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ジョージオーウェル著【1984年】を読んだんだが凄すぎたから書評



過去は存在しない。
記録と記憶にしか存在せず、その二つがなくなった場合、過去という事象は綺麗に消え去り、まったく存在しないことになる。
未来も同様存在しない。
果てしなく今という瞬間が続いていくだけだ。
by俺



人間の強みとは、主観にある。
お金がなくても、幸せだと思い込めば幸せであり、不幸だと思ってしまえば不幸になる。
この主観最強説を突き詰めると、2+2=5だと思い込むこともできる。

これと同じように、
この小説のエンディングには全く正反対の二つの解釈が存在する。

俯瞰でみれば結末はバッドエンドかもしれないが、主観でみればハッピーエンドと捉えることができる。なんて皮肉なエンディングなんだ!と俺は衝撃を受けた。

この世に存在する歴史や記録がすべて嘘だった場合、真実とは頭の中で作られる物語でしかなくなる。つまり、真実を小説のように自由に書き換えることも可能になってしまうわけだ。
2+2=5であり、白は黒になり得る。この映画の結末が、ハッピーエンドでもありバッドエンドにもなり得るのと同じ理由で。
だが、個人一人が自分に都合の良い真実を書き換えてもその幸福はいっときの快感で終わり、永続しない。
だからこの小説の世界では、党という組織が生まれた。書き換え可能な真実を共有して永続させる、ビッグ・ブラザーが生まれたのだ。

この小説は全体主義や監視社会の恐ろしさを描きながら、それが正しいとも間違っているともどっちとも言い切れない脆弱の恐ろしさまで徹底的に描き切っている。

幸福という言葉があるから、同時に不幸という言葉も存在してしまい、自分が不幸だと定義し思い込んでしまう。
幸福も不幸も実際には存在しなくて、どっちも自分の頭の中にあるのだ。
だったら、そもそも幸福という概念自体をなくしてしまえばいい。
自由という概念をなくしてしまえばいい。
結婚しなければ離婚することもない、イケメンという意味がなくなればブスという意味もなくなる、という考えのように、隷従が当たり前になった社会では自由や幸福といった概念は存在しないのだ。
欲望に限界がないように、理想は新たな理想を生み続けるだけだから、
本当の理想郷とは、理想自体がいっさい存在しない世界のことをいうのである。

党の支配者は、この権力と隷従しか存在しない理想郷を実現するために、ニュースピークという英語に変わる新しい言語を作った。
ここで読者は疑問に思う。
なぜ言語なのか?
人はみんなものごとを考えるとき、頭の中の辞書を開いて言葉を並べながら考えていく。
つまり、言葉を知らなかったら、ものごとを的確かつ効率的に整理することができなくなくなる。人の思考はつねに言語に依存しているのだ。

サピアウォーフの仮説という言語学の理論がある。
これは新しい言語を学ぶことによってその言葉の意味を知るだけでなく、考え方も変わるのではないか?という仮説である。
例えば分かりやすい例を挙げると、学校の授業とかで英語を学んでいるとき、「英語は日本語と違って動詞が先にくる」と教わる。

私は(主語) + りんごを + 食べる(動詞)
I(主語) + eat(動詞) +a apple

のように英語では文章の一番大事な"目的"となる部分が先にくる。つまり、英語の順列でものごとを考えるとき、アメリカ人は目的をハッキリさせてから逆算して思考していくということになる。
だけど、日本語は目的が最後に出てくるから、目的を修飾するものばかり先行して出てくる。
つまり、これが原因で日本人はなかなかイエス、ノーをはっきりできず遠回しにものごとを考えてしまうのである。
サピアウォーフの仮説に則れば、英語を完璧に学べば、まず目的をはっきりさせてからその目的を実現させるためにどうすべきかを逆算していく、という考え方を身につけることができるのだ。

さて、小説ではこのサピアウォーフの仮説を利用して、新しい言語を浸透させ国民が服従することにそもそも疑問など持たないよう思考自体を変えてしまおう、という恐ろしい政策が行われるのである。

ディストピア作品はたくさんあるが、どれもこれも薬や洗脳、テクノロジーなどで人々を統制するというチープで浅い設定が多い。
教育や宗教で人々を統制する、という設定は実際に現実社会がそういう仕組みで成り立ってるのでフィクションとしての面白さが半減する。
ここでジョージ・オーウェルは思いつく。
「新たな言語を作ることで人類の認識自体をひっくり返したらみんな隷従するのが充実した生活だと思い込むから、いちいち統制したりしなくて済むんじゃね?」
天才すぎるだろ。しかもこれ、70年前に書かれた小説だぜ?

この新しい言語ニュースピークでは、相反する二つのことを同時に考えるという"二重思考"っていう造語が出てくるが、これも人の頭の中が常に矛盾しまくってる理由を提示してて面白すぎる。
この小説の設定はフィクションだが、書かれているのは紛れもない真実ばかりだ。
まさにディストピア小説という枠を飛び越えた思想書。
1949年に書かれたとは思えないぐらい、完膚なきまでにすべてが熱烈に書き込まれた傑作だった。


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