見出し画像

【行き方解説付き】パイミオのサナトリウムの当時の暮らし。本当に"機能的"であるということ。

パイミオのサナトリウムはフィンランドの機能主義建築の代表作として、また建築家アイノ、アルヴァ・アールト夫妻の出世作としてよく知られています。パイミオのサナトリウムが名作と言われる所以は、単にフィンランドに機能主義建築をもたらしたということだけでなく、使う人の気持ちや心地良さを機能主義建築の言語に融合させた「人間的な機能主義」を結実させたことにあります。
ユネスコ世界遺産にも登録されている同建築は、現在パイミオ・サナトリウム財団によって管理運営され、見学ツアーが提供されています。今回こちらのガイドツアーに参加してきたのですが、サナトリウムの中でどのような暮らしが営まれていたのかがよく理解できるとても良いガイドツアーでした。

アールト建築の中でも、車がないと少し行きづらそうに思える場所にあるのですが、ヘルシンキから日帰りで訪れることが可能です。記事の最後に行き方を載せていますので、興味を持たれた方はぜひ訪れてみてください。


時代背景

戦後フィンランドでは結核が流行し、1930年代になっても、多い時には年に10,000もの人が肺の病気でなくなっていました。独立したばかりのフィンランドにとって、特に働き盛りの若い人たちが結核で亡くなっていくことは深刻な問題となり、政府は収入に関わらず全ての人が療養できるサナトリウムを建設することを決めます。
サナトリウム建設にパイミオの地が選ばれたのは、その立地環境にあります。当時、結核には有効な治療法が確立されておらず、新鮮な空気を吸い、太陽の光を浴び、適度な運動をすることが最も有効な手段だと考えられていました。とにかく新鮮な空気を絶えず肺に送り込んで病原菌を追い出すために、豊かな白樺の森が広がるパイミオの地が適していると考えられたそうです。また、周辺に川があることも利点でした。近隣住民への感染を防ぐために、サナトリウムは周辺の環境から十分な距離をとり、さらに水処理設備も独立させる必要があったからです。


今でもサナトリウムの周りには豊かな白樺の森が広がっています

サナトリウムのコンペは初めクローズに行われていたそうですが、最終的には広くコンペを行うことになり、そのため当時まだ30歳だったアールト夫妻もコンペに応募することができました。サナトリウムの設計には、建築だけでなくインテリアや家具のデザインも含まれていました。対面に立つのはアルヴァの方だったようですが、妻のアイノは色彩計画やフロアプランで重要な役割を担い、二人が細部に至るまで細かに相談し協働していた記録が残されています。

サナトリウムでの暮らし

当時、サナトリウムでの生活はとても厳格なものだったそうです。患者の仕事は「回復すること」という強い目標があったため、主担当医は非常に厳しく結核治療にあたり、患者の1日の行動を細かく決め、サナトリウム内には様々な決まり事があったそうです。
例えば、一日三回、最上階のバルコニーで新鮮な空気を吸う呼吸療法を行い(真冬には毛布の寝袋を使って、マイナスの気温の中で行われたそうです)、体調に応じて決められた時間の散歩と日光浴を行い、さらに適度なアクティビティも必要だと考えられていたので、木工やメタル、織物のワークショップにも参加。これら全ては必須条件で、体調の問題を除いて、やりたくないから参加しない、ということは認められていなかったそうです。

呼吸療法が行われた最上階のバルコニー。真冬はマイナス何十度の中で行われたそうです。

患者はサナトリウムに数ヶ月から数年滞在することになるため、サナトリウム内には非常にクローズなコミュニティができていたそう。各フロアごとに歌やフラッグを作ったり(そのうちの一つのデザインはアールトが担当したとか)院内ラジオも放送されていたそうです。
男女の仲になることも珍しくなくて、散歩デートをしたり、ということもあったそう。クリスマスには食堂でクリスマスパーティを行い、映画を上映して、主治医たちも交えたダンスパーティーが開かれていました。
サナトリウムは外部との接触が遮断されていたので、人と人との交流はきっと本当に大事だったんだろうと想像できます。中には精神を病んでしまう人もいたそうで、そうした人は、バルコニーには出られなかったそうです。
サナトリウム内の厳格なルールを取り締まる院内警察のような人もいて、でもやはり酒やタバコを我慢できない患者たちが、使われていない暖炉にお酒を隠していたというエピソードもあるそうです。(ちなみに主担当医は超ヘビースモーカーだったらしいですが)

天井高が6mある開放的なカフェテリア。カラフルなサナトリウムの中で、食堂はモノトーンを基調としてたようです。大きな壁に映画を投射して鑑賞していたそうです。

人間的な機能主義

こうしたサナトリウム内での暮らしを知ると、建築は細部に至るまで、日光がよく入ること、衛生的であること、そして患者の心を癒すこと、という「機能」を最優先していることがよく分かります。

機能主義といえば、直角直線的なデザイン言語に特徴づけられたりしますが、サナトリウムの中ではむしろそうした直線構造は排除されています。でもそれは優しさの演出というよりもむしろ、角に埃がたまらないようにすること、面を拭き取りやすくしてとにかく院内を清潔に保つことを優先していたからです。

曲がり角を曲面にすることで、埃が溜まらず、拭き取りやすくしている。


見えづらいですが、病室の床も角が丸くなり、埃がたまらないようになっています。


またとにかく空気を絶えず入れ替え続けて、日光を浴びることが最も大事だと考えられていたから、暗くなりがちな階段の踊り場は一面がガラスで設計されており、とても明るくなっています。中には国内で製造しきれない大きな窓ガラスもありドイツから輸入していたものもあるそうです。ちなみに、この理由から真冬でも窓は開け放たれていることが多く、院内はとても寒く患者から苦情が出ていたそうです。

開放的な階段の踊り場。
エントランスの有機的な形の受付が特徴的ですが、これは50年代になってアールト事務所によって改築された際に付け足されたもの。

しかしもちろん、衛生面を保つ、日光や新鮮な空気を取り入れることだけが優先されたのではなく、患者にとっての心身の快適性も最も考慮すべき「機能」として追求されています。
特に印象的なのがサナトリウムの色彩です。色彩については、画家のエイノ・カウリア(Eino Kauria)が協働していて、特徴的なフロアの色彩計画が残されています。

リノベーションを繰り返したことでオリジナルの色彩の多くは失われているそうですが、2015年に行われた大規模なリサーチで、オリジナルの色彩についてかなり多くのことがわかってきています。
(参考:PAIMIO SANATORIUM COLOR RESEARCH 2015 1/2, 2/2
中でも面白いエピソードが、サナトリウムを特徴づけているイエローの床。オリジナルの色はほとんど失われているそうですが、元は厚い黄色のラバー材だったようです。ただ、アールトはこの床材を発注してから、やっぱり変えたい、と思い発注をキャンセルしようとしたそうですが間に合わず、カウリアによればアールトは床材の黄色は間違いだった、とまで言っていたそうです。

間違いだった、と言われた黄色の床。

とはいえ、暗くなりがちな病院で患者の心を癒し前向きにするという目的のために、色彩が非常に重視されていたことがわかります。様々な色のコントラストを見つけるだけで、本当に気持ちが少しわくわくとしてきます。

ドアの色はパイミオブルーと呼ばれています
こちらの読書室は床以外はオリジナルの色で復元されています。天井と柱の色のコントラストが面白いです。
病棟はフロアごとに色が塗り分けられていたそうです。

他にも、パイミオチェアが結核患者の呼吸のしやすを考慮して作られていることや、患者の手に触れることを考慮して、当時主流だった鉄パイプによる家具の脚を木製にしたことは有名です。
「結核を患い、閉鎖的な病院にいる患者にとって何が心地よいか?」を考えたときに、心が明るくなるような色彩や、明るい日の光がいっぱいに差し込む空間、暖かくて座り心地の良い家具、という答えはとてもシンプルです。
こうしたシンプルで当たり前のように思えるけれど、実現されていなかいことに気づき、まっすぐで合理的な答えを見据えて、さらにそれを技術とデザインで実現させた、ということがパイミオのサナトリウムが「人間的な機能主義」を確立した、と言われる所以だと思います。

パイミオチェア。引用:https://www.alvaraalto.fi/en/architecture/paimio-sanatorium/

結核の治療法が確立されてからは、サナトリウムは病院として使われるようになり、70年代には近代的な病院設備を導入するために内部は大幅にリノベーションされています。

1930年代の病室
1970年台の病室

そして2015年に完全に病院としての機能を終えました。
現在は文化遺産として保護管理されつつ、カフェテリアにはレストランが入っており、地元の人たちで賑わっている様子でした。

カフェテリアは現在レストランとして開放されています。平日でしたが、ランチを楽しんでいる地元の方達で賑わっていました。

建築のディテールとか、アールトにとっての転機となった仕事、という点でももちろん興味深いパイミオのサナトリウムなんですが、なぜそのデザインが必要だったのか、どんな暮らしがあったのか、というストーリーを想像することの面白さを改めて感じました。行けて良かった場所の一つです。

ガイドツアーと行き方

現在、パイミオ・サナトリウム財団によってガイドツアーが提供されており、事前予約が可能です。(こちら
11:30〜のツアーのみ英語で行われるので、そちらに参加するのがおすすめです。(2023年現在)所要時間は1時間〜1時間半です。

公共機関を利用する場合、ヘルシンキ市内から高速バスで約2時間でパイミオのバス停に、そこからタクシーで15分ほどでサナトリウムに到着します。
行き方自体は難しくないのですが、周辺にあまり何もない場所のため、躊躇される方もいるかな、と思いましたので、下記に行き方の詳しい解説を載せました。今後訪問される方はよければ参考にされてください。

まず、高速バスのチケットを購入します。当日にバスの運転手さんから買うことも可能かもしれませんが、私が乗車した際は結構混み合っていたので、事前のオンライン購入がおすすめ。(チケット購入はこちら

HelsinkiからPaimio motorway junction 11 まで購入します。便によりますが、片道15€程度です。

カンッピの高速バスターミナルへ。

Kamppiに到着したら、標識に従ってバスターミナルへ向かいます。高速バスはメトロの向かい側にあるエスカレーターを降りた先にあります。
チケットに記載されている停留所ナンバーを探します。掲示板に出ているバスの番号と行き先を確認します。バスが到着すると、乗り場のドアが開きます。

バスが来たら運転手さんにチケット(メールのレシートでOK)を見せます。パイミオで他の人が降りないこともあるので、念の為「Paimio motorway junctionで停まってください」と運転手さんに言っておくと安心です。
停留所が近づくとバスの中でもアナウンスは流れますが、念の為、到着時刻に近くなったら注意しておくと良いです。

バスで1時間半〜2時間でパイミオのバス停に到着します。ここからサナトリウムまではタクシーを使います。時間に余裕があれば到着してから電話するでも大丈夫ですが、不安な方は前日にタクシーを予約してください。
タクシー会社(英語対応可能):Lounais-Suomen Taxidata Oy
電話:+35820010041
「パイミオの高速バスのバス停にいます。ヘルシンキ方面からの高速バスの降り場に来てほしいです。パイミオのサナトリウムまでいきたいです」と言えば通じると思います。

本当に何もないところなので、もし居場所がうまく伝わらなければ、バス停近くにあるガソリンスタンドの駐車場に来てもらうと良いと思います。ガソリンスタンドにはスーパーや飲食店も併設されています。

バス停の場所が伝わらなければ、Neste K Paimioに迎えに来てもらうと良いと思います。

タクシーで15分ほどでサナトリウムに到着します。タクシー代は片道約20€です。

帰りは、サナトリウの受付でお願いすればタクシーを呼んでもらえます。バスの時間の30分前にサナトリウムに来てもらうようにお願いすれば十分だと思います。
帰りのバスは同じくPaimio motorway junction→Helsinki までのバスをオンラインで購入します。
私の時は、すぐそこだから、ということで上述のガソリンスタンドで降ろされました。帰りのヘルシンキ方面のバス停はガソリンスタンドの真裏にあります。

バス停裏のガソリンスタンド。SUBWAYなんかも入っているので時間は潰せそう。
ぽつん、とあるバス停。時刻表も何もないので不安になりますが大丈夫です。バスが来たらしっかり手を挙げて、乗りますとアピールをします。

ちなみに、ガイドツアーを予約した際、「宿泊ができる」という情報を見かけました。今回はちょっと遠慮したのですが、次の機会には泊まってみたいかも。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?