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【ボランティア編】他人の決めた道と自分で選ぶ道の話 その1

この子の、勉強からかけ離れた態度は、中学卒業まで続いたが、

その頻度は回を重ねるごとに減っていった。

高校受験を控えていた、ということも重大な要因の一つではあるが。

わたしが接し方を変えずに見守ったことも要因であったらいいな、

とは思っている。

わたしは、勉強をせずにいるその中学生に対して、

さほど、「勉強しなさい」とは言わなかった。

他のボランティアスタッフに「勉強しなさい」と怒られるときは、

一緒に並んで怒られるぐらいには言わなかった(笑)。

これは、わたしにとっては初の試みだった。

何が初めてかというと、

一般的な規律に反した行動をとる、ということがだ。

わたしは小心者なので、

ルールは出来るだけ守るし、

世間一般的な、こうしなさい、ああしなさい、に関して、

随分と従順な生き方をしていたと思う。

なぜならば、前回の記事にある通り、怒られたくないからだ。

その一心だけである。

ただ、同時にこうも思っていた。

「お前ら、それだけ色々言うなら、ちゃんと責任とれよ?

こっちはお前らの言う通りにしてやってるんだからよ!」

半ギレでそう思っていた。

わたしのそんな表出を見て、

多くの人は「真面目な人だ」という評価をなさったが、

そう言われることには違和感しかなかった。

真面目?

違う、こんなのは、

八つ当たりとか逆恨みとか怒りとか憎しみとか、無責任とか

そんな言葉がお似合いだろう、と常々思っていた。

ただ、その結果、

仕事で店舗運営の仕方を会社方針に全て委ねてみた結果、

降ろされることになった。

つまり、とやかく色々と言ってくる連中は

責任をこっちに押し付けてきたのだ。

それも、無自覚に、だ。

そして、その結果は、これまでの人生の中で、

わたしにとって、一番明確な答えをくれた。

他者の言うことを聞いても、結局は実行する自分の責任になる。

それは、わたしが、一番確信したかったことだった。

頭では分かってはいたのだ。ただ確信がなかっただけで。

何せ、親の言うことを聞かないと、

死んでしまうと本気で思って成長してきているので、

誰かの言うことを逸脱してはならない、

ということを刷り込まれてしまっているので。

誰かの言うことを聞かなくてもいい。

聞いても、それは自分にとって安住の地ではない。

なんとしても、この確信に至らなければ、

次のステップには進めなかったのだ。

そして、役職を賭して、ついにその確信を得たわけだが。

学んだことはすぐに実践する、というわたしの特性に基づき、

わたしが選んだ人生最初の逸脱は

その子と一緒に、勉強をさぼって、ガールズトークにいそしむことだった。

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