"ひとつの中国"のワナ
世界を巻き込んだ戦争から80年の月日が流れ、すっかり平和な日常が定着した日本が実現しているのは大変喜ばしいことだろう。
とはいえ、現実をよくよく認識すると大陸では北に共産主義、南に資本主義が対峙する構造を持つ地域に日本は取り囲まれている。
例えばこれらがそうだ。
朝鮮半島
大韓民国(資本主義陣営)
北朝鮮民主主義人民共和国(共産主義陣営)
アジア
中華民国(資本主義陣営)
中華人民共和国(共産主義陣営)
なぜ、両陣営で対立が起こるのかは簡単で、どちらが優れているか、そして仲間を増やしたい、せいぜいそんなところである。
なんとも子供の争いのような理由のように思えるだろう。
しかし、これは単純だが実に複雑な問題を孕んでいる。
違いと人権問題
民主主義でかつ自由主義経済であれば、国民一人一人に政治に参加する権利が当然に付与されているはずだ。
自由主義経済なので、例え権力を持つ誰かが持つ商売に喧嘩を売るように同じ商売を立ち上げたところで、法の範囲ならなんの問題も無い。
むしろ、提供する品質と価格をお互い切磋琢磨して競うから、その恩恵は消費者が受けることになる。
カルテル・トラスト・コンツェルンといったものは禁止されているが、これは競争を棚に上げて消費者から利益を貪ろうとする行為を禁止しているから機能している。
このように、法がすべてを支配する民主主義的で資本主義的な社会は、時の権力を手にする一部の人間によって競争を乱されることが無い設計であって、国が国民個人に対して不当に理由もなく不利益を与えるような仕組みでは無いはずだ。
一方で、共産主義はすべてが平等という原則に基づいた思想であるものの、一部の人間が指導者となってそれを実現するという矛盾した設計であるのが特徴だ。
法よりも優越する指導部が存在している時点でお察しである。
日本の義務教育で受けた両主義の違いを、簡単におさらいしてみればそうなるだろう。
資本主義経済のモノの価値
一般に物の価値は、原料価格と費用を原価として、消費者の需要に基づいてその量を供給する。
その際、売れなければ生鮮品ほど価格を下げるだろう。
売れずに製品の品質の限界が迫れば廃棄するか、そもそも製造自体を廃止せざるを得ない。
逆に、売れれば価格を安定させることができるし、様子を見て上乗せすることも検討しなければならない。
新製品の開発や研究費用、新たな社員の雇用や工場設備の増強を含めた投資を行い、より良い発展をしていく必要があるからだ。
供給が間に合わなければ、商品価格に上手く転嫁する形で供給を増やすほかないだろう。
このように、マルクスが言う「俺達が頑張って作ったものだから尊い価値があるんだ」という、じゃあそれは具体的な値段にしていくらなんだよとツッコミをいれたくなる脳筋主義とは次元が違うわけだ。
人権抑圧で実現する原価ゼロ化
法よりも指導部が優越する国の体制下では、原価ゼロでモノを生産することが可能になる。
国や体制、指導部に対する反発を力で捻じ伏せることが出来るからだ。
製造から店番まで、指導部の命令とあれば従わなければならない。
また、模範的な人間は指導部側待遇にしてもらえる特典を設ければ、密告や自発的な監視、私設裁判すら勝手にやってくれるだろう。
民衆の監視はコストがかかるが、互いに監視をさせれば手間を省ける。
ただ、皆がおとなしく言う事を聞いてくれている間に限るが。
あとは報酬として、勲章、特権、配給を与えさえしていれば、しばらくこの仕組みは回り続けるだろう。
原価ほぼゼロが実現すれば、世界に有利に販売できる。
その利益が国の利益として手に入るが、それを国民にそのまま配ってしまうと、勲章や特権、配給だけではそのうち指導部の言う事を聞いてくれなくなるのは明らか。
なので、ひたすら権力側が富を貯めこむ構造になるわけだ。
資本主義自由経済にとって害悪でしかない
原価ゼロでモノを供給できる存在は、人件費を負担してモノを生産する資本主義自由経済圏の人間にとって害悪でしかない。
理由はすでに話した通り、人間一人一人の自由を犠牲にして作られたモノを安く売るのは、商売以前の問題だからだ。
これが、明らかな資本主義と共産主義が互いに絶対に相容れない理由でもある。
少し考えてみれば理解できるはずだが。
武力での現状変更の禁止
ここまで話してようやく本題に入ることが出来る。
国際法や国連憲章では、他国への武力による現状変更を禁止している。
例えば、もともと自分の国の領土だったからとか、ただ気に入らないからと、武力をもって他国に侵攻し、国境線の変更を実力で行うことは明確な国際法違反だ。
こうした違反に対して、侵攻される国は武力で応じることが出来る。
"ひとつの中国"のワナ
過去に第二次世界大戦直後の混乱の中、中華民国がその領土を施政下に置いていたが、ソ連の支援を受けた共産勢力と内戦になった。
結果、中華民国政権は台湾島へと追い込まれてしまう。
以降、国連憲章に署名した中華民国はそのまま台湾島にて現代まで続く。
これを中華人民共和国が、台湾も我々もひとつなのだと主張し始めた。
まるで、人情的に胸熱くなる展開なのかと思いきや騙されてはいけない。
賢い方はもうお察しだと思うが、同じ国という建前なら武力侵攻しても国際法や国連憲章違反になることは無いというロジックにほかならない。
つまり、台湾島にいる中華民国の連中も同じ中国の一員だと国際社会に浸透させれば、堂々と人民解放軍を使って台湾島を制圧できる。
そこに海外諸国が文句を言う筋合いは無いという理屈を作りたい。
それこそが、彼らが主張し出した"ひとつの中国"という言い回しだ。
台湾島の中華民国を無血且つ速やかに併合したい、それが叶えば次は日本の先島諸島か、あるいはその両方か。
この卑劣で強引な手法に騙される日本人がどれだけいるか調べてみたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?