アナログな世界の君⑯

急に千代が走るのをやめて、立ち止まる。
車が急に止まれないように、予期せぬ事に僕も止まれなくそのまま千代に後ろから突っ込んだ。

「きゃっ!?
聡!?」

千代から声が上がる。

「いってえな……急に止まるなよ……
こっちも必死だったんだぞ……って」

目の前になかなか見れない景色が広がっていた。
花畑だ。
規模はそう大きいものではないのだが、急に現れると立ち止まるのもうなづける。
僕たちはその花畑に頭から突っ込んだ。

「ほんと痛いじゃないですか……
ちゃんと止まるときは止まってくださいね」

軽い説教じみた事を千代に言われたが、その顔は笑っていた。
僕はこの笑顔が見れただけで、突っ込んだかいがあったと思う。

「ごめん……次から気を付ける……
それにしたって急に止まりすぎだ
千代にだって非があると思うだが」

その笑顔を返すように、少し抗弁を立て笑顔を見せた。
お互いに笑った顔を見ながら、再度こみあげてきたような笑顔を浮かべた。
幸せな時間だった。
なにもかも忘れてしまうくらい。

「あはは……おかしいですね……
聡はもっと体力をつけてください」

にこやかに厳しい事を言ってくるじゃないか。
千代の目に涙がにじんできた。
笑いながら泣きそうになっている。
笑い泣き、という訳ではなさそうな雰囲気だ。

「どうしたんだよ……急に泣きそうになって……」

僕の視界も少し滲んて来た。
僕ももらい泣きという訳ではないみたいだ。

「聡だって……なんで泣きそうになってるんですか……んっ」

自分でもなぜ涙があふれてくるのか分からないのに、人に説明できるわけないだろう。

「泣いてないし……泣きそうにもなってないし……ばっかじゃねぇの……」

感情的な言葉が口をついて出る。

「馬鹿ってなんですか……ばかって……」

千代も涙を必死にこらえながら言葉を紡ぐ。
お互いに終わりのなさそうな論争を始めることになった。

「馬鹿だから馬鹿って言ったんだよ……この馬鹿」

どこかで聞いたことのあるようなフレーズが僕の口から出る。

「馬鹿っていう方が馬鹿なんです!」

するとこれも聞いたことのあるフレーズがかえって来た。
そして千代は泣きついてきた。
いきなりだったので僕は驚いた。
そしてそのまま花畑に押し倒されるような構図になった。

「おいっ……いきなりなんだよ
泣くんじゃねえよ……」

泣きながら笑ってる千代の顔を見ながら、僕も限界が来て泣いてしまった。

「泣くなって言っている人が泣いているじゃないですか……
朝なんだかひどい事を言ってしまって……嫌われたと思って……
辛くて辛くて……」

ちゃんと自分の言っていた事がひどい事ってわかってくれたなら、僕はもう何も言わない。

「嫌うはずなんてないだろう……反省してくれているのなら
それで僕は構わないよ
そんな気にするなよ……それに地味にかっこよかったと思うぞ
特に目のあたりが」

実際見ていて怖かったが、思い出してみたら意外とかっこいい目をしていた。
ここまで笑ったのは初めてかもしれない。
ここまで感情に任せて泣いたのも初めてなのかもしれない。

「そうですか……?
嫌いになりません?
かっこよかったですか?」

すべて疑問形でかえって来た。
そこまで心配をしなくても大丈夫なんだがな。
前に気持ちを打ち明けただろう。
意味を分かっていないかもしれないがな。

「嫌いにならないし
かっこよかったよ」

僕の胸の上で泣いている千代の頭を撫でながら僕は言った。
千代はそのまましばらく泣いていた。
僕はその間、目の前に広がる空を見ていた。
何も起きていない綺麗な世界がそこにはあった。

泣きつかれたのかそのまま僕の上で眠ってしまった千代。

「疲れてたんじゃないか
ほんと仕方ないやつだ」

僕は千代が起きるまでそのまま寝かしつけた。

いつまでもいられるような空気感。
穏やかな風と日差しが差し込んでくる。

「んんっ……ここは……」

千代が目を覚ます。
目を覚ました千代の第一声はひどいものだった。

「なっ、なんなんですか!?
なんでこんな!?
はっ……まさか疲れ切った私を手篭にしようとしたのですね……
油断も隙も無い人です」

まったく……人の上で勝手に寝て、目を覚ましたかと思うとひどい事を言って来やがって。
一体何なんだと言いたいのは、こっちのセリフだ。

「やっと起きたか……よく寝ていたものだから
仕方なくそのままにしてやったのによ……全くひどい話だぜ
今度その辺で疲れて倒れそうになってても助けてやらねぇからな」

そういって体を起こす。

「なっ……倒れそうになっていたら助けてください
けど……ありがとうございます
じゃあもう帰りましょうか
いい時間だと思いますし、気分転換にもなったでしょう」

顔を背けながら千代は言った。
分かりやすく照れているのが分かる。
そういうわかりやすい所も可愛いから好きだ。

「そうだな……帰るとするか……
だが今度はおいていくなよ?
疲れてまた後ろから突っ込むかもしれないからな」

立ち上がり、そろそろと歩き始める。
千代も立ち上がり、僕の後をついてくる。

不思議な場所だった。
まるでお互いに隠していたものが露わになるような場所だった。

「ほら早く帰りますよ
お腹が空きましたので」

そういうと千代は早々とかけていく。
置いていくなと言ったのに置いていくとは。
話を聞いてないにも程がある。

「おいおい……また走るのか……待ってくれよ
こんな危ない道を走るとこけるぞ」

言ったそばから千代が、木の根に躓いて転んでいた。

「痛い……」

言わんこっちゃない。
思いっきり気持ちのいいくらいのこけっぷりに笑いそうになった。

「ぷぅ……大丈夫か?
立てるか?」

こけている千代に手を差し伸べる。
その手をむすっとした顔で取る千代。

「なんですか……今少し笑いましたよね……ひどいです」

起き上がりまた歩き始める。

「そりゃちゃんと注意したのに
あんな綺麗にこける方が悪いと思うぞ
けがはないか?」

あんな綺麗にこける人を見るのはなかなかない。
千代の隣を歩き、けがなどしていないか気にかけた。

「もう大丈夫です……歩けますよ
もう置いていきません……」

歩いていると千代の手が僕の手に当たる。
どきっとしながらも勇気を出しきれない僕。
ここで手を伸ばして手をつないで山道を降りるなんて、そうそう体験できるものではないだろう。

「千代?危ないから手をつながないか?
そしたらお互いにこけれるし、こける確率が低くなるだろ」

千代の手に僕は手を伸ばす。

「そうですね…手をつなぎましょうか……」

手をつないで非日常のけものみち歩いている。
こんなに歩いたかという感覚があってもう家に着いているような時間だと思うんだが。
二人でいる時間が長く感じられるだけなのかもしれない。

盛りの木々の切れ目から夕日が見える
遠くから列車の音が聞こえる。

「遠くで列車の音が聞こえますね……
きっとこの森を抜けて高台からの景色はいいものでしょう」

千代は言った。

「何だ?
もう少し寄り道でもしていくか?
そうだ明日は列車に乗ってどこかに行ってみないか?」

僕はうきうきしながら聞いてみる。
こちらの世界の景色も少しは見てみたいからな。
見たくないものばかり見ているようじゃ辛いからな。

「どこかにですか……うーん
どこが良いのでしょう……
初めは近場の方がいいのでしょうか?」

そうだな……僕の方は右も左も分からない時代だし、土地だしそちらの方がいいのかもしれない。

「まぁ帰ってご飯でも食べながら考えるとするか
早く帰らないと怒られそうだからな……
きっとああいう大人しいお母さんっていうのは怒ると怖いんだぞ」

大人しい人が怒ると怖いのは世の常なのかもしれない。
なにをするのか分からないという事である。

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