LGBTQのその先


最近、一般社会でもよくきく言葉。
LGBTQとか、セクシャルマイノリティーとか。


私個人としては、これらの言葉を見ると

「もう、いいです」

と感じてしまう。

今更感が半端ない。
なんかもう、飽きてしまったのだ。
「性別」ってものに対して議論を繰り広げることに。

自分も散々悩んできたわけだから
問題にしたくなる気持ちもわかるんだけど。



性別のことでは、何周もした。
何周も何周も何周もした。




ちょうど10年前の今頃、
ワーホリ中にシドニーの「レインボーパレード」なんてものにも参加したりして。

そのときは一応、
もう自分がアセクシャルだってわかってたから、
(この言葉を知ったのは2005年くらい)

アセクシャルの団体にジョインしたわけだけど
(髪の毛ムラサキのスプレーで染めた笑)


パレード全体の雰囲気が
自分には、あまりにもNGすぎた。


一番行っちゃいけないところだった。


なんだかんだいって「性」にフォーカスしたイベントなわけだからね。





パレードだけではなく
オーストラリアでは日常のあらゆる光景がキツすぎて、
「地球にはどこにも居場所がない!!」と再確認したという。

ワーホリ体験談としては極めて異例だと思う。笑





とにかく、
私が一番心落ち着くのは、
私の魂が求めているのは、

「性別とか恋愛とかいう概念がそもそも存在しない世界」

だ。

決して、その逆の世界を否定してるわけではないよ。

でも自分にとってはそれが最高に平和なんだ。

人間界の感覚ではなかなか想像してもらえないかもしれないけど。



その世界観をわかりやすくイメージさせてくれるのが

まさに「コジコジ」という存在。

このあたりはまた今度の記事で。




昔は
「生まれてくるのが早かった…」
と思ったこともあったけど


自分で決めて、この時代に生まれてきたわけだし

言い訳は通用しないね。








LGBTQとかセクシャルマイノリティーって言葉が使われるということは
「異性愛が当たり前」という暗黙の了解があるから。
そして多くの人がこれらの言葉を聞いて
恋愛の話題を連想する。


そんなことを感じてしまうから、この言葉が苦手だ。
「セクシャルマイノリティー」のなかに、
「そもそも恋愛しない人」も含まれていることは
まだあまり知られていない。


わざわざこのことを話題にしたくないという気持ちも強いけど

人間界では言葉にしないと伝わらないことが多々あるので
自分がつらくならない程度に発信したい。



当面は、これらの言葉が引き続き使われていくんだろう。

でも、多分これから私みたいな人はたくさん生まれてくると思う。
仲間が増えてきたと思うと心強いし、とっても嬉しい。




「このまま、人間に埋れていてたまるか!」

そんな人間ぽいモヤモヤした感情すら、
なんだかんだで楽しんでいるのかもしれない。

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