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光と闇を見るまなざし

あまりにも気持ちが沈んでいる時や苦悩の状態に

ある時は、人は光を求めるもので、その光によって

かろうじて命をここに繋げていられるという

ことがある。その光は、慰めの音楽かもしれないし

誰かの優しい言葉かもしれないし、美しい物語

や芸術かもしれない。そのような灯火に

救われることは良いことだと思うけれど、その後、

過度に光を求めるようになったりすると、

次第に闇に覆いをかけて、見ないように

触れないようにして、逆に闇に足を引っ張られる

ということもあると思う。

すべては愛と光だと言って、愛や光の反対を

否定したり切り捨てたりすることは

本当の愛ではない。すべての源は愛であると

しても、その愛は光も闇も同じ目線から

見つめるまなざしを持っているのだと思う。

肉体の中にいる限り、快と不快があり、

感情をリアルに感じることができる心を

持っている限り、喜怒哀楽も生じてくる。

様々な経験から思考することも増え、考え方の

癖も身についてくる。そんな中それでも、

限りなく源の愛に近づいていくという試みを

わたしたちはしているように思う。

自分に直接影響を及ぼしていない、世の中の

信じられないような闇についてというよりは、

自分自身の中の闇にこそ目を向けるべきで、

だからと言ってその闇を重くとらえると

しんどくなるので、大袈裟にとらえる必要は

ないように思う。ただまっすぐに見るだけで

いいと思う。見ると消えるとも言われている。

心が何かにざわついたら、その対象について

考えるよりは、自分の中に何があるかを見る。

そのようにして、自分の闇に向き合っている

ところである。

世の中の闇が今、表に出てくるようになり、

未来の予言なども発信されているけれど、

本当のこととそうでないことがあるし、

未来もどうなるかは確定していない。

なので、それをどうこう思い巡らせる

のではなく、あえて世の中から距離を置いて

今わたしが興味を持てること好きなことを、

その世界を享受し感受していきたいと思っている。

その先に何があろうとも、今を振り返ったときに

取り越し苦労をしている暇があったら、もっと

楽しむべきだったと後悔しないために。

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