モテる採用について改めて考えたこと
こんにちは、こんばんは、おはようございます。西島です。
正社員で老舗鞄メーカーで働きながら、スタートアップ企業の採用の手伝いをしたり、人事向けのサービスを作ったりしています。
自己紹介はProfeeで確認ください。
(Profee良いサービスですよ!笑)
クリスマスの季節感あふれる「Advent Calendar」に乗っかって書くことになりました。ちょうど1年前、僕が書いた記事はこんな記事でした。
エモさ全開ですね。
本当にたくさんの素晴らしい人が書かれている中で恐縮ですが、がんばります。Adbent Calendarはこちら。
今回僕が言いたいのは、そろそろ表面的なモテをやめて、本質的なモテる採用をやろう!って話。(自戒も込めて)
人間は誰しも人から好かれたいという欲求がある。
どうせなら嫌われたくないし、むしろ好かれたい。
興味が無いよりはある方が良い。
つまるところモテないよりはモテたほうが幸せなケースが多い。
僕ももちろん、その1人。
誰かから認められたいし、誰かから褒められたいし、何よりもモテたい。
そう思って生きてきた。
原因はなんとなくわかっていて、幼少期のことだったり、小学校の時のいじめだったり、そういった経験があるからだと思う。
(ココでは本題とそれるため、割愛)
僕が今回テーマとして選んだのは『モテると採用の関係性』
今年一年、ヒールやらウインナーやらと使ってきたが、モテるももちろん利用させてもらった一つ。
前置きが長くなりました笑
どうぞ、気軽にゆるく見ていただければ光栄です。
わかりやすく生きること
冷たい風が吹いて、落ち葉が舞った。
偶然にもイヤホンから竹内まりやの声が聞こえてきた。
なんだかケンタッキーを無性に食べたくなった。
今年でもう32回目の冬。
冷たくなった手をポケットに入れたままタクシーに流れ込む。
すごく疲れた…いつからこんなふうに疲れるようになったのか…
1日くらい徹夜しても全然余裕だったのに…
多分、寝不足かな。とか考えながら寝そうになった。
今日の合コンはなんか不思議な感じだった。
「千駄ヶ谷のどこらへんですか?」と運転手が聞いてくる。
記憶が飛びそうな中で、なんとか住所を伝える。
もう、いいやないですか、なんとなく向かってくれよ。
運転手は愛想がないなと思って、記憶が飛んだ。
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大学のときからずっと周りにはパートナーには困らなかった。
特段モテていたという実感はないが…
「次から次にとか」「女性が近くにいた」という言葉が合うように、たくさんの経験をさせてもらった。
多分、それは承認欲求とモチベーション1.0のせいだと思っている。自責。
※モチベーション1.0はこちら。
実は寂しがり屋みたいなところもあり、人肌恋しい季節になるとついつい…ということがたまにある。
すみません、結構ある。
いや、多々ありましたごめんなさい。
社会人になってからも…
1社目にANAのパイロットを選んだのはわかりやすいステータスが欲しい、わかりやすい成功がほしいって思っていたから。
飲みに行けば、楽しいとか楽しくないかもそうだけど、ワンナイトが起きるか否かをずっと考えていたし、会話なんて毎度毎度薄くなる。
いつものように自慢の右側の顔を見せて、少し遠い目をして空の話を繰り返す。そのまま抜け出せれば成功。抜け出せなければ延長戦。
そんな戦いをしていた。負けはあまりなかった。
『モテるはすごくわかりやすい側面が起因していた』
わかりやすい側面というのは
・容姿
・声のトーン
・学歴
・会社名
・職種名
などなど。
イメージしてほしい。
「〇〇で働いているよ」
「わぁ!すごい!」
って言っている感じ。
いやいやね~だろって人、それは恵まれている。世の中の男女はほぼこれで成り立っていると思っている。
もちろん、悪いことではない。
Twitterで仕掛けるモテる採用広報
※注意:画像は2019年4月のもの
なるほど、「モテたい人事」というのはそこから来たのかと。
それはちょっとだけ違う。
Twitterを始めたきっかけは新卒採用が目的で、2018年8月ごろから始めた。理由はシンプル。情報収集の中心がTwitterである世代がメインターゲットだったことと、拡散性。
狙いは、興味関心度を上げること。
採用広報を一気にするなら、組み合わせ方がすごく大事だと思っていた。
だから…
Wantedlyで企業目線ほんの少し真面目の記事を書き、
noteで個人目線ゆるめの記事を書き、
HPにバッチバチに情報が載っているところに動線を持ってくる。
全てTwitterで拡散させる。
このローテーションは本当にうまくハマった。
当時のベルフェイスの役員は非常にTwitterでも有意義な発言をしていたので、だったら逆張りで人事はすごくカジュアルな感じに持っていこうと考えていた。
ベンチャー企業はどうしても認知度が低い、興味関心を持たれるためには何かしらの仕掛けが必要だと思っていた。
興味関心さえ引けば、中身は役員陣がなんとかしてくれるって思っていた笑
それ故に、どうしてもバズを狙う必要があった。
だからウインナーやヒールを履いた笑
僕は決して天才でもなく、センスがある方でもないので、あまり感覚でTwitterをやれない。結構考えたし、今も考えている。自分がどの領域で、どんな人に向けてどんなメッセージを伝えていくか。
正直一言つぶやくときも結構怖い笑
だから…世の中に「フォロワーを○人まで増やす○○な法則!」みたいな茶番があるのはなんとも言えない気持ちになる。目的はなんだろうなって。
ちょっとした違和感
Twitterで採用もでき始め、少しだけ調子に乗っていた時にいろんな方にお会いさせていただいた。
多くの人が「お忙しいのにすみません!」とか「いつもTwitter見てます!」とかそんなお言葉で出迎えてくれた。
一定の褒めに人間は謙遜するが、一定レベルを越えると調子に乗る。
僕はわかりやすく勘違いを始めた。俺、、イケてるかもしれない…と笑
フォロワーが多いだけで何かしら結果を残したような感じになる。
多分、今年会った人の中で、あれ?西島さんって思っていた人とちょっと違うなと感じた人も一定数いたと思っている。すみません。
自分ではないと言い聞かせたいが、まさにこういうこと。
キラキラした発信が本当にその企業を表現しているのか、フォロワーの数がその人の強さを表しているのか?そのへんに違和感を感じるようになった。
だいぶ端折るが、ちょうど調子に乗っていた頃に、採用した人材の1人から退職を切り出された。
「ゆうぞうさんは忙しいから、なかなか言えなかったけど…もうちょっとだけ社内も見てほしかったっすわ。」
僕の目を覚ますのは十分すぎた。
「底が見える人に興味は湧かない」
気がつくと家の前にタクシーが停まっていた。
そそくさとお金を払い、出るとLINEが来ていることに気がついた。
「今日のメンツは幹事として反省してください!」
とあった。退職した人からの一言で目覚めを悪くしていただけに更に気分が悪くなった。
結構気合いを入れたつもりだった。
顔もイケメンで、ちゃーんとした企業に勤めている人だったが、ダメ出しを食らった。
スクロールをしていくと…
「底が見える人は魅力に感じないんです。顔とか企業名じゃないです!自分でそこの場を選んでいるか否かが大事です」と。
その時に、大きな勘違いをしていた事に気づいた。
やけに目覚めがよくなった。
よく、恋愛と就活は似ていると言う。あぁなんとなく、それが一つつながったぞと。
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もしかしたら、20代と30代とで、そして今と昔とで、モテ方が少しずつ変わってきたのかもしれない。つまるところ…
わかりやすい側面だけで選ばれることがなくなってきたのかもしれない。
では一体、何が必要なのか…それはこの3つだと思っている。
①自分で決めていくこだわりと覚悟
情報は溢れている。収集はすごくしやすい。
でも選択をするには、自分の頭で考える必要がある。
もう表面的なものでモテる時代だからこそ、正解がわかりづらいからこそ、
ひとりひとりの考えて出したこだわりと覚悟が必要だと思う。
それがモテることだと思う。
②たくさんの失敗が人生を分厚くすると思ってトライをすること
失敗は決して悪いことではない。
確かに沢山の失敗がその人の人生を分厚くさせてくれると思っている。
「なんでこの人はこんな選択をしたんだ?」と思わせることがきっと魅力的な引きになる。つまりはモテる。
③一貫性というストーリー
①で上げたものを内面と外見でずらさず、ぶらさず出していく。
その一貫性が今後は求められていくことになる。
結局、モテる人は底が見えない、こだわりと覚悟を持って、魅力的に映る。
薄っぺらい外見だけでなく、ちゃんと中身を整えて戦おうと。
もう表面的なブランドだけでは戦えない時代になってきた。
これは人だけではなく、企業も一緒。
いくら良いことを言って、いくらかっこいいことを言っても、中身がなければすぐバレてしまう。つまりモテない。
この1年仕事をしてきて一番燃えたのはこの言葉だった。
「骨太な人事になろう。骨太な会社にしよう。」
自分自身のことを棚に上げるわけではない。
まだまだ薄っぺらいと思っている。
ただ、来年、モテる人事は骨太人事だと思う。
もう一回言う。モテるのは骨太人事だ。
社外に対しての発信はなんとかやっているが、もっともっと社内から醸成させていきたい。中から外に向かって滲み出す感じ。
それが今、必要だと思っている。
人事は採用だけではない。人事は経営の一部でしかない。
そこに閉じてはいけないと思っている。骨太になろう。
僕は今年でこの表面的なモテを捨てようと思う。
骨太になろうと思う。
そろそろ大人のモテを作ろうではないか。
それではまた来年、そして皆様、良いお年を。