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「僕」が手放せない唯一の

眠れない。だから文字でも書こうという訳だ。

https://note.com/yuzu41060/n/nd3a80c9dc35a

先日書いた上の『「ボク」のペルソナ』という記事の続きと言えば続きであるし、そうでないと言えばそうでないとも言える。眠れないけど眠くないわけではないから支離滅裂なことを言っているのはある程度見逃してほしい。

どうでもいいけど、noteの改行ってなんでこんななんだろう。使いづらい。ブログに慣れてないだけなのかな。


それでは本題。

前の記事で僕は、人に合わせて仮面を付け替えるような、演じ分けるような、自分の空虚性を嘆いた。一貫性のある人間になりたいと。

ところが、僕は元々、めちゃめちゃ空気を読むタイプの人間ではない。

嫌いな人間と仲良くするフリもできないし、そもそも嘘もあまり好きではない。自分の意見があれば、基本的にははっきり言う。

…最近はそうでもないんだけど。まぁ元来僕はそういう人間だった。

それは大人になるにつれて変わってきたところで、その(成長と呼ぶべきかは疑問の余地がある)変化についてはまた別の機会に書くけれど。

という訳で、自分は割と周りに比べて「自分を持っている」自負がむしろあった方である。周りに流されることがないわけではないが、自分には自分なりの譲れない「自分らしさ」が存在していた。

いや、今も存在している。

今回はそんな「僕らしさ」の中核を担う、「創作」について話したい。

創作は僕にとって本当に大きな存在で、「中核を担う」と言ってはみたが、それ以外に何があるのかぱっとは思いつかないほどだ。眠いからかもしれないけど。

誰も興味がないのは承知で、少しだけ自分史を振り返る。

僕は小学校の頃、暗号作りにハマっていた。『名探偵コナン』の影響だった。新聞係で、新聞を作るのも好きだった。「必見新聞」という、捻りもくそもない名前だったが、楽しんでもらえる企画を考えるのが好きだった。後は、今でも友達の奴とオリジナルのボードゲームを作ったりもした。

小説を書き始めたのもこの時だ。だが、当時はひとつも完結しなかった。誰しもが通る道だ。

中学一年の冬、サクラップから韻を踏む楽しさを知ったことや、替え歌にハマっていたことなど、きっと色々なことが重なって、作詞作曲という趣味に足を踏み入れた。あれほど、夢中になった趣味は今なお出逢ってない。「これは一生遊べる」と、中三の僕が言葉を残している。今でもそう思っている。多い時は月に5つも6つも歌を作った。中高とそれぞれ一度だけ授業でオリジナル曲を発表した。どちらもオリジナルとは言えなかったけれど。

高校一年の冬、なぜか夏休みに出していた小論文が受賞していたと知った。特別審査員賞とやらの副賞で、15万円の賞金が手に入った。正直、自分の考えが認められたことよりも、当時自立意欲が強かった僕は、自分だけの手でお金を稼いだという事実にとても感慨を覚えたのを覚えている。

急に何の自慢だと思われたら申し訳ない。自慢でないと言えば嘘になるが。大事なのはこの賞金の使い道で。先生や親には「有意義なことに使いなさい」と言われたが、その時既に内心では「まあDAWとボーカロイドに使うけど」と思っていた。

DAWとは、簡単に言うと作曲ソフトである。私はこの頃から、大学生になったら買ってもらったPCでボカロPデビューするぞって思ってた訳である。

(今振り返れば、この高校一年生の時から始めれば良かったやん。とは思ってしまうが。。)

まぁ、そういう訳で、自分の人生は割と「創作」を軸にして生きてきたのである。高校3年の文化祭では、初めて演劇の脚本も書いたし、劇伴(BGM的な)も作った。


___そして、大学生の現在。

自分は予定通り、ボカロPとして動画投稿をしながら、同時に「カクヨム」というサイトで小説を投稿している。

この残された4年というモラトリアムで、自分は限界までこの創作を極めたいと邁進してきた。いや、するつもりだった。したかった。

しかし、4年もあった期間はもう一年半を切り、更に就活やら卒論という敵に日々は圧迫される。

僕は最近、この創作に向き合うのが段々と苦行のようになっている節がある。

曲も思うように作れない、話も面白いと思えない、そうなると作りたいという気持ちすら湧いてこない。

それでも、忘れられないようにと、焦りながらPCに向かう日々。

なんだこれは。


中学生の頃、キラキラした目で、毎日夢中でノートに歌詞を書き殴っていた僕はどこに行った。

今年僕は一体いくつの曲を書いた。

自分が素晴らしいものを作ったという、創作に携わった者にしか得られないあの傲慢な昂ぶりを、天才にでもなったかと思うような自惚れを、一体いくつ感じた。


YouTubeを開けば、日々の退屈など簡単に拭い去ってくれる。

ゲームをすれば、脳の報酬系など簡単に満たしてくれる。


それでも僕がこうして危機感を募らせるのは、

それでは「僕」がいなくなってしまうからだ。


幼い頃から積み上げてきた、唯一とも呼べる僕のアイデンティティを、僕の生き甲斐を、亡くすのはとても怖い。

僕がこれから何の為に、何を目的に、何が楽しくて生きていくのか。

それが分からなくなりそうで、たまらなく怖いのだ。


だから、僕は創作を手放す訳にはいかない。



いつかツイートしたことがある。

僕は、「進捗依存型生命」だと。

早く曲を作らないと、早く話を書かないと、たとえ友達が100人いても、愛してくれる恋人がいても、僕は死んでしまうのだ。


その為にまずすべきこと……それは早く寝ることだ。

おやすみなさい。






https://kakuyomu.jp/users/citron41060

僕が生きた証たち。


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