冬 冷たい水は冷たいだけ!?改訂
内容を少し見直しました。
昔から冬になると手が冷たくなります。そのせいか冬の冷たい水に触れるのが苦手です。毎年、自分の手が冷たくなる頃には水道を温水にします。
蛇口を開いて水が暖かくなるまで待って、おっかなびっくり、さっと瞬間触れてみながら、温まったことを確認して、やっと一息つきます。
自分の手が暖かければそこまで気にならないのですが、冷たい時は、あきれるくらい力が入ってしまいます。暖かくなるまでには時間もかかるし水はもったいないし、ガスも使うし。
数年前、自分は何故冷たい水が苦手なのだろうか、と考え始めました。
冷たい水に触れた時、どうなるの自分? 何が起きてるの自分に?
私は心理の勉強で、ACT(アクセプタンス・コミットメント・セラピー:日本ではアクト)を少しばかり学んだ時、これってなんだか自分に合いそう、って思いました。「アクセプタンス=受容」が響きました。自分に不快な何かが起きた時、それをなくそう、克服しよう、コントロールしよう、など、何とかしてそのことを自分から切り離そうと考え行動することはあると思います。
それが出来れば良いですが、私には難しかった。ましてや忘れることなど出来ないし、忘れようとすればするほど、逆にがっちり捕まってしまう。
あるがまま、そのままを受け入れる。そして受け入れた自分をちゃんと見てあげる。それがACTかなと思いました。
で、くだんの水です。水に触れた時の私は、「身震いする」「鳥肌が立つ」「ひゃぁーっとする」「瞬間、思わず身体が硬直する」「一瞬全身に電気が走るようだ」などが自分の身に起きます。
そしてそうなると、とても「いやぁーな気分」が湧き出て、出来れば経験したくない、と思うのでした。ちょっとした怒りなんかも含まれている感情かなと。
ただ、これらの事は、ほんの一瞬のことで、我慢して慣れれば、触れ続けることは出来ました。(続けていると痛さも感じるようになりますけどね)
でも、その瞬間を経験することがとても嫌でした。
その嫌な感情をどうにかしたいと思った時にACTの手法を使ってみたい。
自分なりに実践しようと思ったのが次の2つのステップです。
まず、これから水に触ろうとする時に、「ああ、また例の気持ちが出てくるのだろうな」とあらかじめ想定しておくようにしました。それで水に触れると、案の定いやぁな気持ちが湧き出ます。
次に、湧き出た気持ちを「今、自分、身体が硬直した」「今、自分・・・・と思った」「今、自分・・・・と感じた」など、言葉にしてみました。
これらを大げさに言えば冬中、冷たい水を触るたびに実行しました。
こんな些細なことですが、結果的に私の水に対する感覚には変化が起こりました。
冷たい水に対する自分のイヤだなと思う感覚のそのままを受け入れようとした時、「受け入れなさい」と力を込めるのではなく、今、そう感じている自分の姿をただただ見る、って感じでしょうか。
「冬、冷たい水は冷たいだけ?」だったけど、今は「冷たいだけ!」です。
今回取り上げた「冷たい水」の件は、稚拙な事例だったかもしれませんが、今後もACT的なあり方を参考に、日々起こる様々なことに向き合いたいと思います。