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子育ての向かうところ

子供のことを書くのは、少しためらう。

なんていうのか、子供を持ててしかも健康で、それだけでもありがたいことなのに、子育てで苦労したみたいなことを書くのは贅沢なのかなと、思ったりするから。

ただ、私が苦悩のただ中にいたとき、誰かの経験を聞いて共感したかったのも確かなので、そういう意味で書こうかと。

(子供たちの了承を得て書いています)

趣味はメタバースのワールド制作


不登校の子の親

学校は行かなくてもいい、最近はそんな言葉をよく耳にする。
それは、まあ嬉しいのだけど、親という立場で言えば、そんな単純な話ではない。

行かないということは、いっしょにいなければならないということ。

子供のことは大好きだけど、いつも大好きなわけじゃない。

子供はこれでもかと言うほど親を苛つかせる。
親としての責任がある分だけ不安と焦りがつきまとい、それは怒りとなって表に出る。

我が子はめちゃくちゃ大切だけど、うっとおしい存在である瞬間は山ほどある。

しかも、他の子が学校行ってる時間帯に。他の子が、机に座ってる時にだ。
うちの子は何してる、勉強なんかするわけない、ダラダラしてるだけ(に見える)だ。

「なら、学校行けや」
という言葉をなんども飲み込む。

わかってるよ。あなたが悪いんじゃないのは、わかってる。
でも…親だって感情はある。

不安と葛藤の渦の中にいるのは親も同じ。
というか、親はなおさらだ。
のんきな我が子の姿をのんきには見ていられない。

不安、焦り、葛藤…

勉強が遅れる。社会性も協調性も努力もやる気もない、ちゃんとしてない大人になるのではないか、不安だけが大きくなる。

うちの子がだめなのか。
親の私がだめなのか。

みんなが普通で、うちの子だけが普通ではないのか…。

社会から距離をとって生きてきた自分。私の子だからこの子もか…

劣等感と疎外感、社会に適応できない自分…
似てしまう我が子…

自分と我が子を責める。
わかってくれる人がいない切なさ。

苦悩を強調しても仕方がないが、とにかく苦しく、やるせない思いで追い詰められていった。

学校に行けなくても親子で充実した時間を…とも思った。
勉強を教えようともした。

けど下の子がいたらそんな心の余裕もない

最近は娘とワールドを作ったり…

これは主に次女のはなし。今は中2。
簡単に言うと、繊細、敏感、HSC。学校はむり。

小学生になって数日後に、行きたくないと突然言いだした。

びっくりしたかな…あまり覚えてないけれど、やっぱりという気もしたかな。
あかちゃんの時から不安はひといちばい強く、私のもとを離れなかったから。

入学後2年間は、送り迎えをしたり、私も一緒に学校で過ごしたりした。

私が帰ろうとすると「おかーさーーん」と絶叫していた。その娘を先生が取り押さえていた。

「なんか、わたし、がっこうでいつもびくびくしてるねん。」と6歳の子が言う。

いつもビクビクしている…
そんな場所に行かせる意味があるだろうか…

教室に入れず戸惑う娘を、先生が苛立って引きずり込む姿を何度か見た。

親がいる時にそうなら、普段はもっとに違いない。

幼い娘はどれだけ理不尽な思いを胸に押し込めていたことだろう。

役所や病院、相談機関も訪れた。
どこにも答えはなかった。

下の弟が3歳か4歳、そんな最中にもう一人生まれたので、赤ちゃんも連れて4人で学校を行き来する日々。

行かせるのが正しいのか行かせないのが正しいのか…。
正解がわからないのは苦しいことだ。

さすがに疲れて、3年生はほぼお休みした。

娘とワールドをさんぽ

ここで、もう一つ問題が。
中学生になった兄が、学校に行かなくなった。
そっちの対応にも追われた。相談でいろんな場所を訪れた。
やっぱり答えはなく、長男も家で過ごすしかなかった。

当初は、学校へ行かないことを、まるまる許せてはいなかった。
やっぱり行ってほしいし、人として努力する力や、試練に耐える力も持ってほしかった。

集団生活が無理なだけで、学ぶ機会が奪われるのはとても悔しかった。
適した場所さえあれば、能力を発揮できるのに。

学校側は常に、教室に入ることを大前提としていて、別室や図書室への登校には積極的ではなかった。

結局、毎日を、この家で4人の子供たちと過ごす日々。

私には逃げ場がなかった。
子供たちと一緒でない時間は、一瞬もなかった。
自分の時間が全くなく、先も見えず、この頃いちばん疲弊していた。

次女はというと、4年生になり先生が変わったこともありまた送り迎えの日々。
特別支援学級に入りその教室にはすんなり入れた。

ただ教室に行きなさいという圧力はまだまだあり、支援学級で一時間過ごしたら教室行きなさい、となるので
教室に行きたくないためにいつも昼頃に登校した。

長男は、昼まで寝ている。
なんとも言えない苛立ちと焦り。

教室に行くことの意味とは


子育ての向かうところは…


ただ、私の気持ちの中で少しずつ変化は起きていた。

息子も娘もとても優しい。
感性が豊かで、人に共感できる。
よく考え、自分で行動する。
人の言うことに耳を傾け、自分を律することができる。

これで十分…、
私の望む大人にちゃんと近づいているではないか。
少しづつそんな思いに。

私は、というか私たちは、子供たちが自律した大人になれることを目指して、教え育てているはずだ。


どんな大人になって欲しいのか…



学校は確かによくできたシステムだ。
効率よく教育を施してくれる場所だ。
だけど、型にはまったシステムに違和感を感じる子供もいる。
生まれもった資質が、システムを拒むこともある。

私は、子どもたちが何も考えず周りに同調する大人になってほしいのでも、知識だけ詰め込んで深く考えない大人になってほしいのでもない。

自分で考えて、自分で進んでいってほしいのだ。

子供たちは、もうそれがわかっているのではないかと思えた。

自分が大人になるために、敷かれたレールを進むことは必ずしも必要ではないということを、子供たち自身が気づいているのではないかと。

学校や勉強への私のこだわりは、薄れていった。

人は心が大事。
それはどこででも学べる。

レールの上を行きにくい性質を持って生まれたなら、別の道を行けばいい、単純なことに気づくのに大人の方が時間がかかる。

レールは雪に埋もれているかのよう…
誰にとっても通りやすいわけじゃない

相変わらず子供たちと過ごす時間は長く、ストレスが溜まる生活は続いた。

次男も小学生になったが、行きにくいのは同じだった。この子もか、とは思ったが
正直慣れっこだし、なんとかなるという思いが強くなっていた。

そんな事でどうやって社会でやっていくんだという学校からの圧力は常にあったが、だんだん気にならなくなった。
別にふつーにやっていきますけど…ね。

長男は通信制高校に進学。自分のことは家事も含め何でもするし、他の人のこともよく気遣い、優しくて誰からも慕われる。彼を人として尊敬する。

次女は年下の子の面倒をよく見る。よく気がついて自分で行動できる。聞き上手だし話すのも巧みでいっしょにいて心地よい。

これ以上期待するところはそんなにない。

学校教育をほどんど受けずに大人になるであろう娘、途方に暮れた日々もあったが、今思えば大したことではない。

社会は、普通にこなす人間を求める。それも大切な能力だ。
だがそうでなくても、社会でできることはたくさんある。
学校へ行くのがよくて行かないのが悪いなどとは誰も決められないのだ。

その問いに答えはない。

学校に行かないと社会性が育たないわけではない、ということは大きい声で言いたい。
ちゃんとした大人になれないわけでもない。

行ける人は行ったほうがいい。
勉強はしたほうが人生は楽しいから、興味のあることは深く学んだほうがいい。

進む道、人それぞれ

敷かれたレールの上を歩むのも、もちろんあり


ここに登場していないのは長女。
彼女は学校をそれほど苦としなかった。
コツコツ努力し、レールの上を歩くことが自然だった。

吹奏楽を続けて大学まで推薦で進学した。
今4年。
心理学をもっと学びたいと言う。
不登校の関係者支援を学びたいと。

私の過ごしてきた苦悩の日々が、彼女の目にどう映っていたかはわからないけど、同じように悩む人を救うことを学びたいと言ってくれたことはとても嬉しい。

自分のやってきたことが、無駄ではなかったと思えた。
自分の進んできた迷いだらけの道がここに通じていたんだ、そしてこれからも続いていくんだと思った。
ありがとう。

どこかに通じる道

人生は思い通りにはいかない。
思いもよらない道に迷うこともある。

どこかでつじつまが合う事もある。
合わないこともある。

まわり道は、人生を充実させる。
見えなかった景色が見える。

過ぎてしまえば、なんでもなかったことに思えるが
渦中にいるときは、もうすべてが、今までやってきたこともこれから先も、ぜんぶが黒く覆われたりする。

こっちの道を行ってみようか…

だけどありきたりの言葉だけれど、朝はかならず来る。

過ぎ去って苦しみが薄れるときは来る。

あとから意味がわかる時もある。
わからないときもあるけれど。


子供たちの普通ではない道を迷いながら進んだ末に、私はclusterの世界に来た。
この社会で、何かできることを探したかったから。まず私がそれを実感したかったから。

制作の日々は楽しい。できることがここにあった。

私に回り道をさせてくれた子供たちに感謝している。
回り道したからこその違った景色が、いま私には確かに見えている。

迷うほど、遠くへ行ける。

今日私が進む道が
未来まで続いている。

迷いながら、遠回りしながら、立ち止まりながら。

だけど昨日より、少しだけ前へ。

知り尽くすことのないこの世界をもう少し先まで見るために。

読んでくださり、ありがとうございます!


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