君の幸福論
昔の知り合いに、ジャンルは違うが、クリエイターとして、メジャーな場面で活躍している人がいる。
活躍を羨む気持ちがないと言ったら嘘だ。
同じ若かりし日には、それぞれに創造することを目指し、夢見ていた。
その頃にもっともっと小さな舞台ではあるものの、評価されたのは自分の方だったなんて、昔の微かな栄光に縋ろうとする。
向こうはもう私のことなどおそらく忘れている。
そして私も出来るだけその人の様子を忘れているかのようにやり過ごす。
でも活躍は時折目にしてしまう。
今日の場合は、たまたま流れてきたtwitter。
あの人はきっとずっと頑張ってきたのだ。
私は同じような努力はしてこれていない。
だから仕方がないことだ。
比べてもどうしようもない。
そう分かってはいるのに、そうなれない自分を省みると、最初からスタートラインに立ってすらいないのに、上ばかり見て羨ましくなんかないとひとごちるイソップ物語の狐のようで情けなくなる。
このまま一人でそんな風に考えていると、本当に思考が負の螺旋階段を転げ落ちそうだった。
なので風呂に入りながら、出来るだけ気軽な調子で、連れ合いに零してみた。
「何か書きたいなと思ってたけど、ちょうどのタイミングで横っ面張られた感じだよ」
卑屈なことこの上ないが、せめて明るい調子で。
シャワーで髪を洗いながら、あえて顔を上げないで済むように。
聞き飛ばしてしまってくれてかまわないから。
そう思いながら言った言葉に、君はこう返してくれた。
「あいつがいけたなら自分もいけるって思えばいいんじゃない?」
それは全く肩に力の入らず、屈託のない笑顔と共に返されたその言葉。
張り倒された側の反対の頬を優しく撫でてくれるような口調。
「今日は前向きな日みたいだからこんな風に言えるけどね」
付け加えのように「ほら、最近、『幸福論』(アラン)読んでくれてるじゃん?」とニヤリと笑う。
そうだね、最近、寝る前に音読していたね。
声に出している私より、君の方がよく理解していたんだね。
かけてくれた言葉自体も、その言葉が生まれた理由づけも、嬉しかった。
私は一人では頑張れないかもしれない。
でも君がいてくれたら、自分の足りない部分を補ってもらえる。
もしかしたら、もしかすると、いつになるかはわからないけれど、何者かになれるかもしれない。
そしてもしなれなくても、きっと君は私に幻滅はしないでいてくれる。
そう思えるだけで幸せなことに気がつく。
今日何か書いてみようと思ったのも、昔の知り合いの活躍を知ったのも、君のその言葉を聞くためだったのかもしれない。
だから私は今この文章を書いている。
感謝とささやかな決意を込めて。
というわけで、少しずつ、思いつく何かを書き続けてみようと思いました。
今日みたいな日常に基づく一コマでも、ちょっとした創作でも。
毎日…は大変かもしれないけれど、出来るだけ。
君のくれた言葉に、せめて「継続」だけでも返したいから。
何かしらでも、あなたの琴線に触れることができたのなら、サポートいただければ幸いです。 いただいたサポートはありがたく活動費(つまりは書籍費、笑)にさせていただきますね。