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第二のポインティ 2024/07/27

・すこぶる体調が悪い。この3日間ぐらいずっと。熱が上がったり下がったりを繰り返し、ひどい怠さが襲っている。なぜ体調が悪いと感じた瞬間に病院に行かなかったのか、自分を責めた。かなり厄介だ今の体調。「完治したわ!」と頗る元気さを見せつけようと張り切ると、隠れていた不調が襖を堂々と開け、旅館の女将が食事の時間などの説明をするかのように、体の不快部分が顕になる。あと永続的に汗をかき続けている。ラジオをとっている時も汗をかいており、というかかなり不調で、対面で収録しなくてよかったとも思った。なぜ体調がこんなに悪いのだろうか。食生活か?それとも僕がYouTubeで「のーぶら散歩」と検索していたのが彼女にバレたからか?多分それだな。バレた時にかいた冷や汗が今もずっと止まっていない、と考えると永続的に汗をかいている説明にもなる。

だが、今日は気分転換に少し外に出ようと思った。もちろん何か施設に行くのは気が引けるので原付でドライブだ。ならば行き先も決めず、だけども適当な目標を決めて適当に走ろうと思った。そうだ、1ミリも知らない、けどハマりそうなアーティストの有名曲を全部聴き終わるまで帰れません、にしよう。誰にしようか。ドライブの質に関わることだ、ちゃんと考えよう…。と悩んでいたら結局ポルノグラフィティになってしまった。全ての曲が好きなポルノグラフィティに。もう良いさ、君へのドライブさ。

アクセルを捻り、道路に乗った瞬間、嫌な予感がした。「これあんまり運転しちゃいけないくらいの体調だ」と。その瞬間怖くなった。転倒、接触、事故、爆発、破壊の限りを尽くしてしまうのでは僕は。だが、バイクは進み続ける。すぐに引き返せば良いものを。なぜなら“家から出る”というハードルを超えたにも関わらず、すぐに帰ってしまうとその努力を無碍にしてしまうので帰るに帰れないのだ。ふふ、つまり、ブレーキっつーもんは、どっかにぶつかんねぇとかかんねぇってわけか。おもしれぇ、これが漢だな。

スーパーに寄って弁当買って、すぐ帰った。

山賊揚げ、きんぴら蓮根、白米


・「死にたい」と言う言葉は好きではない。なぜならネガティブワードすぎるから。もしその人が言った「死にたい」が「人類は死後の世界を未観測であるため、自身がソレを初めて観測し、黄泉の世界のガガーリンになりたい」と言う意味を孕んでいるのであればかなり素敵だと思えるが、「死にたい」と言っている人でそこまで考えている人はいなさそうだ。

小学4年生の頃、自分の部屋を持った。初めて1人で朝を迎えるとなると心が躍った。同時に部屋で一人寝るということは、同じ屋根の下家族で過ごしているとしても強い孤独を感じるもので、それこそ「死」について考えた。人間は死んだらどうなるのか。転生するのか、赤ちゃんに戻るのか、それとも無に帰すのか。直近でひいおばあちゃんを亡くしていたのも重なり、考えるたび怖くなり悲しくなり、死にたくないと枕を濡らした。小さい頃なら誰でもそうだったのではないか。

でもそれが今では「死にたい」と言う(僕は言わないが)。高齢者から見たら、たった20年で思想がころころ変わる我々若者は、死生観が馬鹿になっていると思われても仕方がない。死にたいなんて言わないでほしいよな。躁鬱の鬱の時であっても。その人の鬱の最大火力はそりゃわからないが、「死にたい」と言う言葉をネットや世間に垂れ流すのは、別に死にたくない人にとっては当たり屋みたいな行為だと思ってしまう。僕だけかも知んないけど。

よっぽど「死にたくない」と言っている人の方が素敵に思える。むしろ「死ぬのをびびる」くらいの方が人間味があって好感が持てる。死にたいと思う人も死ぬのにビビった方がいいと思う。幽霊もビビってる人の前に姿を現すと言うくらいだから、早めにポックリいきたいのであれば死ぬのにビビればいい。それなら周りから好感が持たれるだろうし(知らんけど)、自分自身の本意としては「死にたいから死ぬのをビビってる」のでウィンウィンであろうに。

僕は死ぬのが死ぬほど怖い。本当に。でも周りの人が死ぬのは自分が死ぬよりも死ぬ程嫌。なんてね。

・なんでポインティってやつは、女性のスケベ談を話しても良いんだよ。どう言う風潮だよ。羨ましい!妬ましい!悔しい!今すぐポインティのクローンを作って、自分が死ねば自分の魂がそのクローンに入り、第二のポインティになり、下ネタズバズバ言い放題マシーンになれる!?やったー!!現代トンデモ科学万歳!!

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