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「安心」「安全」「呼吸が深い」を得られたら、きっと人生に満足できる

「成功」「賞賛」「勝利」

これがないと自己肯定感は上がらないと思い込まされてきたけれど、人間の幸せってそこじゃないと最近強く思う。
必要なのはただただ「安心だ」「ここは安全だ」という感覚だと思う。
その感覚があれば違うなと感じるものに対して正しく警戒できるし判断ができる。何事も落ち着いて取り組めて、人間関係が安定している。だから、そういう人は無理しすぎないその人らしい幸せを構築していけるんだと思う。

発達性トラウマを調べ、自分の体と心の症状に対しての治療というようなアプローチを長年続けてきた。
もっとも、最初は不安性障害(パニック障害)になったことがきっかけだった。
それがここ数年は体の痛みに耐えられなくなり、それがトラウマからくる神経系の問題なのだと理解するにまで至った、

こうなった原因は様々だ。思い当たることは無数にあるし、そこにいちいちクローズアップしていたらおそらくあっという間に寿命がきてしまう。それでも何か対処しないと、せっかくの人生が辛いとか痛いとかで終わってしまうので、自分らしくのびのび生きられるところまでは回復したいなと思っている。

トラウマで驚くのは、別にひどく殴られたとか怒鳴られたとか、そういう経験がなくてもチリツモで大きな弊害になってくることだ。
私の例をとっても、おそらく親が十分な愛情を受けなかったことが原因で、ちょっとしたところで子供への思いやりや配慮が不足してしまったことが長年一緒に暮らすうちにでっかい傷になってしまったのだと理解している。

安心って理屈じゃないんだなと思う。
寒かったり体が痛かったりするだけで、悲しい思い出、辛い思い出にアクセスしてしまうので、体がトラウマを記憶してるんだなとわかる。それを脳が処理して私に何かしらの理解を促しているんだろう。

今日なんかは寝起きから偏頭痛がひどくてしんどかった。外は暴風で心も沈み、どうしても仕事に向かえなかった。締め切りが近いというのに、「なんで私はトラウマに支配されてるんだろう」「どうやったら完全に抜け出せるんだろう」ということを深掘りしていた。

おかげでトラウマへの知識が増え、私が理解していることはさらなる確信となった。けれど、それが分かったとて「幸せだな」とはならなかった。
こういう時は、きっと無理にでも外に出た方が良かったんだと思う。
今の体幹は舌が痺れて喉が閉まる感じがして胸が痛くて胃が痛い。
感情としては「言いたいことを飲み込み、抑圧してくるものに怒りを感じつつも耐えている」というもの。トラウマ体験エピソードを見ることによって、軽くフラッシュバックが起きたのだと思う。(これって自傷に近くないか)

祖父も祖母も父も「胃」が弱いという連鎖を持っている。私もそれをしっかり継承しているので、そこが弱いのは遺伝的なものもあるんだろう。でも、胃腸が弱いとメンタルの不安定に直結する。
ということは、私の場合、胃腸を整えてやるときっと精神状態もかなり安定するんじゃないかと思っている。
これまで薬などで誤魔化してきた痛みや苦痛を受け入れつつも癒す行動を地味に続けていきたい。

今日は暖かい汁物のご飯と、お風呂にゆっくり浸かってデジタルから離れた時間を作ってから眠ろうかと思う。

明日は仕事やるぞ!(頑張りたい精神はまだ健在の様子)

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