「結婚したい」という言葉がきらい

今年、私は22歳になる。

この年にもなると、周りの同年代の人からは「結婚」という言葉が飛び出してくることもままある。
私の周りでは、特に女性が多い。ライフプランに「結婚」を見据えて就職活動をする人もいるくらいだ。他にも、マッチングアプリで日夜めぼしい人を探す人もいる。

それは、別に全然いいと思う。
今回はそういう人にやんややんや言いたい訳じゃない。

ただ、自分の中の気持ち悪いくらいに潔癖な違和感の話がしたいだけだ。


「結婚したい」と人が言う時、そこに相手の顔は映っていない。ことが多い。
その時彼ら彼女らが見ているのは、結婚後の自分の生活、自分の理想だ。

何が言いたいかといえば、「結婚したい」という人にとって、結婚相手は「手段」でしかないということ。それがなんだか気持ち悪い。そう思ってしまう自分も気持ち悪い。
でも、嫌なんだ。なぜか、どうしようもなく。

既に付き合っている人がいて、「この人と結婚したい」ならそうはならない。なぜなら、その相手が「手段」ではなく「目的」だから。
そこに嫌悪感は帯びない。

だから、正直なことを言えば、「結婚なんて別にしてもしなくてもどっちでも良かったけど、そうしたいと思える人に出逢ったからしました」というのが理想だ。クソ面倒臭いな。なんだこいつ。


だから、結婚というものに相手もいない内からギラギラしている人を見ると、私は一歩引いてしまう。人生設計の根幹に関わることだから、必死になるのも分かるのだけれど。
別にお前が引いてもこっちはお前と結婚しねえよってのもそりゃそうなのだけれど。

とはいえ、そもそも私はあんまり結婚したくない。(正確には、子どもが欲しくない。若干、反出生主義っぽい思想入ってるから。)
だから、そういうのに気持ち悪さを感じるのかなーと思ったのだけど、多分そうじゃない。

だってそもそも「彼女ほしい」「彼氏ほしい」も嫌いだから。
せめて「好きな人欲しい」って言えって思っちゃう。

好きな人もいないくせに、「彼女ほしい」って言うより、大好きな人がいて「あの子と付き合いたい」の方が、まだ人を大事にしてる感ない?
自分だけなのかなーこの感覚。

私は結婚ヘイトはあっても、恋愛ヘイトはないので、つまるところそういうことだ。

自分の理想の為に、他者を手段として見ている。
そういう感じが嫌い。

でも、恋愛や結婚以外のビジネス面だったら多分そうは思わない。
だから多分恋愛や結婚に対するどっかしらの神聖視も自分の中にあるんだろうな。はー、恥ずかしいね。


それにしても、本当にそんなに結婚したいか?
結婚のメリットがよく分かんないなー。やっぱり子どもか。

ひとりで生きるのが淋しいなら、友達でも恋人でも同棲すればいいだけじゃないとか思うけれど。まさにそれが書いてる小説なのだけど。


と、言いながら「お前は絶対結婚する」と旧友に言われ続けているんですけども。これで案外3年後とかにしてるかもしれないですね。だとしたら、このnoteも滑稽だ。


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