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入社してからも、就活の苦しみは続いていく


「自分らしさとは何か?」

大学4年生の時、私はある哲学系の集中講義を履修した。
それは、10人くらいの学生が、諸学問の知識を極力使わずに、あるひとつの問いについて話し合って答えを導くという内容のものだった。

そこで私たち全員が興味のある問いとして選ばれたのが、冒頭の問題だった。
厳密には「言葉はどの程度、自己を表現できるか」だったけれど、結局は「自分とは、自分らしさとは」という問題にぶち当たった。

私たちは私のどんな性質を説明した時、己を言い表せたと思えるのだろう?

このようなアイデンティティクライシス的な問題は、大学生が抱える問題としてはいささか遅いように思われるかもしれない。
しかし実感として、私自身もこのような問いに最も迫られたのは中学の時でも高校の時でもなく、大学生時代だった。

これには理由がいくつか考えられる。

まず、「クラス」という固定的な人間関係のハコが消え、流動的な人間関係が主になること。これにより、「クラスの中での立ち位置」という絶対的な座標を失うために、私とは何か、を測りにくくなってしまう。

もうひとつ、大きな理由として考えられるのが「就職活動」である。
私のnoteでも過去、たびたび就活の苦しさについて書いてきたが、それを一言で集約すると「自己紹介のしんどさ」だと思っている。

実際に、講義の問いが前述のものになったのは、「自己紹介の時、何を言っても自分を言い表せられたような気がしない」という先輩のエピソードがきっかけだった。

就職活動とは、「お前は誰だ?」という問いを何度何度も突きつけられる経験である。端的に、分かりやすく、かつ魅力的に、己を売り込むゲームである。
そのために、就活生は「私らしさとは何か」という問題に迫られる。「私のやりたいこと」を考えるたびに、自分の空っぽさを痛感する。

……という主張に首を傾げられた方は、自分を持った素晴らしい方なのでこれ以上読まなくて大丈夫だ。
ようやく本題に入るが、これはそういう就活の、否、自己紹介の苦しみを現状抱える就活生(もしくは私と同じような社会人)に向けて記す文章である。


私は1年半ほど前に就活を終えた大学4年の春、心底解放された心持ちだった。
もうこんな苦しみを味わなくていいのだ、と晴れ晴れした気持ちでいたものだ。

しかし、それは間違っていた。
"そんな苦しみ"は、社会人になってからも嫌というほど味わうことになるからだ。


入社してまだ私は半年足らずだが、自己紹介書的なものをもう3度は書いた。それを除いても、どんな部署でどんな仕事がしたいのか、どんなことが好きなのか、どんな子供だったのか、などなどと問われる機会はあまりに多かった。

これは業界特有なものという訳ではない、と思う。
自己紹介書なるものを書くかはともかく、会社という小さな社会に飛び込むということは、当然ながら社員は全員赤の他人。
最初は毎日「はじめまして」の連続である。

そこで、短くない会社員人生で最低限は良好な人間関係を築こうと、先輩の誰もが「新入りはどんなやつなんだ?」と興味をもってくれる。
いろんな質問をしてくれる。

そこで私はいつも迷ってしまう。
自分の貧しい引き出しの中で、どれを出すべきなのか。
そもそも引き出しの中身にはどんなものが入っていたのか。

何を出せば、「私」を上手に伝えられるのだろうか、と。


エブリデイナイストゥミートゥーのなかで、
私は結局また「自己紹介のしんどさ」に苦しめられている。

いい大人になっても、社会人になっても、アイデンティティクライシスとかいう青年期の問題にもがいている。

もちろん、単に私が幼い(=経験不足)ということもある。
大学時代に多くの「はじめまして」の機会から逃げてきたこと、色んな人間関係に深入りしようとしなかったこと。
それはつまり、自分を端的に説明する経験を避けてきたということに他ならない。

もし、私が大人数の飲み会に死ぬほど参加するようなパリピだったら、
そのコミュニティでどのような立ち位置でふるまい、どういったパターンで回りの人を笑わせ、どのような人として周りに覚えられてもらっていたか。
つまり、自分のキャラを他人や環境を媒介に知ることができた

そういった経験に乏しい私は、未だに自分を表すキャッチコピーを知らない。考えるのも恥ずかしい、という幼い自意識が抜けない。

そういえば研修でも、自分のキャッチコピーを発表させられたな。あれは死ぬほど地獄だった。死ぬほど恥ずかしかったし、死ぬほどすべった。会社辞めようかと思った。


「自分らしさとは何か?」
「私とは何か?」

そんな哲学的な問いは、本当のところどうでもいい。
どうでもいいというより、別にそんな答えは人生に必要ない。

必要なのは「何で自分を表現できたということにするか」である。

これさえ見せれば、これさえ言えば、このエピソードさえ話せば、
「あ、あなたはそんな人なのね」
と納得してもらえるものがあれば、きっと生きやすいのだと思う。

(これは、魅力的なキャラクターの作り方にとても密接に結びついている)


ともかく、就活にいま苦しんでいる人は、
その苦しみが「自己紹介」に由来するものではないか、一度考えてほしい。

もしそれが多少なりとも混じっているのであれば、
就活の時こしらえた「一貫した私」というキャラを、入社の時まで忘れずに部屋の片隅に置いておいてほしい。

私は就活の時、自分がどんなキャラで話してきたかすっかり忘れてしまった。だから今とてもしんどい。

というか、そんな小手先のことよりも、本当に言うべきは
自分は何が好きで、何が嫌いで、何を求めて生きているのか。
そういうことを忘れずに覚えておく。
それを恥ずかしがらずに、自信をもって人に話せること。

そのことのほうが、きっと大事なんだろうな。


私はいつまでも経っても私がわからなくて。
一見どころか百見しても空っぽに見える「私」の内面を、
なんとか見つけようと、
なんとか捏造しようと、
こんな風にnoteを書いているのだ。

歌を書いて、小説を書いているのだ。









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