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「リーダーのためのパンティー術」2024/07/03

・幸せな分、不幸せが追ってやってくるのだ。実は演劇の本番、大成功を収めた後、帰り道バイクでこけて事故をしたのだ。最悪〜。雨の日すぎて信号が見えていなかった。急ブレーキでスリップ。幸い夜中だったので車はいなかったが身体中傷だらけだ。お気に入りだった魔界村Tシャツも破れてしまった。悲しい。幸せで終わりたかったのにヨォ。ただ収穫だったのは僕は本当にドMだったのだ。傷に消毒液をかけるのが気持ち良すぎてかけまくった。痛みが、良い。生きていると実感できる。傷どころか元気な細胞まで殺してしまったかも。気持ちいい。なんとなくリストカットをする意味がわかってきた。わかっちゃいけないのかも知れないが、傷の痛みで生きていると実感できるのだろう。自ら傷を作るのはちょっと怖いが。今度から積極的に砂利道を歩こうかな。丸鋸の道があれば手っ取り早いか?

・一日、女性用パンティーを履いて学校に行ってみた。わざわざ彼女に買ってもらった。これは、そうだな、うーむ。履いた理由をどう説明しても不快な言い訳に聞こえるな。だが別に良い。中学時代から履いてみたら良いのではと思っていた。そういう変態的な理由で履いたわけではない、正直全く興奮はしていない。だが、心が晴れやかな気持ちになった。言ってしまえば「パンティーを履いている」という事実は爆弾だ。バレてしまえば何かが終わってしまう。だが、その分晴れやか、背筋がピンと伸びた。誰にも負けないんだ、俺、無敵だ、という感じ。もしかして、高校時代のサッカー部キャプテンとか男子バスケ部キャプテンってパンティーを履いていたから、あそこまで堂々としていたのか?なるほどならば合致がいく。だが彼女ができた時どうするのだろうか、「実は俺…」バサッ。「(絶句)」みたいなことになるのではないか。いや、もしかして部活動キャプテンになった頃にはパンティーは卒業しているのか。下積みというか自信をつける練習期間的な時に履いていて、人生が薔薇色に近づけばちっこいリボンのついたパンティーを脱ぐ。僕が知らないだけで「リーダーのためのパンティー術」的な自己啓発本が高校生の中で流行っていたのかもな。ならば遅れをとっている。僕は無力だ。いつもこうやって気分が落ち込む。どうせ僕なんて。僕はお尻の食い込みを静かに直したーーー。

・最近人の嫌なところを、嫌と口にしすぎかも知れない。人の嫌なところは見たくないが、関わっていく中で露呈していく。なので、自分にとってその人の嫌なところを全て把握し、あえて見ぬふりする。それが人と関わる上でいざこざやらを作らない自分なりの秘技だった。だが、正直根本的な解決は一切していないし、逃げでしかない。嫌なことは嫌と言いたい。面白くないことは面白くないと言いたい。黙って欲しい時は黙れと言いたい。他人の嫌いなところを「ココが嫌いだぞ」と言いたい。

・ラジオを出している。

僕は企画をするのが好きだ。そして実行。ラジオのファンアートとても嬉しい。そもそも一般庶民である僕が美化されファンアートとされても良いのか!?と困惑してしまう。自分をアニメ的キャラにする、という行為は中学高校と結構していた。だが、自意識が次第に邪魔をしていき描けなくなった。自分が好きだ、素敵な自分をこれからも見ていきたい。

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