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【結城友奈は勇者である考察】芙蓉友奈は語部となる 朗読劇

みなさんこんばんは。来覇(くるは)と申します。

大変久しぶりの投稿となってしまいましたが、今回も勇者であるシリーズの考察を通して、勇者であるシリーズの世界観をより深く感じていきたいと思います。

今回は2023年10月8日に行われた「芙蓉友奈は語部となる 朗読劇」の内容に関する考察です。

「芙蓉友奈は語部となる 朗読劇」ではこれまでの伏線への回答や新たに考えられる謎がたくさん出てきたため一つ一つ考えていきたいと思います。


1.タイトル

まずはタイトルについてです。
「芙蓉友奈は語部となる 朗読劇」のタイトルは「Carpe diem」でした。これはラテン語であり、日本語では「今を楽しめ」や「今この瞬間を大切にしろ」といった風に訳されます。

これまで勇者であるシリーズのタイトルは花言葉や英語、ことわざなど様々ありましたがラテン語のタイトルは初めてでしたね。

勇者であるシリーズのタイトルは、その話の内容に沿ったものとなることが多いですが、今回も例にもれず「芙蓉友奈は語部となる 朗読劇」の内容にぴったり合ったタイトルでした。

生まれつき体が弱く、長くは生きられないだろうと医者にも言われ、いつか友達に置いてかれて一緒に歩くことができなくなってしまうと悩んだリリ。
しかし柚木君とすずと本音を語り合い2人に背中を支えられることで、大切な仲間とともに今この瞬間を何倍も濃密に生きることができれば自分の人生には十分すぎるほど価値があるということに気づくことができ、前を向けた今回のお話にはまさに「Carpe diem」という言葉がぴったりでした。


2.乃木若葉様クローン影武者説

次に、乃木若葉様クローン影武者説についてです。

乃木若葉様クローン影武者説については「芙蓉友奈は語部となる」第1話において、芙蓉友奈が今後の勇者部活動で調べる内容のメモの中に登場していましたが、今回改めて芙蓉友奈の口から語られていました。

「芙蓉友奈は語部となる」第1話時点での乃木若葉様クローン影武者説についての考察や予想は過去記事にて行っているのでぜひ見てください。

https://note.com/yuyuyu_treatise/n/n5c8187941e57#535cdc62-fdec-4b50-a654-11594cfc5fa4

さて、過去の記事にて「乃木若葉様、生まれた時からクローン影武者が7人いる説」は郡千景の精霊である七人御先が乃木若葉の精霊であるという記録改変が行われた歪みにより、一般の噂として流れてしまったという考察をしましたが、今回出てきた情報によりさらに深く考えていけそうです。

今回、乃木若葉様クローン影武者説は芙蓉友奈が読んでいた雑誌『ムー』に載っていた説であり、芙蓉友奈曰く根拠のある論旨明瞭な考察が書かれていたようです。

「芙蓉友奈は語部となる」第1話では芙蓉友奈のメモ帳でしか登場していなかったため、単なる芙蓉友奈の妄想の可能性もありましたが、今回で一応一般に流れている説であることが確定しましたね。

また、芙蓉友奈はこの説を探るため高知に遠征しようとしていました。

「ずるる…ごちそうさま! 退院後のうどんがおいしい!
では、さっそく勇者部の活動を再開しよう! まずは乃木若葉様クローン説を探るために高知に遠征だ!」

『芙蓉友奈は語部となる 朗読劇 台本p9』より引用

このセリフから、乃木若葉様クローン影武者説の根拠は高知にあることがわかります。
高知と言えば、郡千景の出身地であると同時に七人御先の伝承の舞台でもあります。芙蓉友奈が読んでいた雑誌『ムー」にはこうした「存在を消された高知出身の勇者の存在」や「その勇者が使っていた高知県に伝わる精霊」についての情報が断片的に考察されていたのではないでしょうか?

もし芙蓉友奈の体調が万全で勇者部活動として高知県の調査に行っていたならば、朗読劇での内容が郡千景の足跡を追う物語になっていた可能性もありましたね。


3.巫女の力

続いて、巫女の力についてです。

「芙蓉友奈は語部となる 朗読劇」において横手すずが神託を受けたことで、巫女の素養があることが確定しましたね。

これまで、「結城友奈は勇者である-勇者の章-」で出てきた慰霊碑に「横手すず」の名前があったことから、"横手すずは大赦に関わり、功績を残したのではないか?"や"横手すずは巫女である横手茉莉の力を受け継いで巫女として大赦に貢献したのではないか?"という予想がファンの間でされてきました。

『結城友奈は勇者である-勇者の章-』第1話より

それが今回の「芙蓉友奈は語部となる 朗読劇」にて横手すずは巫女の力に覚醒し、神託により芙蓉友奈がいる場所を知ることができました。また、10年後には大赦で神官として働いていることが語られていましたね。

巫女としての素養を示したのならば、通常は巫女という立場で大赦に入るものと思っていましたが、あくまで横手すずは神官として大赦にいるというのは意外でした。

この状況は、巫女の力に関してもう一つファンの間で噂されている"巫女の力は血縁で遺伝するのか?"という予想に関係しているのではないかと私は考えました。

この予想はこれまであった"横手すずが巫女だったのではないか?"という予想から派生した説であり、上里家が神世紀300年でも大赦内で重要な地位にあることや、ドラマCD「楠芽吹は勇者である」にて安芸先生が巫女の素質を持つ安芸家の直系と紹介されていたことから、巫女の力は子供やその孫、子孫まで受け継がれていくのではないかと考えられていました。
(※ただし、この説は安芸先生が巫女ではなく神官であったことから巫女の力は確実に遺伝するわけではないというのが定説でした。)


さて、今回の「芙蓉友奈は語部となる 朗読劇」に話を戻すと、この巫女の力の遺伝について烏丸久美子が興味深い言葉を残していました。

「烏丸様が言っていたことがある…私が横手茉莉の娘なら、私には人を助けられる力がある、もし何かおかしなことが起こったら、お前の母を一番に頼れ―—って」

『芙蓉友奈は語部となる 朗読劇 台本p37』より引用

このセリフは横手すずが神託を受けた直後のものであり、烏丸久美子が横手すずに伝えたのは当然もっと前のはずです。

烏丸久美子の言った「人を助けられる力」は話の流れ上、巫女としての力で間違いないと思われるので、烏丸久美子は横手すずに巫女の素養があることを、横手すずが神託を受ける前から予めわかっていたということになります。
さらに「横手茉莉の娘なら」の言葉から、その根拠の一つが横手茉莉の娘であったことがわかります。

このことから、やはり巫女の力は親子で受け継がれるのではないかと思います。
安芸先生の例もあるので、巫女の力が血縁で確実に受け継がれるかというわけではないでしょうが、烏丸久美子が横手すずに大赦へ入るように声をかけたのも、高嶋友奈の本来の巫女である横手茉莉の娘である横手すずならば巫女の力を受け継いでいるかもしれないと考えたからではないでしょうか。

ここまで考えると、横手すずが巫女ではなく神官として大赦にいる理由も見えてくる気がします。

高嶋友奈を導いた巫女は表向き烏丸久美子ということになっていますが、本来の巫女は横手茉莉です。
この事実を大赦内で知っているのは上里ひなたと烏丸久美子の2人だけであり、烏丸久美子としては横手茉莉が普通の生き方を邁進してほしいと願っていますから、この事実は絶対に他者に知られたくないはずです。

そんな中で、もし横手すずという存在が突然巫女の力に目覚め、巫女として大赦に入った場合、大赦は巫女の力の血縁関係に注目し横手すずの家族についても調べるでしょう。
そして大赦が調べれば、横手すずの母親が絵本作家の大家である横手茉莉であることも、横手茉莉がかつて高嶋友奈とともに四国外から避難してきたことも突き止めることができると思います。

そうなると、横手茉莉が高嶋友奈を導いた巫女である可能性が露見する可能性があり横手茉莉の平凡な日常が崩れかねません。
それを危惧した烏丸久美子は上里ひなたとともに、横手すずに巫女の力があることを隠したのではないでしょうか?
そのため、横手すずは巫女としての力を持ちながらも神官として大赦に入るという状況になったのではないかと考えました。



巫女の力についてはもう一つ、気になる点があります。
それは巫女の力の素養の度合い、習熟度についてです。

これまでの勇者であるシリーズでも、巫女の能力の高い低いという話は何度か語られてきました。

一人は上里ひなた。勇者・乃木若葉の親友で、バーテックスが現れた時に彼女を導いた。巫女の中でも最も能力が高いらしい。

『結城友奈は勇者である 勇者史外典 上巻p10』より引用

「でもね、水都さん……。可能性を排除するのは、全てを出し切ってからで良いと思うんです。あなたには、せっかく持って生まれた高い巫女の能力があるんですから。」

『結城友奈は勇者である 花結いのきらめき 石紡ぎの章3話』より引用

このことから、同じ巫女であっても能力が高い人と低い人がいることがわかります。
さらに、巫女は神託の受け取り方にも得意・不得意があるようです。「結城友奈は勇者である 花結いのきらめき」の石紡ぎの章29話「巫女の語らい」では国土亜耶は神託を受け取りやすい傾向にあり、上里ひなたや桐生静は神託を言語化するのが得意、藤森水都は視覚的に神託をとらえやすいと説明されていました。
また、絵をかくのが好きな横手茉莉は「烏丸久美子は巫女でない」にて神託を絵にかいて周りに伝えていました。

このように、一口に巫女の能力と言ってもその能力の高さや神託のとらえ方は千差万別です。

では、「芙蓉友奈は語部となる 朗読劇」にて巫女の力に目覚めた横手すずの能力についてはどうだったでしょうか?

横手すずは行方不明になった芙蓉友奈について柚木友奈と話している際、落雷と同時に神託を受け取りました。
その後、家に帰ってからお母さんである横手茉莉に神託のイメージを伝えていることから神託を言語化することはできていたのではないかと思います。
しかし、芙蓉友奈を探すために伊吹島に行った段階でも、頭に浮かんだイメージや横手茉莉に描いてもらった絵にどんな意味があるのかピンと来ていなかったようです。

初めての神託ということで比較すると、上里ひなたは七・三〇天災の際になんとなくではありますが出雲大社本殿が安全だと認識して乃木若葉とともに人々を導き、その後は神託に従い出雲から四国へと避難していました。
また、横手茉莉は初めて神託を受けた際に神社へと導かれ高嶋友奈と出会い、その後頭の中に流れてきたイメージが化け物の居場所を示していることを直感的に理解できていました。

その2人と比べると、横手すずは神託の意図を察するのは不得手だったのかもしれません。

こうしたことから、横手すずの巫女としての能力は
神託のイメージを言語化して伝えることはできるが意図を察するのは不得意
というように考えました。

これまでの勇者であるシリーズで、同じような特徴が描写されたシーンが一つあります。
それが小説「鷲尾須美は勇者である」にて鷲尾須美が初めて神託を受け取ったシーンです。
あの時の鷲尾須美は神託のイメージは捉えていましたが、それがどんなものであるのかまでは察しておらず、担任の先生の言葉でそれが神託であることを理解していました。また、その後に担任の先生にイメージを説明していたことから神託を言語化もできていたと思われます。

以上のことから、横手すずの巫女の能力としての特徴は鷲尾須美に近いのではないかと感じました。


4.芙蓉友奈に起こった異変

続いて「芙蓉友奈は語部となる 朗読劇」で話の中心となった芙蓉友奈が突然体調を崩すようになり、本人の自覚がないまま病院を抜け出し伊吹島へと行き、そこで柚木友奈と横手すずに対する情念をぶつけた一連の異変について考察をしていきます。

今回芙蓉友奈に起こった異変がなんであるかについては、「芙蓉友奈は語部となる 朗読劇」が終わって以来、多くの人が様々な観点から考察していましたね。
私は特に、異変が起きた際の芙蓉友奈の状態から考察を進めていきます。

まずなにより私が気になったのは、芙蓉友奈が病院を抜け出して、柚木友奈と横手すずが伊吹島にて芙蓉友奈を見つけた際に、芙蓉友奈が柚木友奈や横手すずに対する恨みや苛立たしさをぶつけた場面です。

「私は、いつも柚木君やすず君が憎かった。私には絶対に手が届かないものを持っている二人が、本当に苛立たしかった」

『芙蓉友奈は語部となる 朗読劇 台本p43』より引用

体が弱く、友達のいなかった芙蓉友奈が、いつも周りに友達がいて人を惹きつける力を持つ柚木友奈と横手すずをうらやましく思う気持ちはあったかもしれません。
それでも芙蓉友奈は2人を大切でかけがえのない友達だと思っていたのは間違いありませんし、2人が大好きだという気持ちは「芙蓉友奈は勇者でない」および「芙蓉友奈は語部となる」を見れば疑いようがありません。

そのため、あの時芙蓉友奈が柚木友奈と横手すずにぶつけた情念は心からの言葉ではないと思っています。ましてや普通の精神状態ならば芙蓉友奈が大切な友達に恨みや苛立たしさをそのままぶつけるようなことはないと思います。

では、あの場面での芙蓉友奈の精神に何が起こっていたのかと考えると、過去の勇者であるシリーズにて似たような事例があります。
それは小説「乃木若葉は勇者である」にて語られていた精霊による精神汚染です。

「乃木若葉は勇者である」において、勇者たちは精霊をその身に宿すことで強力な力を手にしていましたが、その代償として瘴気や穢れといった呪術的な影響を精神に受けることが語られていました。

大社は精霊の危険性を確信するに至ったそうだ。
「その影響というのは……なんだ?」
「不安感、不信感、攻撃性の増加。自制心の低下。マイナス思考や破滅的な思考への傾倒……いろいろ難しい言葉で報告されましたが、結局は心が不安定になって、危ない行動をとりやすくなるということです」
「……そう、か……」
若葉の感情が不安定になり、苛立ちやすくなっていったのは、精霊の力を何度も使った影響があったのだろう。

『乃木若葉は勇者である 下巻p100』より引用

「芙蓉友奈は語部となる 朗読劇」終盤の芙蓉友奈の状態はまさにこの状態に似ていると感じました。

しかし、芙蓉友奈は勇者としての適性はありますが勇者システムを使っているわけではありませんし、もちろん精霊を使役したりその身に宿したりなどもしていません。
それではなぜ、芙蓉友奈は西暦勇者たちと同じように精神が不安定になっていたのでしょうか。

その要因は「結城友奈は勇者である 花結いのきらめき」にて赤嶺友奈が語っていた内容にヒントがあるのではないかと私は考えました。

『結城友奈は勇者である 花結いのきらめき きらめきの章10話』
『結城友奈は勇者である 花結いのきらめき きらめきの章10話』
『結城友奈は勇者である 花結いのきらめき きらめきの章10話』

これらは、赤嶺友奈と弥勒蓮華が自分たちの元いた時代におけるお役目について説明しているシーンです。

神世紀72年に、天の神に魅せられた一部の者によりテロ事件が引き起こされた際、それを鎮圧したのが赤嶺友奈と弥勒蓮華でした。

ここで気になるのが「お役目の際に相手も精霊を使ってくる場合があった」という一言です。
勇者であるシリーズにおいて精霊は勇者システムに付随しているものであり勇者しか使えないものでしたが、神世紀72年の時代にはどういうわけか大赦と敵対するテロリスト側も精霊を使えていたようです。

精霊の主な使い方としては、西暦勇者たちのように自分の身に宿すことで強力な力を得る方法や、神世紀300年の勇者たちのように精霊バリアとして使う方法がありますが、それ以外にも「結城友奈は勇者である 花結いのきらめき」にて赤嶺友奈が精神攻撃として精霊を仕掛けたことがありました。

私は、神世紀72年のテロ事件ではこのように精霊を使った精神攻撃が行われたのではないかと考えました。
そして精霊を使ったテロ行為は神世紀72年に突然始まったのではなく、その前の時代から実験として歴史の裏で行われていたのではないかと予想しました。

つまり、
今回の「芙蓉友奈は語部となる 朗読劇」における芙蓉友奈はテロ事件の組織の実験により、精霊による精神攻撃を受けていたのではないか
と考えました。


芙蓉友奈の体調不良が、事件後に毒が抜けるみたいに急激に回復していったようなので、体調不良などを含めた今回の異変が元々の体の弱さや循環器の疾患によるものではなく何らかの外的要因を受けたことによるものであることは間違いないと思われます。

そして、芙蓉友奈の精神的な異常が西暦時代に精霊の穢れを受けた状態と似ていたことから上記の結論に至りました。


また、今回の事件が精霊による精神攻撃だとすると、いくつかの疑問に説明がつけられます。

今回、柚木友奈の口から芙蓉友奈には大赦の監視がついており、大赦は芙蓉友奈の状況を常に把握しているはずと語られていました。
しかし、芙蓉友奈の状態を戻すために大赦が表向き関わったような描写はなく、事件後に烏丸久美子から横手すずに感謝の連絡が届いたのみでした。

これは上の画像にて、精霊を使った精神攻撃は普通の人じゃ対処できない。だから私達(赤嶺友奈と弥勒蓮華)の出番だった。とあるように、精霊による精神攻撃を受けた者を元に戻せるのは勇者や巫女の素養がある人だけだったのではないでしょうか?
そのため、大赦も簡単に動くことはできず芙蓉友奈の親友である柚木友奈と横手すずに任せることにしたのだと思います。

今回の事件が神世紀72年にテロ事件を起こした集団の前身となる者たちによって引き起こされたと仮定するならば、今回の話の途中から連絡が取れなくなった烏丸久美子を初めとした大赦は、そうした元凶となる者たちへの対処を裏で行っていたという可能性も考えられますね。


また、芙蓉友奈がテロ事件の前身集団に狙われていたと仮定すると「芙蓉友奈は語部となる第3話」にて、芙蓉友奈が窓の外に感じた人の気配も関係してくるのではないかと思いました。

リリ[電話]「窓の外に人の気配が…いや、多分気のせいだ、うちはマンションの6階だし」
柚木「上里様?」
リリ[電話]「い、いやいやいやいや!そそそそんなはずはなななない!」亀毛兎角(きもうとかく)! 夢中説夢(むちゅうせつむ)!」

『芙蓉友奈は語部となる p24』より引用

あの時、芙蓉友奈が窓の外に感じた気配がなんであったのか作中では語られることはありませんでした。
ファンの間での予想では大赦による監視である可能性が噂されていましたが、私の個人的な考えでは大赦の監視の可能性は低いんじゃないかと思います。

大赦による芙蓉友奈の監視は、芙蓉友奈が産まれた時からついていることが上里ひなたから語られています。さらに芙蓉友奈と柚木友奈が出会ってからは柚木友奈にも同様に大赦の監視がついていたようです。
しかし、それらは「芙蓉友奈は勇者でない第5話」にて上里ひなたから言われるまで芙蓉友奈も柚木友奈も全く気付いていないようでした。
芙蓉友奈が生まれてからおよそ14年に渡って監視に全く気付かれていなかったにもかかわらず、あの場面に限って芙蓉友奈に気配を勘づかれて警戒されるというのはあまりにも稚拙な印象を受けます。

そのため、私はあの場面での人の気配は監視をしていた大赦以外の存在。それも大赦よりも隠密技能は低い存在がいたのだと考えました。
それがはっきりとどういう存在か作中では描写されていませんが、私はテロ事件の前身集団である可能性もあるのではないかと思っています。



5.最後に

いかがだったでしょうか。
今回は「芙蓉友奈は語部となる 朗読劇」の内容を基に、赤嶺友奈の章にも少しつながる形で考察を行いました。

2024年には「結城友奈は勇者である 花結いのきらめき」CS版も発売され、そこで赤嶺友奈の章の続編も語られるため、今回の予想が合っているかどうかそこで分かれば嬉しいです。

今回、朗読劇という勇者であるシリーズでは新しい媒体での表現方法となり、多くの人がほぼ同時に内容を見て聴いて感想や考察で盛り上がっている様子を見るのが楽しかったです。

きっと、同じものを見ても解釈の仕方や考察の結論は十人十色だと思うので、今回私が行った考察とは違った解釈をしたという方はぜひコメント欄などで教えてほしいです。
そうして勇者であるシリーズの世界観について、より深く語っていける機会や場所がもっと増えていってほしいと願っています。

それでは今回は以上となります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。


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