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「怒り」は家賃を払わない。

家賃を「払う人」と「払わない人」どちらとシェアハウスをするかと聞かれたら断然「払う人」と答えます。私たちの心もシェアハウスと似ています。

思い出すだけでニヤける思い出、幸せな考え、優しさなどは心にあるだけでやる気や幸せをくれる。

反対に怒りや不満、心配などは心にあるだけで大切な心を傷つけるし幸せを盗んでいきます。冷静な怒りや不満がモチベーションになるときもありますが、頭カンカンで感情が昂っているような怒りが心にあると冷静になることも難しいですよね。

私も今朝リビングルームで、溜まった怒りを相手にぶつけまくるという設定で独り劇を開演しました。

昨晩から今朝いっぱいにかけて私も頭カンカンに怒っていたことがありました。とあるLINE通話一本だけでこんなに怒れるとは恐ろしいです。あまりにも辛かったので、部屋でひとり泣き愚痴りながら本人に面と向かって伝えたい内容をひたすら語るという一人芝居を開幕しました。

泣き疲れた頃「そういえば今日日曜日だ!」と思い出し、焦ってYouTubeで配信されている礼拝を聞きました。すると耳に入ってきた言葉が「怒りの言葉も神様にぶつけていい。神様にゆだねるということは、怒りのような熱い感情を神様にぶつけるということ。肝心なのは人ではなく神様にぶつけるということ。」

怒りを溜め込まずに、ぶつける。

なんとスッキリする解決方法でしょう。メラメラと燃える怒りを心に留めていても何も良いことは生まれない。とりあえず私も神様に怒りをぶつけてみました。昨日の電話の内容がいかに理不尽か、いかに失礼な言葉だったかなど色々並べ立てて「神様もういやですどうにかしてください。」と締めくくりました。

ちょっとスッキリしたし、心の中に怒りを留めていたくないと思いました。怒りにバイバイしてもっと幸せな気持ちになりたい。人を愛せる人になりたい。次回熱い怒りで心がはち切れそうな時があったら今朝と同じように、素直に神様にぶつけてみようと思います。

神様に怒り爆弾放出しちゃっていいの?

思い出してみれば詩篇の中でダビデはしょっちゅう神様に怒りと不満をぶつけていました。イエス様も十字架の上で神様に「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」と叫ばれました。そして神様はイエス様の復活を通してその声に応えられました。イエス様もダビデも神様に怒りをぶつけてたと分かったら、抵抗がなくなる気がします。イエス様みたいに、ダビデみたいに私たちも神様に怒り・不満・不安をぶつけてみてはどうでしょうか。ゆだねてみてはどうでしょうか。

特定の人に対する怒りだとしてもとりあえず神様にぶつけてみる。怒りの気持ちも神様にゆだねる。「ゆだねる・委ねる」は良く聞く言葉ですが、今日また新たな一面が見えた気がします。

心に家賃を払わないくせに、かなりのスペースを陣取りがちな「怒り」。そんな奴は心に居座らせても無駄と学んだ今日、 怒りにはバイバイしてもっと軽い心で幸せに生きたいと思います。

おわり

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