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人生で大事なことはディズニーランドで教えてもらった

会社を経営していると、何度も何度も自分がこれまでの人生でどんなことを経験し、そこから何を学んできたのか、それによって自分がこれから先どんなことをしたいのか、ということが問われる。

今回このnoteで、「自分の人生のターニングポイントとそこから何を学び、これからどうしていきたいと思っているのか」について今から紹介しようと思います。

大学受験→対人恐怖症

自分の人生を振り返った時に、「ここが間違いなくターニングポイントになった!」と確信しているのが、大学受験の時だ。

父親は現役で、兄が一浪で、いずれも慶應義塾大学に行っていて、高校生の頃から自分も同じように大学に進学できるものと思い込んでいた。

しかし、いざ受験勉強を始めてみると、勉強すること自体が全く面白くないということに気が付きました。

自分は本当に怠惰な性格で、やっていることが心から面白いと感じた時には強烈な推進力を発揮できるのですが、面白くない、と感じた時にはトコトン逃げようとします。

大学受験がまさにそれでした。

逃げに逃げ回っていました。勉強していないので模試を受けても散々な成績の数々。

でも「自分は大学に行けるもの」と思い込んでいたので、自分に自信はあるわけです。(完全なる過信です)

現役で受験して見事に全て落ちる。その時にですら、

兄貴も一浪したんだから、まあ当たり前だよね

なんて思っていました。

一浪している自分を受け入れられず、予備校に通いながらも、あまり勉強に身が入らず、ダラダラと友達と遊んでいました。

そして受験を迎えて、またも失敗。

「お父さんにきちんと二浪させてください、とお願いしなさい!」と母親から怒られて、土下座をしながら「二浪させてください」とお願いした時ですら、心では「早く逃げたい」一心でした。

そんな浮ついた気持ちで二浪も過ごしたので、勉強に身が入りません。

またもダラダラと過ごして受験時期に。モチベーションは最悪で、「ここから逃げ出したい」が一番の心境でした。

センター試験を受けて、結果は「一浪の時よりも、現役の時よりも」悪い点数でした…。

さすがに家に帰ると親が激怒。私もキレて部屋に閉じこもってしまい、もう最悪な気持ちでした。

ちょうど20歳の誕生日を迎える時に初めてこんな心境になりました。

こんなにも親に迷惑をかけてしまっている。自分のことで両親が喧嘩をしている。自分は生きている価値、意味はあるのだろうか。

私立の試験までちょうど2週間半というタイミングで、初めて不退転の決意ができました。受験に失敗したら誰にも相談せずに家を出るか命を断つと心に誓いました。

そこからはもう振り切りました。勉強が好きか嫌いかなんて関係なく、とにかく無心で勉強しました。

死ぬ覚悟をしているので、眠くもなりません。一日22時間30分ぐらいは勉強していたと思います。高校一年から三年の過程を全て。

もっと早くからやっていろという感じですが(笑)

そして望んだ試験の最後の最後で、よくやく合格することができました。

1998年3月6日、受験番号は360番でした。

ディズニーランドとの出会い

最後だけかなり振り切って壮絶な勉強方法をしていたので、精神的にも病んでしまい、合格から入学までの記憶が今も飛んでしまっています。

そして大学に入ってから、人と話そうとすると極度に緊張する状態(対人恐怖症)になってしまいました。

実際、人と話すのが緊張しなくなったと感じたのは30歳ぐらいの時なので、影響はかなり長くありました。

さすがに親に相当な迷惑をかけてしまっていたので、少しでも家にお金を入れないと、と思い、アルバイトを探すことにしました。

対人恐怖症の私でもできる仕事です。イメージしたのは「駐車場で車の誘導をする人」ならできるかな、と思い、バイト情報誌に載っているところに電話をしました。

すぐに面接に来てくれ、と返答をもらったので、面接に伺いました。聞かれた質問は2つ。

・「来週までに髪を切れますか?」そこは耳に髪が掛かっているのはNGでした。
・「雨でも風でも雪でも走れますか?」屋外で体力が必要な仕事のようです。

私の回答はいずれもOKと言うと、すぐに「内定です」と言われ、仕事内容の説明がありました。

それは「ディズニーランド内を歩き回りながら、ゲストの安全を守るセキュリティオフィサー」でした。

思い切りゲストとコミュニケーションが発生します。一瞬躊躇もしましたが、大学受験で落ち続けてきた私にとって「内定です」という言葉は、もう何度でもリピートして聞き続けたいフレーズでした。

すぐに了承して、2週間後から勤務開始ということになりました。

心臓が飛び出そうなほど緊張しながら初日の勤務に向かったことを覚えています。

大事なことはSCSEに込められていた

ディズニーのキャストはオンステージでの勤務開始前に、研修を受けます。

その研修は面白くて、もう20年以上も前なのに鮮明に覚えています。

まず同期入社のキャストが集められて、一本の動画を見ます。それはディズニーランドの歴史と、ウォルトディズニーがどんな思いを込めて、ディズニーランドのプロジェクトを始めて形にしていったのか、を紹介する動画でした。

映像の力は本当にすごいもので、ディズニーにはほとんど興味がなかった私でも、その動画を見てすぐに「ここは非日常な場所。この場所を一緒に創っていくんだ」と感動しながら思ったものです。

そして研修に入るのですが、そこで忘れることができない大切な概念を教えてもらいました。

SCSEです。

S→Safety 安全
C→Courtesy 礼儀正しさ
S→Show 演じる
E→Efficiency 効率性

ディズニーでキャストをしている人は1万人以上いると思いますが、どこに配属される人でも全員が理解しているサービスの考え方です。

上から重要度が高い順になります。効率性のりも演じること、それよりも礼儀正しくあることを、何よりも安全が第一優先される、という考え方です。

私がディズニーに興味を持った最初のきっかけはまさにここでした。何に驚いたのかというと極論ですが、「安全性が確保されていないのなら、礼儀正しくなくてもいい」ということです。

これを全部のキャストに徹底してやっている。唯一にして最大のマニュアルがこれだったのでした。

ディズニーのキャストは毎週土日の7:30から15時過ぎまで。

ここでは書けませんが、本当に毎週いろんなことが起きました。毎回の勤務で何か新しいことが起きて、その都度、いろんな学びができました。

結局大学入学から卒業までの4年間働いていました。非日常の環境で「演じる」ことを続けていたら、気が付いたら対人恐怖症が改善されていました。

ディズニーから学んだこと

自分は20歳の時に一度命を断つしかない、と思うほどドン底に落ちました。

その後も対人恐怖症になり、いつもビクビクしながら生きていたのに、気が付いたら人と語り合うこと、人前で話すようになっていました。

自分自身の変化を感じて思ったのです。

人の可能性・価値は無限に広がっている」と。

就職活動で、自分がどの領域に人生を張っていくかと考えた時に、「人の可能性・価値を最大にする社会を創りたい」と思うようになりました。

そして「可能性・価値が無限に広がる人が集まる会社・組織・チームのパフォーマンスを最大にしていきたい」と思い、人事領域 で勝負していくと決めました。

これが私が働く上でのミッション・ビジョンとなり、2019年にRECOMOを共同創業で立ち上げた時のミッションにもつながりました。

人と対話する時のスタンスにも繋がっています。「人の可能性・価値を最大に広げる」ということを使命として、向き合い、解け合い、寄り添うと決めています。

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