【エッセイ】ほどほどほそぼそ/#私にとってはたらくとは
今、私は地方病院の回復期で、リハビリテーション職として働いている。
周りには熱心な人も多く、学会に参加したり、勉強会開いたり、英語論文を検索して読み耽ったりする人もいる。自分が担当する患者さんに対して、そうやってより良いリハビリを提供することは大切だ。
もちろん、多少は教科書を振り返ったり、インターネットで文献検索したりはする。
でも他の人と比べると、おそらくとてもそこまでは出来ていない。
私は、家に帰ったら、そして休日は、仕事のことを忘れて、ゆっくり過ごしたい。
本を読んだり、文章を書いたり、料理をしたり、食べたり、飲んだり、だらだら寝たり。
連れ合いとのんびり過ごしたい。
正直、休日返上でオンライン研究会とかを受講している同僚達に申し訳なく感じることはある。
いや、厳密には、これじゃだめだと思い、オンラインの勉強会みたいのを受けたことは何度かあるし、課金したこともある。
けれど、続かなかった。
常に仕事モードだとしんどいのだ。
また、「副業」をして、金銭的な自由を手に入れることにも、もちろん興味がないわけではない。
でも実際は小学生のお小遣い稼ぎ程度。
今以上のことをしようと考えると、やはり「しんどい」が先に立つ。
これは言い訳になってしまうかもしれないが、数年、患ったことがあるせいかもしれない。
現在は寛解状態ではあるが、またああなったらと思うと、ちょっとでもしんどくなるのは怖い。
結果、今のように、仕事はほどほど、プライベートは細々といった生活に落ち着く。
この生活を愛しているし、これ以外は出来る気がしない。
でも時々自問自答してしまう。
これでいいのか、と。
「はたらく」とは、と。
言葉の意味を捉え直したい時、私はよく漢字を自分なりに解読してみる。
「はたらく」→「働く」→「人偏に動く」
という具合に。
そして思う。
「なるほど、『人が動く』ことが、『はたらく』ってことか」と。
「人らしく」「動いて」いることが「はたらく」であるなら、私にとって「はたらく」は、今のペースで、日々を重ねることに他ならない。
もっとがむしゃらに色々行えば、知識や技術は増えるかもしれない。
お金ももう少し稼げるかもしれない。
でもそれは私にとっては、私が「人らしく」いられる容量を超えてしまう。
色々と不足が多いのは仕方がない。
そもそもが足りないだらけの不完全な人なのだから。
欠けたところだらけのまま、私なりに日々を動いていく。
そうやって休日を私らしく過ごしたことが、意外と患者さんとの会話の糸口になることもある。
読んだ本のこと、観た映画のこと、テレビ観戦したスポーツ観戦のこと、作って食べた料理のこと。
患者さんがくいついて、話をしてくれることもある。笑顔が見られることもある。
ひたすらに勉強や副業していては得られなかったであろう笑顔だ。
だからきっとこんな毎日が、今の私にとっての「はたらく」やり方なのだ。
こちらの投稿企画に参加した記事です。
まぁ、「本を読むこと」「文章を書くこと」「料理をすること」などなどを生業にしたい野望がないわけではないけれど、それはまた別の機会に。
どんな毎日でも生活を共に過ごしてくれる連れ合いに感謝を込めて。
最後までご覧下さり、ありがとうございました。
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