アナログな世界の君③
それを聞いた瞬間に、この子は危ない場面に遭遇したのだと分かった。
それについて行ったら、きっと泣いて戻ってきたんだろうな。
親切な叔父さんがわいせつな叔父さんに変わった瞬間だった。
「そういうのは危ないからついて行かない事……東京は危ないからな……知らない人について行く事はしない方がいい」
「そうなのですね…危ないのですね……ほてるは危ない所なんですね……」
別の事を刷り込んでしまった気がする。
後自分が言っていることが自分にも刺さっている事に気が付いた。
「知らない人について行かない事が大切なんですね……わかりました!気をつけておきます」
「よし……それでいい」
千代は理解してくれたみたいだ。
その顔はどや顔でなにか信用はできなかったが。
「じゃあ行こうか千代……早くしないと電車が来ちゃう」
先に階段を上って振り向いてみると、まだ階段の下に千代がいた。
どうしたのかと思い戻って声を掛けてみると、きょとんとした顔をしていた。
「知らない人について行ってはいけないと言われたので……」
「それを僕に適応するんだったら、千代はどうやって渋谷まで行くんだ?」
僕は呆れたように千代の手を引いて、階段を上った。
千代はそれをふり払うようなことはせずに、素直に手を引かれていた。
「あなたが言った事をあなたが破ってどうするんですか……よくわかりませんね」
千代は少し顔を赤らめて息を上げていた。
少し走るのが早かったみたいだ。
けど電車に乗り遅れる事だけは避けたい。
別に次のがすぐに来るのだが、こんな格好の子と一緒にいると目立つ。
「ほら……そんなことは気にしない……早くいくよ」
「あなたはせっかちですね……そんなに急がなくても来るのではないですか?
少し落ち着きなさい」
いや…君がもっとまともだったらこんなにはなっていないよ。
僕たちがホームに上がると電車の来るアナウンスが鳴っていた。
すぐに乗車するための列に並ぶ。
「こんなに人がいるんですね!?」
千代が周りの人の多さに唖然としていた。
この程度で唖然としていたら渋谷とかに行ったら、失神するんじゃないのか。
そうこうしている間に電車の自動扉が開く。
人が雪崩のように電車から出て来て、真ん中で渦を巻いてまた電車に入っていく。
それに押しつぶされないように僕たちも、その渦に入ってなんとか電車に乗る。
「ふぅ……なんとか乗れたな……」
周りの乗客にもみくちゃにされながら千代の手を離さなかった。
「はぁあああ……なんですかこれえええ……」
千代はもみくちゃにされて手が離れた。
電車の中の方に行った方だ。
また探すことしないといけない。
だが今回は電車内だからな……。
声を上げて千代の名前を呼んだ。
すると二号車から聞こえてくる、
向かってみると、そこには袴が脱げそうになっている千代がいた。
「大丈夫か?」
僕は千代に手を差し伸べる。
「いたっ……ほんとなに何なんですか……おしとやかさが足りないのではないのは?」
千代は一人でぶつぶつしゃべっている。
千代の手を引きづって開けた場所に立って、身だしなみを整えた。
「とりあえず見つけれて良かったよ……」
「なんですか……なんなんですか…この人のゴミ……座れないし押されて大変でしたよ」
千代は袴を着なおしながら愚痴を垂らしていた。
だが、窓から差し込む夕日が車内を照らした。
「わぁ……綺麗ですね……」
何事も無かったかのように窓から空を見て感嘆している千代がいた。
「そうだな……綺麗だな……それより服の方は大丈夫なのか?」
「大丈夫です……少し汚れただけです」
服の裾についた誇りを払い落としている。
しわしわになった服をしっかりと伸ばそうとしていた。
“渋谷、渋谷”駅のアナウンスが聞こえてくる。
「ほら渋谷に着いたぞ」
「ここが渋谷なんですね……人が溢れすぎてませんか?」
当たり前だ、ここが東京の中心のようなところだからな。
人が溢れかえっていない方がおかしい所もある。
僕はこの雰囲気、人が多い事が嫌いなわけではない。
人に囲まれていると、劣等感だったり、虚無感などが緩和されるような気がするからだ。
「千代はこういう人が多い所は嫌いなのか?」
僕は聞いてみた。
「別に嫌いという訳ではないのですが……こういうのには慣れていないものなので」
辺りを見渡しながら千代は口を開いた。
まるで目新しい物を興味津々で見ているかのように。
目がキラキラと輝いていた。
「まぁこういうのに慣れているという方が少ないのじゃないかな
慣れているというよりもうこの人混みに安心している人が多いのじゃないのかな」
僕は自分のスマートフォンの画面を見ながら言った。
「人混みに安心している?
それはどういう事なのですか?」
興味がありげに千代は僕の方を見てきた。
その視線がまぶしくて久しくそんな目を見ていない気がした。
目を合わせることをせずに、スマートフォンの画面をみていた。
「ほら……あれだよあれ……」
僕は抽象的な表現をしてごまかした。
千代に言っても分からないかもしれない。
そんな気がした。
「あれとは何なのですか?
はっきりとしないものなのですか?」
食いついてきてなかなか離れない魚のように。
しつこく聞いてきた。
「周りを歩いている人が急にいなくなったりしたらとか、
いつもあるものがそこからなくなってしまったらっていう心理だよ」
めんどくさがりながらもきちんと答えてあげた。
「確かに……そういう事からいうと、ここにいる人達が消えると驚きますよね
いつも見ている人たちからしたら、それはそれで不安になるのかもしれませんね
それで言いますと、今自分はそんな状態なので不安でいっぱいです!」
笑顔で目をキラキラさせながら僕にそう言ってきた千代。
不安でいっぱいという風な顔には見えなかった。
「そうか……なら早くおばあちゃんに会いに行かないとな」
そっけなく返事を返してみた。
「そうですね……会いに行かないとですね」
少し千代が落ち着いた所で、音楽と共に列車がホームに入ってくる。
いつも通り満員電車だった。
まるで缶詰のようにぎちぎちに詰め込まれた列車にさらに人が詰め込まれていく。
そんな中に僕たちもいた。
人の波に押されながらもはぐれないように、見失わないように千代が後をついてくる。
千代が何かを言っているようにも思えたが、列車の発車の汽笛。周りの人の声などでなにも聞こえなかった。
何とか列車に乗れて落ち着いた所で、列車は発車した。
ぎちぎちに詰まった車内は、人の匂い。汗の匂い。香水の匂いなどが凝縮されなんとも言えない匂いがしていた。
次の駅をが車内の電光掲示板に流れてアナウンスも鳴っている。
天井からぶら下がっている広告紙も開いた窓からの風を受けて揺らいでいた。
特に千代との会話もなく、いや会話ができるという空間ではなかった。
ただ駅に着くたびに新しく入る人と出ていく人にもみくちゃにされながらなんとか車内に踏みとどまっていた。
周りの人は千代を見ても不思議そうにはしない。
いい意味で他人に興味がないのだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?