ショートショート原理主義
note で老若男女の書かれたいろいろな記事を読んでいて気付いたのだけど、創作小説、更に言えばショートショートに対する意識というものが、随分自分と乖離しているのではという危惧が出てきました。
実際のとこ、ショートショート自体に明確な規定はないとは思いますが(仮にあったところで守らねばならない道理はないでしょうが)、読む側がこういうもの、という期待をした時に肩透かしにならない程度の摺合せはできてた方がイイよなぁと思ったり。
まぁそういう意味も込めての「原理主義者」としては、始祖星新一やら眉村卓御大、筒井康隆師父の形作ったフォーマット(それさえも判然としない可能性はある)が、しっくり来る訳です。
そのフォーマット、少し具体的に言えば
1.文章が短い(文庫本で1~4ページ)。
2.その文章内の知識で完結する。
3.オチがある。
と言ったところ。
1はショートショートのショートショートたる所以ですが、2と3については考え方もいろいろでしょう。ここから外れても読み物として劣る訳ではないですし。ただただ「原理主義者」のそうあって欲しいという願望です。
結局、何が言いたいかと言うと、「原理主義者」は #ショートショート タグで検索する時は心を強く持っていこう、という心構えのお話でした。
余談ですが、これが星新一原理主義者になると「通俗的な表現はしない」「固有名詞を使わない」「セクシャル、バイオレンス表現は避けたい」まで行くのですが、そこまで行くとそこそこの修行僧じみた心境になります。
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