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挑戦したい


今年、学生最後の夏休みを迎える訳だが、ひとつ挑戦したいと思うことができたので、報告という形で文章に残すことにする。

その挑戦したいということは、
「noteの有料記事を書く」
ということである。

これまでその挑戦に踏み切らなかったのは、
何となく、自分の文章力や伝えたいことに自信がなかったということと、何となく文章とお金を天秤にかけることに抵抗があったから、このふたつの理由からだった。

文章力に自信がなかったと言ったが、今でも、劇的に自信がついたかと聞かれれば答えはNOだ。
ただ、言葉や文章が好きで、その好きなことを形にすることを諦めきれなくて、こうしてnoteに残すようになった。
大学1年生のころにnoteを書き始めて、途中離れてしまった間にも、文章と触れ合って、自分と向き合うことをたくさんしてきた。noteを再開して、少しではあるが、文章の質が上がった感覚があるのと、実際スキが多く付いた記事もあり、手応えがある。もちろん、スキ返しを期待している層もいるだろうし、単純に評価されているということは出来ないかもしれないけれど、反応があるという自信が、自分のモチベーションを高めているのは間違いない。

2つ目の、文章とお金を天秤にかけることに抵抗があったというのも、ある意味、自分自身の文章への自信のなさの表れということできる。
自分は本や漫画にお金を払って、読んでいるというのに、大きな矛盾である。
私は、ここ1年で、本のイベントに足を運んで、知ったことがある。文章だけに絞って、仕事をする以外の選択肢があるということだ。普段、別の仕事をしながら、文章に関わることはできるのだ。その事実に、気持ちが突き動かされた。もちろん、文章に人生をかけることはかっこいい。だけど、それだけが正解とは限らない。実際、普段たくさんの種類の刺激がある方が、書きたいことも増えるし、人間としての豊かさも高まるはずなのだ。

どんなに人気があっても、刺さる人と刺さらない人がいる。逆に、知る人ぞ知る作品だったとしても、誰か1人に刺さっていれば、それは書いている意味があるのだと思う。私はそんな文章を書きたい。

私は今まで、自信があるから、お金を得るという選択肢を取るのだと思っていた。
しかし、そうだろうか。価値を決めるのは、読む側なのだ。どんなに、自信がある文章だったとしても、それが他人から見ても価値があるとは言いきれないはずだ。買った人を後悔させたくないと思って、有料記事を書かなかった。ところが、そもそも、買ってもらえると思うこと自体が自惚れなのだ。実際は、読みたいけれど、お金を払うのはちょっと…という層が多いのでは無いだろうか。なんという勘違いだろう。

という訳で、この夏の間に、少なくとも、有料記事をひとつは書きたいと思う。
ここまで色々思いを綴ってきたが、全ての記事を有料記事にするということはしない。
正直な気持ちをを言うと、読んでもらえるだけで嬉しいのだ。
ただ、お金を取る以上は今まで以上に文章力を磨く必要がある。自己成長をするためにも、有料記事を書くという、新しいステージに向かっていってもいいのではないかと思った。
想像と違った場合、有料化は1記事でやめてしまうかもしれないし、様子を見ながらという形になるが、一応驚かせないためにも(そこまで私の文章を読み込んでくれている方がいるのかは定かではないが)、文章にしておこうと思った次第だ。

これからも、文章を書くことを続けていきたいという気持ちは変わらない。言葉も文章も大好きだ。

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