそ、娘をそんな職業につかせるわけにいかないと、母はわたしを教育したのだ。
「あんたは放っておいたら、露出の高い服を着て、金遣いも荒くなり、男をたぶらかし、自分を安売りするに決まっている。だから私が管理してあげているのよ!」
つまり、こういうことで今に至る。
わたし自身、水商売に対して偏見はない。
ただ、どういう意図で占い師がそのような事を言ったのか。
自分の納得のいく外見にしてしまうと、変な男が寄ってきてしまうのだろうか。
それは、非常に困る。怖い。
服を買おうかなと思ったとき、あの母の蔑むような眼と怒号が思い出される。
本当に自分で選んだ服を着ていいのだろうか。
そして、タイトルが、まったくもって関係のない、まん丸い占い師さんに質問として投げかけられることになったのだ。
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