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ANA「翼の王国」旅育日記〜アウトテイク

 4歳の息子=彼を連れてフィレンツェに移り住んだのは'04年のことだった。妻の仕事の関係で移転することになったのだが、彼はイタリア語はおろか英語も全く喋れず、それでも、現地のインターナショナル・スクールに入学することになった。

 その年齢はプレ・スクール=幼稚園で、初日から三日間泣き続けていた。引っ越しの手伝いに来てくれていた母、つまり、彼の祖母からは「友達の話を聞こう、理解しようと、キョロキョロしながら皆の顔を窺っていて。そんな姿を見たら、なんだか可哀想で、泣けてきたわよ」と言われた。親のエゴが彼の〈トラウマ〉を作り上げてしまったのではと後悔したこともあった。

 妻は仕事で忙しいため、毎年の夏と冬、彼の帰省に付き添うのはぼくの役目だった。夏の間は日本の公立校が一時転入を許してくれて、日本の教育を受けられたのは幸いだった。いや、日本の学校に友だちがたくさん出来たことが、彼の帰国の〈モチベーション〉にもなっていたと思う。

 そうして、ぼくらは幾度となく日本とヨーロッパを行き来する。
 いつぞやのシャルル・ド・ゴールは大雪で機能不全、ホテルに宿泊も出来ず、24時間ほど空港に幽閉されたこともあった。
 違う機会ではフィレンツェ発便の出発が遅れたため、東京便に間に合わない。経由地のフランクフルトに到着してみると、ぼくらのためだけに大型バスが用意されて空港を縦断、ギリギリで搭乗したこともあった。
 ある日には、ロンドンのヒースローからスタンステッド空港に移動、そこからイタリアのピサに入る予定だった。けれども市内の大渋滞に巻き込まれ、次の便に乗り遅れたこともあった。
 そうしたエピソードは枚挙にいとまがない。旅にトラブルは付き物だったけれど、幼い彼にとっては全てが“冒険”だったろう。

 そんな彼も少年から青年となり一人旅を経験する。その最初は大学のオープン・デイに参加するのが目的で、宿泊も一人きりだった。「一緒に行こうか?」と申し出てみれば、「一人で行ってみたい」という。空港の荷物検査場では、「じゃあ、行ってくる」と言いながらくるりと背を向け、こちらを振り返ることもない。その後ろ姿はいかにも凛々しく、頼もしい。ぼくの親としての役目は終わったのかなと思った。

 現在の彼はケンブリッジで政治社会学を学んでいる。ぼくは彼に会うために旅に出る。英国でのぼくは右も左も分からない。街のこと、大学のこと、学寮での生活、そして将来のこと、いろいろな話を教わる。

 今や、ぼくを導いてくれるのは、息子の「彼」である。

(2018.10)

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