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立ち上がり続けることの意味を考える 〜「楊令伝」 作:北方謙三氏を読んで〜

皆さん、いかがお過ごしでしょうか。前回のエントリを更新してから大分と日が経ってしまいました。世間ではもうすぐGWが終わる頃ですね。

さて、僕らの方も慌ただしく、最近は暑い日が続くので作物への水やりやらメンテナンスやら雑草の処理やらで慌ただしいですが、やることを整理していくと同時に、「効率化出来る余地はないか」と考えて、できていることも多々ありますので、負担は昨年より少しずつではありますが違ってきているのかなという実感があります。

さて、最近は本を読むことが多いですが、昨今では電子書籍を読むためのアプリが向上してきていますから、スキマ時間に読んだりしています。どうせスマートフォンをイジイジするのであれば有意義なアプリをイジイジしようと思い立ちまして、Kindleをスキマ時間に読んだりしています。それとオーディオブックも。

人は「もうダメだ」と思うようなことがあってもまた立ち上がることができる。戦うことができるのだと思わされたことがあります。僕自身も実感があるからです。現在、読んでいるのが北方謙三さんが書かれた「楊令伝」です。

以前、紹介させて頂いた「水滸伝」の続編でもあります。創作ですが、梁山泊が北宋禁軍に陥落されてから、立ち直るための手段をそれぞれが講じて実行しているものの、それぞれが違うことを主張し、衝突し、「昔はあいつがいた」ですとか、「あいつの料理はうまかった。だけどもう、食べることができない」ですとか、それぞれの悲しみや怒り、やりきれない思いがぶつかり合って、それでも何とか前に進もうとしている。

一方で「北宋王朝を打倒して新王朝を樹立したところで、結局は権力闘争が起きて不正も起きて、また元の木阿弥になる。これが世の常であって、虚しささえ覚える」という気持ちにもなる面々もいます。それもそうで、創業者とその周りにいた黎明期を支えたメンバーたちはやる気に燃えていた。だけれど、会社が大きくなっていくにつれて新しい人材や環境の変化などを経験して、かつての仲間が去っていったり、裏切られたりと掻きむしられるような思いをすることも多々出てくるのでしょう。

そんな状況下の中で、梁山泊を立て直すための道具はあるけれど、いまいち成果が出ない。組織としてまとまり切れない。そんな焦燥感を抱えつつも、いつか来る再起の時を待ち続けながら準備を続けていく。嫌われながらも己のやるべきことだと感じたことを実行し続けていく呉用のような人物もいたりと、それぞれの人物に誰もが重ね合わせることができるのも「三国志」や「キングダム」といった物語と同様の魅力があるので、興味がある方は是非とも大水滸伝シリーズを読んで頂きたいなと思っています。

また2巻までしか読んでいませんが、組織を作っていくための準備すべきことや、心構え。そして人間模様など学べる要素が多々出てきます。それぞれの国は会社や組織に置き換えられますし、あるいはライバル企業に置き換えられるかもしれません。「うちは問題だらけで、あそこは上手くいってる。もどかしい」とイライラやモヤモヤを抱えていたとしても、ライバル企業もライバル企業で、自社が抱える根深い問題がある。そういう風に読み解けたりもできますし、それを狙って北方謙三さんも書かれていらっしゃるように感じました。

読み切るまでにあと2週間近くはかかるとは思いますが、読み切って「岳飛伝」に移るまでには自分なりの意見ですとか、解釈、あるいは学びがあるようにメモしたりと著書との格闘ができればと考えております。

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