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マロオケのこと vol.5

親しくさせていただいている週刊プレイボーイの元編集長である島地勝彦さんは週刊プレイボーイを100万部の雑誌にした伝説の編集長で、今はエッセイストであり、バーマンでもある。

島地さんは講談社の「現代ビジネス」というウェブマガジンでゲストを招いて対談をされていて、お洒落極道の島地さんに歌舞伎者のマロさんを会せたらおもしろいと思ったわたしは島地さんにマロさんを紹介し、対談が実現した。

それは2014年の夏のことで、対談は予想通りに盛り上がり、ファッションのオリジナリティという点でわたしのジャッジでは島地さんの敗北で、マロさんのほうが上手だったと思う。それはマロさんの特注コブラバッグが決定打となり、島地さんも自分が負けたと思ったと思う。

 *対談は、http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40318

対談後、講談社の瀬尾さんとわたしとの4人で食事した後、島地さんとしては珍しく、食事後もマロさんを対談場所であるサロン・ド・シマジ本店(島地さんの仕事場)に招いた。

対談が終わり、食事が済めばそれで終了なのにゲストであるマロさんを再びサロン・ド・シマジ本店に招いたのは、マロさんもメガネ好きだからだった。

島地さんは熱烈なメガネオタクで、自身のメガネをマロさんに自慢したかったからだが、島地さんのメガネコレクションは確かにすごい。メガネだけで100か200はあり、ヘンテコなものから名品まで様々なメガネがひとつひとつ収納できる専用のボックスに陳列されている。

島地さんのマニアックなメガネトークについて来れる人間はそうはいない。わたしなど、自分がメガネを必要としない視力1.5の持ち主なのでメガネ自体に興味を持ちようがない。ところがマロさんはメガネにも詳しい。

趣味が合うと思った島地さんは大喜びで自分のメガネコレクションを引っ張り出し、マロさんに大いに自慢をした。わかってくれるひとを前にさぞかし嬉しかったのだと思う。

しかし、もうひとつ、島地さんは口にはしないが、マロさんにファッションのオリジナリティで敗北したという自覚があったのだと思う。負けず嫌いの島地さんはメガネで勝ちたいと思ったに違いない。

そんなわけで15時からスタートしたその日は、夜の10時過ぎまでマロさんと島地さん、そしてわたしは一緒にいた。

実はその対談のおかげで、今回のマロオケ東京初公演がある。

なぜなら、この対談のときまでわたしはマロさんと長い間ご無沙汰してしまっていて、対談企画のためにわたしはマロさんに連絡を取ったのだから、対談がなければわたしは一生マロさんと会う機会はなかっただろう。

その再会をきっかけに昨年は銀座王子ホールで「マロのパーフェクト・ブラームス!」としてブラームスのバイオリンソナタを1番から3番まで全部と、さらにFAEソナタのスケルツォまで弾くという文字通り全曲を演奏するリサイタルをやっていただいた。

ピアニストにはロシア人のイリヤ・イーティンを迎え、すばらしい演奏となった。マロさんの弾くブラームスを全部聴けるというのは今後あるかないかわからない、言ってみれば最初で最後のような企画だったので、これを聴けたひとはとても幸運だったと思う。

さて、島地さんは「編集者とは妄想で生きている」というようなことを言っていて、その妄想を現実にするのが優れた編集者だと言っていたと思う。うろ覚えだから、言葉は違うかもしれないが、とにかくそんなことを言っていた。

それを聞いて、コンサートプロデュースも編集者と同じだと思った。これが聴けたらおもしろい、絶対に感動する、お客さんが驚く、そして喜ぶ。そういう妄想がビッグバンのように無から頭の中で誕生し、それを現実のコンサートにするのがプロデュース。妄想がなければ何も始まらない。

それは妄想だから規制がない。頭の中では何でも思い描くことができる。それを現実にするために、現実でできるギリギリのところまでやる。破綻寸前のエッジスレスレと言っていいだろう。そこにおもしろさやサプライズがある。

既存のオーケストラだとそういうコンサートでないのかもしれない。そこには事務局があって、指揮者がいて、つまり多くのひとがどの曲をどのように公演するかを考える。それがあるから、コンサートは通常、フォーマットができあがってきて、形式的になる。

ところが今回のマロオケはわたしの妄想から始まっていて、その妄想がマロさんとも響き合って、「おもしろい! やろう!」となったから一般的なコンサートとはまるで内容が違う。

そもそもモーツァルトのシンフォニーを6曲などとはアホがやることだ。常識的じゃない。そんなコンサート、聞いたことがない。一体何を考えているんだ?

しかし、それができるのも事務局が運営するようなオーケストラでないからで、主催がわたしひとりだからしがらみもなく、制約がないの一言に尽きる。要するに企画に文句を言う奴がいない。

それにマロオケそのものが常識はずれだと言っていい。国内プロオケからトップ奏者を集めて、指揮者も置かずにシンフォニーをやってしまうのだから、マロオケがマロさんの妄想から始まって実現したものなのだ。

そんなマロオケで型通りのコンサートをやってもつまらない。だったら、モーツァルトを6曲やってしまおう。しかも古典であるモーツァルトはマロオケが最も得意とするもので、実力を思う存分に発揮できる。

お客さんが未体験のものをやりたい。未体験の驚きこそが、一生の思い出になる。2016年5月5日のサントリーホールのマロオケはすごかったと、脳裏に入れ墨のように消すことのできない感動を刻み込みたい。死ぬまで鮮度が落ちない強烈な感動。もっと言えば、来なかったひとを腹の底から後悔させるような感動。

そして、このコンサートの曲順についても、わたしには大きな妄想があった。それはとにかくそうなれば最高だという確信に興奮する妄想だった。

                         (vol.6に続く)

マロオケ2016公式ホームページ http://maro-oke.tokyo/

マロオケ2016公式フェイスブック https://www.facebook.com/marooke/

チケットぴあ マロオケ2016 http://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=1540527

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