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2月26日「脱出の日」にちなんだ超短編小説

 しまった。気づいた時にはもう遅い。鍵がかけられている。あまりの出来事にわたしの動きは止まる。全身が恐怖でビリビリする。

 鍵をかけた張本人がガラス越しにこちらを見つめ、にたりと笑う。何も分かっていない。これの意味するところを。その余裕、いつまでもつか。

 スマホはさっき取り上げられた。外部と連絡するすべはない。近くに人の気配もない。

 こういうこともあると、噂に聞いていた。だからいつも気を付けていたのに、今日に限って油断していた。自分に腹が立つ。

 鍵をかけた張本人にガラス越しに話しかけてみる。刺激しないように、やさしく、やさしく。

 相手はこちらの言葉を聞こうともせず、こちらを見ようともしない。さっきわたしから取り上げたスマホをいじくりまわしている。しかしそうしていることに飽きたのか、ゆっくりした足取りで去っていった。姿が見えなくなる。

 姿が見えなくなったことで不安が倍増する。わたしの見えないところで何をするつもりなのか。命の危機を感じる。早くここから脱出しなければ。

 もう一度、こちらに来るよう訴えかけるが、聞き入れてもらえない。なんの対策もできないまま時間だけが過ぎていく。

 周りに人がいないか、見回すがやはり誰もいない。大声で叫んだら誰か来てくれるだろうか。しかし近所の人はみな、学校や仕事に出かけているはずだ。

 いっそのこと飛び降りるか。いや飛び降りて、頭でも打ったりしたら。意識不明になったらここに戻って来られなくなる。

 やはり壊すしかないか。本音を言うと壊すのは最後までとっておきたかった。壊した後がいろいろ大変になる。しかし、そんなこと言っていられない。こうしている間にも危機は刻一刻と近づいているかもしれない。

 壊すのに役立ちそうなものはないか、あたりを見渡す。ここにあるのは、大量の布と長い棒。布を手に巻き、素手で壊すか。壊せるか? 棒は長すぎて扱いづらそうだ。

 あれこれ思案していると遠くから悲鳴が聞こえた。体が恐怖で固まる。

 一体、何をしているのだ。動悸が早くなる。どうにかしなければ。
悲鳴が大きくなる、ここからじゃ何も見えない。何が起きているのか分からない。
 どんどん、と強くガラスをたたく。鍵をかけた者に大声で訴えかける。わたしの声は悲鳴にかき消される。
 
もう、壊すしかない。決心を固めた、そのとき。

「どうかしましたか」
優しい女性の声。
おとなりさん、いたんだああああ。
「すいません、助けてください。息子が窓に鍵かけちゃって、中に入れないんです。」
ほっとして泣きそう。

 たまたま仕事を休んでいたお隣さんが、こちらの様子がおかしいことに気づき、ベランダから声をかけてくれ、すぐに大家さんに連絡してくれた。大家さんもすぐ合鍵をもって駆けつけてくれた。チェーン掛けてなくてよかった。助かった。

 合鍵を使って部屋に入ってきた大家さんに窓の鍵を開けてもらい、すぐさま悲鳴のようにギャン泣きしている2歳の息子のもとへ。ケガをしたわけでもなさそう。母親がいないことで不安になっただけか。ほっとした。

 大家さんが帰った後、お隣さんにもお礼を言いに行き、ようやく緊張が解ける。
 
 ベランダで洗濯物を干している時に、息子が窓に鍵を掛けてしまい、わたしはベランダに閉め出されてしまったのだ。ああ、こわかったぁ。
 息子ももう泣き止んで、画面が真っ暗なままのスマホをべたべたと触っている。
 のんきなものだ。ったく誰のせいでこうなったと思っているのよ。腹立たしくも、息子に何もなかったことに安心して、小さな体を強く抱きしめた。

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